ある日。
受付所の管理する社宅にて。
ワンルームの片隅で、バイトは一枚の紙を見て深く溜め息を吐いていた。
紙に書かれていたのは、現在バイトが抱えている借金の残額。
家一軒どころか戦術兵器が開発できそうなレベルで膨らんだ桁数を見て、彼女は途方に暮れていた。
「まだこんなにあるんだ。
……これでも結構、感覚的には返してきたはずなんだけどなぁ」
バイトはよく働いていた。
雨にも負けず、風にも負けず、職場環境の特異性にも負けず、毎日身を粉にして働いていた。
だが、それでも新人が一か月働いただけで、彼女の両親(粗大ゴミ)が残していった多額の借金が減るはずもなかった。
加えて、彼女は物心ついた時からお金を稼ぎ、時にはカタギでない輩のお手伝いとして取り入るなどしてお小遣いも貰っていた。
それらすべてを返済に充てていたにもかかわらず、負債額はここ数年ほとんど変わっていない。
金利分しか返せていないという現実は、バイトの肺をみちみちと締め付けていく。
「はー、どうしよう」
何度見直しても、紙に書かれた借金額は変わらない。
悪魔の数字を前に、バイトは将来を悲観する。
「このままじゃ、臓器を売られちゃう。
……案外もう、そこまで借金取りさんが来てたりして?」
フラグが立った。
「おーい、お嬢ちゃーん」
「……!」
「いるんだろー、いるなら返事してくれー」
ドアの向こうから聞こえるのは、若い男の声。
そして、間違いない。
バイトはその声を、以前にも聞いたことがあった。
おそらく顔も知っていた。
以前も出会ったことのある相手の声。
そう。
ソードマスター探しで悩んでいた夕暮れ時。領主のお宅から帰る道で待ち伏せをしていた、借金取りの三人組。
あのトリオのリーダー。
小物の親玉。
借金取りの『アニキ』である。
「……ッ!」
思わずバイトは、居留守を使った。
彼を部屋に入れまいとドアノブを押さえ、彼女は拙い抵抗を開始する。
「……い、いませーん」
「あーそうか、そりゃ残念。じゃあ、返事をしてくれた君は誰なのかな~?」
「……木霊です」
「そんなわけあるか」
「……間違えました、バイトの友達のパートと言います、初めまして」
「ん~、俺の知ってるお嬢ちゃんと声が同じような気がするんだけど?」
「か、風邪をひいてしまったみたいですね……こほっ。ほら、咳が出てます」
「敬語キャラってとこも被ってるんだよな~」
「便利ですからね、敬語って。敵を作りにくいですから」
「そもそも、なんで君はバイトちゃんの部屋にいるのかな。
変じゃない?」
「バイトは今、外出していまして……二・三日は帰らないかと思われます」
「遠出の理由は?」
「…………神様を探しに行く、とかなんとか」
「病んでたのか、あの娘――」
「というわけで、バイトはいません。また日を改められるのがよろしいかと」
「じゃあキミはさ、この扉を開けてくれないわけ?」
「ちょっと困りますね。
わたし、怖い人苦手なんです」
「おいおい、心外だなぁ! 俺自身はそんなに怖くないはずだぜ?
しかも、すきっ歯の奴と屈強な連れは、今日は隣にいないんだ。
だから今、尋ねてるのは俺一人なんだけど……どうしても開けてくれない?」
「ダメですね、譲れません」
「どうしても?」
「はい」
一枚の戸板を挟んでの攻防戦。
相手の表情が見えない心理戦。
状況は遷移せず、互いに有効打はなし。
このままでは、いつまでもバイトは扉を閉ざし続けてしまい、次の段階へ話を進めることができない。
借金取りのアニキにとって、それは非常に困ることだった。
だから彼は、イチかバチか搦め手を繰り出した。
まるで八百屋の前で値段交渉をする主婦のように、アニキはわざとらしく無念そうな声を上げる。
「そうか~、それは残念だな~。
残念だ残念だ」
「…………え?」
ぷらぷらと目の前に餌をぶら下げられたら、食いついてしまうのが生物というもの。
警戒心を解くような真似こそしなかったが、チョロいバイトはとりあえず訊いてみた。
「何が、残念なんですか?」
兄貴は答えた。
「や、それがさ~。
上からの方針が違法から脱法に変わってさ~、過払い金の返還について話し合おうと思っていたんだよ~」
「……!」
「やー。
今ここにお嬢ちゃんがいれば、すぐにまとまった額のお金を返してやれるのにな~。
はー、残念だ残念だ」
「…………」
カチャッ、きぃ……。
金属製の取っ手が回ったかと思うと、長らく閉まったままだった扉は、蝶番を軋ませてゆっくりと開いた。
そして。
隙間から顔を覗かせたバイトは、上目遣いにこう言った。
「……そのお話、詳しく」
アニキは苦笑する。
「ほんと、正直すぎるのも考え物だよね。君の場合は」
その後。
過払い金で骨抜きにされたバイトは、ものの数分でアニキに言いくるめられてしまうのであった。
こんな感じで。
「――――あの!
それで過払い金だけでなく、利子もなくしてくれるって本当ですか!?」
「あぁ、もちろんさぁ。
キミが麦粥も食べれないくらい困窮してるって情報は、俺の耳にも入ってるからね。
負担を軽くするよう、上に掛け合ってみたんだ」
「ありがとうございます!
……でも、それだと闇金さん側に利益が出ないんじゃ?」
「だーいじょうぶ。キミの親に払わせるだけだから」
「は、ははは……(ごめんなさい、お父さんお母さん)」
「ってなわけで。過払い金は借金の返済に全額充てられて、残る金額は5720万グランか」
「まだそんなにあるんだ……」
「まー、キミなら返せるよ。
いざとなったら俺がお店紹介してあげるからさ、心配しないで……ね?」
「でも、クロカミさん曰く、『水商売はロクな目に遭わない』って――」
「そんなの迷信迷信!
すっごくホワイトな職場だから、安心しなよ!」
「……クロカミさんにバレたら、タダじゃすまないと思いますよ。
わたしも、あなたも」
「大丈夫だって!
俺もあの受付嬢から、『二度とお嬢ちゃんに近づくな』なんて釘刺されてる身だけど、こうしてキミに会ってても殺されてないし、所詮は口約束だから!」
「でも―――」
「とにかく、キミは借金を返すことに専念して!
夜の副業については、また今度紹介するから!
「でも、デメリットの方が――」
「いやいや、デメリットなんてないよ。
ちょっと四十路のおじさんにお酒注ぐだけだし、辞めたくなったら辞めればいいし、お金だってものすごく稼げる!」
「……」
「だから、ね。この契約書にサインして、朱肉に指付けて…………!!!」
いいくるめられて、歓楽街に売り飛ばされそうになるバイト。
…………また、クロカミのプロレス技が炸裂しそうな雰囲気である。
「呼んだー?」
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