利益。
ボランティア精神なぞ欠片もない領主にとって、談判上で自分が潤うことは何よりも大事な要素であった。
それは彼の息子を教育する場合でも例に漏れない。
他人を道具として見ない代わりに、利用できる状況は全て自分の儲けに計上できるよう手を回すのが彼の流儀だったのだ。
そんな根腐れ領主の性分を、体のいい受付嬢として顎で使われてきたクロカミはよく知っていた。
ゆえに指を二本立てた彼女は、抜け目のない策略を主張するのだ。
「領主サイドにもたらされるメリットは、主に二つです」
自信満々にクロカミは言った。
「一つ目は、雇用コストを大幅に削減できること。
これは骨剣士さんが直々に申し出てくれた条件でして、通常ソードマスターを雇うには最低でも一日十万グラン支払うところを、この彼は一日五千グランの給金でも良いそうです」
領主の勘は鋭かった。
なぜそこまでの低賃金労働が可能なのか、既に見当をつけていたらしい。
「……ほう。貴様、目の付け所が中々にウマいな」
今にも悪巧みに耽りそうな笑みで、領主は仮説を口にする。
「ナイトの称号を持つアンデッドモンスターなら、食事も水も必要はない。
人間が蔓延る街で物を買うこともないのなら、金を使う機会は限られる。
……問題はない、というわけか」
「まぁ、あまりにお給料が少ないとブラック認定されるでしょうけどねー」
あっけらかんとクロカミは合の手を入れる。
「その辺りは、今後のミーティングで骨剣士さんと話し合ってもらえばいいと思います、はい」
「しかし面白い着眼点だな。
貴様、私の大好物である『コストカット』という単語をチラつかせれば、確実に気を引けると見込んでいたんだろう?」
「受付所から燭台を撤去して、明かりを天窓からの採光のみに切り替えたのは、他でもないあなたでしたからねー。
そうやって光熱費を削減して、日の入りまでに意地でも業務を終わらせるよう仕向けるの、あなた嬉々としてやってたじゃないですか。
覚えてますよ」
「そうだな。
無駄を省くと言うのは最高に気持ちのいいことだ……というわけで、女」
「はい?」
領主が発したのは、怪しさ満点の接続詞的表現。
能天気なクロカミは、こっくり首を傾げて言葉を待つ。
そんな中で。
マイペースに領主は命令を下した。
「――もう一つのメリットについても、さっさと話してくれたまえ。
私からすればこの場でウダウダ喋る行為も、紛れもなく『無駄』に該当するのでな」
「せっかちな人だなー、わかりましたよ」
言葉遊びも満足にさせてもらえないクロカミは、拗ねたように唇を尖らせる。
だが失礼なリアクションを取っていいのは、ほんの数秒の間だけ。
すぐに笑顔を貼り付け、彼女は説明を再開する。
「では、先の話に戻りましょう。
メリットの二つ目……それは、骨剣士さんがご提供する指導のレベルが非常に高いことが挙げられます」
「……抽象的過ぎるな。具体的には言えないのか?」
ふひっ、とクロカミは鼻を鳴らす。
「例えば、骨剣士さんは聖なる力が宿った武具でなければ倒せません。
言い換えれば、教会で清められた武具でない限り、どんな剣を使おうが彼の身体には傷一つ付かないんです」
「そんな特性が役に立つというのか」
「――より実戦に近い稽古が積めるじゃないですか。
本物の剣を振るえるので」
「……!!」
百聞は一見に如かず。
木剣の素振りを百回するより、重い鉄剣を相手に向かって一回振った方が上達する。
当たり前のことだろう。
しかし、これは簡単に許可が出せない稽古法でもあった。
少し考えれば誰でもわかる。
鉄剣は、「人を殺せる」武器だ。
互いにそれを持って斬り合えば、練習だとしても確実にどちらかが怪我を負ってしまう。
だからと言って手加減をすれば、実戦に近い環境でのレベルアップというそもそもの目標が達成できない。
憲兵の訓練でも大半の場合で安全な木剣が使用される理由が、まさにこれ。
初心者や中級者にカテゴライズされる世の剣士たちは、密度の濃い修練に身を投じたい思いをグッと抑えて、危険のないぬるま湯稽古で日々剣の腕を磨くしかなかったのである。
だが稽古において、仮に斬られ役となる元立ちが『不死身の怪物』であったとしたら?
力いっぱい斬りかかっても傷一つ負わない身体を持ち、実戦に近い練習の中でも的確なアドバイスを授けてくれる。
そんな素敵な骨の怪物が、師匠の役に就いてくれるとしたら?
鉄剣への恐怖は薄れるだろう。
技を見切る力を高い精度で身に着けられるだろう。
戦闘での対応力を鍛えられるだろう。
何より、最高の効率で実力を伸ばすことができるだろう。
骨剣士が人の子に剣術を教える。
絵面としては途轍もなく歪で奇矯。
この決定に町民が共感を示してくれることはないのかもしれない。
それでも領主の眼に断ろうとする気概は映っていなかった。
それほどまでに、「超実戦形式の稽古をノーリスクで提供できること」はイイことづくめだったのだ。
「――骨剣士さんの強みはそれだけじゃないですよー」
さらにクロカミは利点の波状攻撃を仕掛けていく。
「例えば、骨剣士さんは睡眠を必要としません。
なので昼夜を問わずに稽古することができちゃいます」
「ちょっと待て、息子はまだ六歳だ。オーバーワークさせるつもりはない」
「何をおっしゃいますかー。他にも彼の稽古を受けたい人ならいるでしょう?」
「誰だ、私か?」
「――あなたの護衛に付いてる剣士たち、あと警備員の皆さんですよ」
貴重な貴重なソードマスターの剣術指南。
それを上級国民の息子が独占すると言うのは、不公平を通り越してもはや非生産的。
一時間の稽古の後で二十三時間の暇を骨剣士に与えるつもりなど、クロカミの脳内には欠片もなかった。
骨剣士の許可を取ったうえで、彼女は領主の雇う剣士すべてのレベルアップを図ろうとしていたのだ。
「そこまで、考えていたのか……?」
人物像のほんの些細な特徴まで利用しようとするクロカミの計画性に、思わず領主は舌を巻いていた。
「……単純に計算すれば、私の息子への剣術指導とガードマンたちへの鍛錬費用を一日五千グランでまとめられるのはプランとして格安だ。
そこに大幅なスキルアップの保障が付属するとなると……」
「――断る理由、あります?」
どやぁ、と昂然たる顔をしたクロカミは、ついにクエスト交渉へ王手をかけた。
示されたのは双方にもたらされるであろう魅惑の条件。
唯一のデメリットは、骨剣士がモンスターであることくらい。
試されるのは、依頼主の懐の深さ。
いったい彼はどのような決断を下すのだろうか。
俯き加減で領主は脳髄を絞っていた。
しかし、それも束の間。
ふと顔を上げた領主は、クロカミと視線を交わらせた。
そして根負けした父親のように表情筋を緩め、こう零した。
「……いいだろう、貴様の勝ちだ」
「えっ! ってことは!?」
「あぁ、そうだ」
期待を寄せる受付嬢たち。
今にも兎のように飛び跳ねそうな彼女らに、領主は労いの言葉を投げて渡す。
「――このクエスト、アンデットスカルナイト殿を請負人と認めることで締結しよう。
一日でよくやり遂げたな。
受付所の女職員共……褒めて遣わすぞ」
「やったー!!」
喜びのあまり、クロカミは空に向かって万歳三唱していた。
それもそうだろう。
クロカミにとって死活問題となる、「禁酒法の発動」を阻止することができたのだ。
これで彼女は心置きなく晩酌タイムを愉しめる。
うとうとするバイトに気遣いなく抱き着くほど、彼女は輪をかけて興奮していた。
「やったー、ザマミロ領主!
お前の嫌がらせに屈するほど、私の頭は弱くないんだっての!
これで少しは見直したか、あはははー!!」
一人で勝手にクロカミは盛り上がっていく。
近所迷惑になりかねない騒音キャラは華麗に無視して、早速領主は骨剣士との関係を深めようとしていた。
マントを羽織った巨大な骨型モンスターに堂々と近づいた彼は、握手を求めるついでにこんなことを口にした。
「――ひとつだけ、私からアンデットスカルナイト殿に質問をしても?」
「我は構わん。なんなりと」
「では、恐縮なのですが……貴殿は、本当にソードマスターの称号をお持ちなのでしょうか」
「……ほぅ」
一歩間違えば軋轢を生み兼ねないこの発言。
骨剣士が身分を偽っていないかどうかは、確かに重要な問題ではある。
が、それをはっきりさせるのは何も話がまとまりかけた今現在のタイミングでなくとも良いはずだ。
妥協を許さないのは、彼にとって生来の性なのだろう。
周りの空気に流されず明確にすべき箇所に鋭く切り込む姿勢は、広大な土地を治める領主に相応しい誠実さと言えた。
すると、この領主の対応に騎士道と通ずる点でも見出したのだろうか。
先ほどまで発していた覇気を緩めると、骨剣士は和やかに回答を始めた。
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