やっぱりそのことでしたかー!
密かにバイトは、転生者の男へ同情した。
……それもそのはず。
神さまよりも尊いお客さまに対し、『ダブルファンのフルフェイスガスマスクを装着していただく』なんてシチュエーション。
通常なら、まず起こり得ない。
そんなことをすれば、
「冒険者を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
と激昂されるに決まっているのだから。
ちなみに。
先ほどから聞こえる「シュコー」という独特の異音は、全て雄一郎の呼吸によるものだ。
この個室に通されてからというもの、満足な理由も聞かされずに、彼はガスマスクを被らされていた。
というわけで。
なぜシュガーは、自然な成り行きで客にガスマスクを被せたのか。
深い理由があることを、彼女は粛々と説明していく。
「――申し訳ありません。
先ほど申し上げた通り、私は転生者の顔を直に視れないんです」
「じゃあ、対応する職員さんを代えればよかったんじゃ?」
「もう一人の正職員であるクロカミは、性格的に個室で長時間の応対するのが苦手なんです。
なので……できればしばらく、その恰好のままでいて頂けると助かります。
それなら私も発狂しなくて済みますので。
…………あー、大分脈が安定してきた」
「そうは言ってもさ」
と、転生者の男は不満そうにブツブツ呟く。
「――摺りガラスでパーテーション作るとかさ。
も少し工夫できたよね。
よりにもよって、なんでガスマスクを選ぶかな」
「すみません、それしかご用意できなかったんです」
「いやね、責めてるわけじゃないんだけどね……こう見えてもオレ、結構ショックなんだよ。
だって、小学生の頃でもこんないじめはなかったからね?」
しかも、と器の小さい彼はか弱い女子に対して強くものを言い立てる。
「――視界左上のHPゲージがどんどん減ってるけど、まさかガスマスクって状態異常扱いなの?
オレ、心の回復魔法は使えねーよ?」
まったく、ごちゃごちゃと五月蠅い男だ。
疑問符が多すぎて、喋りがウザったくなってしまっている。
おかげでちっとも話が進展しない。
困った転生者を窘める役は、果たしてこの場に居るのだろうか。
転生者の連れが動いた。
「――すいませんね、このダメ男が迷惑かけちゃって」
「……え?」
「代わりに謝ります。ホントすいません」
その連れは、齢十五才くらいの少女だった。
あどけなさの残る顔に反してストイックなのか、その身体付きは快活なスポーツマンという表現が似つかわしい。
服装もファッション性よりも機能性を重視しているらしく、リネンの生地を中心にした如何にも冒険者といった格好だ。
チャームポイントであるツインテールは天の川のように輝き、一挙手一投足に合わせて小さく揺れる。
手綱を握るのが巧そうな少女である。
「どうぞこのまま話を進めちゃってください」
空になったカップを置くと、彼女は静かに一案を示した。
「か弱い女子をいじめた雄一郎のことは、無視しちゃっていいんで」
「ですが、雄一郎さまの了解がまだ……」
「――だいじょーぶですよ。
ガスマスクを被ろうが被るまいが、この男のキモさが緩和されることはないですから」
「ひどいっ! そこまで言わなくても!」
「ひどくない! 事実だろーが!」
「ぐふっ……」
思わぬ角度から追い打ちフレンドリーファイアを受け、雄一郎は意気消沈とする。
キモいとばっさり切り捨てられた心中はお察しするが、これで速やかに物語が展開できるようになったのは慥か。
瀕死の彼に悪いと思いつつも、シュガーは連れの提案に乗った。
「えっと……では、報酬金についてお話しさせていただきますね」
「よろしくお願いします」
おてんば娘のような見た目とは裏腹に、ツインテールの彼女はよくできた人格の持ち主だった。
会話の受け答えもしっかりしているし、少女らしい悪口もピリリと効かせられている。
きっと幾度となく苦労を重ねてきたのだろう。
おかげで報酬受け渡しのやり取りは、遅滞なく進行することができた。
転生者の青年がトラブルメーカーであれば、さしずめこの娘はブレーキ役。
あの雄一郎とやらよりも、こちらのツインテールの方が信用に値しそうだ。
「……では、諸々の費用を差し引いた報酬金と保険料の返金を合わせまして、二万グランです。
お確かめください」
そう言って、シュガーは硬貨を乗せた小トレーを差し出した。
ツインテールは麻の小袋にその報酬をしまい込む。
「よかったー、これであと数日は生活に困りませんよ」
「そうなんですか? てっきり稼がれてる方かと思っていましたが……」
「もぅー、このダメ男ったらまともに働こうとしないくって……この一か月、キノコと山菜で食い繋ぎましたもん」
「あの、よろしければ次のクエストをご紹介いたしましょうか?
迷いの森の見回りクエスト(夜間)などは、難易度がやや高めでまだ未契約なのですが……」
「うそっ、助かります!
できればご飯付きがいいんですが、ありますか⁉」
「それでしたら、要人警護系のクエストがいいかもしれませんね。
すぐに探してみます」
「ありがとうございます!」
社交性があって頭もキレる、優秀な女性二人の雑談。
生産性があって無駄のないこの会話に口を挟める者など一人もいないかに思えた。
……だのに。
「―――あ。その話の前にひとついいかな」
女子二人の会話に、雄一郎が口を挟んだ。「ちょっと依頼したいことがあるんだ」
「えーと……なんでしょう?」
シュガーは純朴に聞き返した。
他の者たちも口をつぐみ、雄一郎の方に視線を注ぐ。
わざわざこのタイミングを選び、会話に割って入ってきたのだ。
依頼したいこととやらも、さぞ御大層な内容なのだろう。
期待値高めで女性陣が聞き入る中、彼は口を開く。
彼の依頼は、こうだった。
「オレさ…………ハーレムの作り方が知りたいんだ」
「「―――はい?」」
空気が凍りついた。
この男、今なんと宣ったんだ?
バイトの思考がフリーズする。
……いや、落ち着け。
きっと彼は言い間違えたのだ。
ハムの作り方と言うべき部分を、ハーレムの作り方と言い間違えただけなのだ。
そうだ、きっとそうだ。
……そうでなければ、こちらが困る。
そうバイトは思った。
ゆえに一応、バイトは聞き返すことを試みた。
爆竹に触るかのように慎重に。
だが、しかし。
「――ハーレムだよ、ハーレム!
エルフにハーピィにケモ耳のかわいい女の子が一杯いる、男の理想郷!
俺はそれを作りたいんだよ!」
女性陣の反応が薄かったからだろう。
屈託のない瞳で、雄一郎はしつこいくらいに依頼の重大性を訴えた。
「異世界にやってきた男なら、誰もが一度は通る道だろ?
彼女いない歴イコール年齢で生きてりゃ、そんな願望を抱くことだってあるんだよ!」
「…………」
「俺だって女の子からモテたいし、朝から晩までチヤホヤされたい。
……何より『両手に華』って状況を、他人に見せびらかしたい!
特にクソみたいな性格のイケメンに対して、マウントを取りたいんだ、俺は!」
「…………」
「でも、いざ作ろうとしても取っ掛かりがないし、そもそもどう作るのかもわからん」
「…………」
「だから教えてほしいんだよ。
先駆者とかいるだろうから、その人に話を聞きたいんだ!
なるべく簡単な、一日十分でできるハーレム術みたいなのをさ‼」
「…………」
「ねぇ、なんか喋ってよ!
俺が可哀想な奴みたいに思われるじゃんか!」
「…………」
黙って聞いていれば、まぁロクでもない回答が返ってきたものだ。
これではいくら博愛主義者のバイトでも、擁護できるだけの材料がない。
さてはこの男、新種の人格破綻者だな?
「ア…………ゥ」
加えてついに、シュガーの精神耐久値が限界に達したらしい。
体を小刻みに振動させ、目の前の狂気に恐れ戦き始める。
「モシカシテ…………テンセイシャ、ミンナケダモノ?」
「はい、ハーブティー飲んでー。んで、深呼吸しよーかー」
気配りに長けたツインテールは、すかさずシュガーの介抱に回った。
「落ち着いたー? 落ち着いたねー、よーしよしよし、怖くなーい怖くなーい…………」
もはや辺り一面、カオスすぎる絵面だった。
先輩職員は兎のようにブルっていて。
ツインテールはその頭を撫でて慰めていて。
雄一郎はハーレムのなんたるかを迫真の表情で説いていて。
そこはまるで、痴漢被害の現場にでも鉢合わせたかのような状況だった。
(……ええっと)
唯一、誰からもダル絡みを受けていなかったバイトは、第三者の立場から本題について考察する。
(かっこまともに考えてハーレム制度は、確かにこの町にも存在するけど……この男の人は、ハーレムの作り方が知りたいんだよね。
まずは、それを教えられるだけの人を探さないと)
(それに手っ取り早く女の人にモテたい、ってどうすればいいんだろう)
(……そもそもこれ、依頼として受理すべきなのかな?)
はたして、そんな都合のいい話は有り得るのだろうか。
転生者である雄一郎の夢は、この異世界の設定のガバさに懸かっている。
(―――はーあ!
もう都合よく弟子を募集してる、通りすがりのハーレム王でも現れてくれないかな!)
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