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薄幸の町娘は、借金返済のためクエスト受付所で働きます
夏野わおん
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特別番外編② クロカミと営業がただ喋るだけ

公開日時: 2021年3月28日(日) 18:01
更新日時: 2021年3月29日(月) 19:14
文字数:2,394

 ある日の夕暮れ。

 終業直後。

 スタッフルームにて。

 

 クロカミと営業は、残業に追われていた。

 

「……」

「……」

 

 モチベーションの上がらない作業。

 特に意見を交わす必要性のない課題。

 

 所内に一般の人々はおらず、待合室の灯りは落ちている。

 

 受付のカウンター周りを掃除しているのはバイトだけ。

 毎日低リスクの依頼を漁りに来る冒険者たちは、軒並み隣の酒場へと繰り出してしまった。

 

 だから現在のスタッフルーム周りは、冷え切った空気で囲われていた。

 

 酒場の方から聞こえてくるのは、酔っぱらい共のバカ騒ぎ。

 

 そんな対岸の祭りをBGMに、受付所のスタッフたちは机に向かっている。

 

 

「……ねぇ」

 

 突如、クロカミが声を発した。

 顔を上げずに営業が反応する。

 

「――なんでしょうか」

「この仕事、手伝ってくれない?」

 

 手元の依頼書をひらひら振って、クロカミは言う。

 

「もーさー、今日何十枚も人の名前やら報奨金の数字やら書いてるからさー。

 手首が腱鞘炎になりそうなんだよー」

 

「……だから?」

「半分、頼まれてよ。何か奢ってあげるからさ」

 

 

 やっぱり顔をあげずに、営業は応えた。

 

「――やだよ」

「なんで」

「年下に奢られるのは、俺のポリシーに反するからです」

 

「じゃあ、私が奢られてあげる」

「それでも却下」

「なんでよ」

 

 ハァ。

 営業も手元の計画書をひらひら振り、苦悩を語った。

 

「俺も仕事中なんだよ。

 明日までに計画の修正案を出さないといけないんだ。

 だから無理なの」

 

「ふーん……相手は誰?」

 

「コウロ地方漁業組合の組合長さんだよ。

 港の補修工事の件でさ、相談受けてんだ」

 

「あー。あのイカの塩辛好きのふとっちょマンか」

 

「資材的に金をもう少し出してほしんだけど、組合員の何人かが出し渋ってるらしくてさ。

 しかも桟橋の設計にまでいちゃもんつけて来てんだよね」

 

「まぁ、あのふとっちょさんは信用されにくいかもねー」

「……そうなのか?」

「あれ、意外?」

 

「そりゃあな。

 あの組合長といったら、賄賂貰わないことで有名だし」

 

 

「金回りのガードが固いのは、私だって知ってるよー。

 前に一度だけ密猟者成敗の件で話したことあるから」

 

「んじゃあ、どの辺りがダメンズなんだ?」

 

「まー、一言で言えば『スケベ』なんだよ」

「…………あぁ、なるほど」

 

「前にあった時もしつこくお触りしてきてさー。

 お尻触られそうになったもん」

 

 

「……で、その後はどーなったんだ?」

 

「んーとね。嫌な顔されるわけにはいかないから、笑ってその場を誤魔化したと思う」

「どんなふうに?」

 

 

 そう訊かれると。

 ガッツポーズをして、クロカミは朗らかに言った。

 

 

「――『もー、組合長さんのえっちぃー』って、肩のあたりをバシッとね。

 はたいてやった」

 

 

「…………それでか。

 この間あの人が、『肩脱臼した』って言ってたのは」

 



 再び、スタッフルームが静寂に包まれる。

 

 表のドアの方から音がするのは、バイトがカウンター内の道具類を手入れしているからだろう。

 

 未だ職員たちは、仕事から解放されていなかった。

 

 

「……ねぇ」

「なんでしょうか」

 

 また、クロカミが口を開いた。

 ペン回しをしながら、面倒くさそうに営業はそれに耳を傾ける。

 

 彼女は言った。

 

「最近、肌荒れが気になるんだよね」

 

「急にどうした」

「おでこなんだよ、おでこ。初めてニキビできたもん、この間」

 

 美容に関するこの話題。

 乙女からすれば、まさに一大事だ。

 

 すぐに営業は、所で働く同士にアドバイスを贈る。

 

 

「酒、飲み過ぎなんじゃねーの?」

 

「それはないよ」

「どうして、そう言い切れる?」

「だって、お酒は正義だから」

「子供かよ」

「……いや、子供はお酒飲めないでしょ」

「揚げ足取るんじゃねぇ」

 

 

 ペン先を向け、営業はぱっくり言った。

 

 

 

「酒の摂り過ぎは、血管に負荷かけるんだよ。

 

 トイレに行く回数が増えるから、脱水にもなりやすい。

 だから肌にダメージが回るんだ。

 

 あと、お酒に含まれてる成分にも気を付けておいた方がいい。

 

 酒精アルコールは言わずもがなだが、気を付けるべきなのは主に糖分。

 

 こいつを摂りすぎると、なんつったか……『ほるもんばらんす』? 

 それが崩れるらしい。

 

 そんで肌に脂が滲みやすくなって、肌が荒れるんだと。

 

 内臓を痛めると顔が黒くなる原因にもなるし、まぁ酒はほどほどが良いんだよ、きっと」

 

 

 

「へぇー」

 

 数字の記載を終えた書類を手続き完了の箱に入れると、クロカミは感嘆の声をあげた。

 

 実際、酒通である彼女からしてもタメになる情報だったのだろう。

 

 目を丸くして、思わずクロカミはこんなことを訊く。

 

「それ、どこからの情報?」

「え」

「アンタがそういうこと、本から学ぶわけないじゃん。

 人づてに聞いたんでしょ?」

「まぁな」

「誰から訊いたの?」

 

 

 気まずそうに頬を掻く営業。

 そして。

 斜め下を見た彼は、小さな声でこう述べた。

 

 

「――――2日前、看護師のカノジョが教えてくれた」

「…………」

「あ。もうか」

「……聞かなきゃよかった。

 いろんな意味で」

 


 残業はまだまだ続く。

 同じタイミングでインクの瓶にペン先を付け、二人はそれぞれ抱えた書類の処理に取り掛かっていく。

 

「お酒、節制しろよ?」

「そういうアンタは、早く運命の人と出会いなさい」

「…………」

「…………」

 



 三度、スタッフルームが静寂に包まれる。

 

 ぎぎっと何かを引きずる音がするのは、バイトが待合室のベンチを動かしているからだ。

 新人受付嬢である彼女の仕事の終わりは近い。

 

 加えて、呑み勝負でも繰り広げられているのか、酒場の方からは絶えず歓声が上がっていた。

 一日の労働から解放された彼らは、冷えたビールとカラッと揚がった肉を全力で愉しんでいるらしい。

 鬱憤の晴れたそのムードは、風を伝ってスタッフルームまで届いていた。

 

 

 それでも、クロカミや営業は黙々と作業を消化していく。

 

 ちゃぶ台を返して酒と食事にありつきたい思いをぐっと堪え、目の前の書類を処理していく。

 

 

 …………五秒後。

 

「ねぇ」

「なんでしょうか」

 

 クロカミは言った。

 

 

「――――この仕事、手伝ってくれない?」

 

「無限ループ!?」

……続く?

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