洞窟にいる受付嬢は、現在二人だけ。
うち一人は、たった今お口にチャックをしてしまって戦力外。
業務を続行するには、もう一人の受付嬢であるバイトが手続きを進行していくしかない。
もはや彼女に選択肢はなかった。
「……」
ひとまず会話することを止めてしまった先輩の背中から離れ、バイトはその場で深呼吸をした。
平静を取り戻し、身体から震えを払い、二本の足でしゃんと立つ。
そして、
「……よし」
と覚悟を決めたバイトは、ついに骨剣士と真っ正面から向き合った。
にっこりと笑い、彼女は談合の口火を切る。
「すみません、アンデッドスカルナイトさん」
「どうした小娘、何用だ?」
「ちょっと、クロカミさんの喉の調子が悪くなってしまったようなので、代理でわたしがクエストの説明してもよろしいですか?」
「それは構わんが……貴様にできるのか、その説明とやらは」
「安心してください。
洞窟に来るまでの間、依頼内容の詳細についてはクロカミさんと話し合っていますから」
交渉相手は山の主。
街の冒険者たちが一目置くほどのモンスター。
肉は腐り、腸は溶け、動く白骨死体となっても尚剣を振るい続ける強者。
そんな彼は化け物であるがゆえに、人間を酷く警戒している。
領主の息子へ剣の稽古を付けるソードマスター。
その役回りを骨剣士に引き受けてもらうには、彼を説得することが必要不可欠だ。
つまり、彼が興味を引きそうなカードをちらつかせなければならない。
人間を信用してくれなくてもいい。
クロカミと和解してくれなくてもいい。
それでも、ついつい依頼を引き受けてしまいそうになる……そんな超絶美味しい条件を彼に提示できるかどうか。
事態を収束させるカギは、まさにそこに掛かっていた。
はたして今月入ったばかりの新人バイトは、上手く機転を利かせることができるのか。
両肩に責任の二文字がへばり付く中、彼女は口を開く。
「では今回、領主さんの息子の師範として出向くクエスト。
……それを受けることで発生するメリットについて、説明していきますね」
「メリットだと?」
モンスター側からすれば、この言葉は極めて珍妙に聞こえるものだったのだろう。
すぐさま骨剣士は、疑問を呈した。
「そんなものはないはずだ。
亜人と違って、モンスターと人は敵同士。
手を組むこと自体デメリットなのだぞ?」
「いえ、それは違います……ホントに違うんですよね?」
急に不安になったバイトは、後ろで口を押さえている先輩に小声で確認した。
パントマイム状態でクロカミは反応する。
「……(こくこくっ)」
無言の肯定。
オーバーに首を縦に振ってくれた先輩に、バイトはへにゃりと笑いを返す。
「ですよね、よかった……!」
再び、バイトは骨剣士の方へ顔を向ける。
先輩から太鼓判を貰ったからだろうか。いつになく彼女の顔には自信が漲っていた。
静まり返った水琴窟にて、肩を開いてバイトは語る。
「メリットはあります、なぜなら――――」
「……なぜなら?」
話をせっつく骨剣士。
多少なりとも期待してくれている相手の様子を見て、バイトは鼻の穴を膨らませる。
仕掛けるなら、今しかない。
そう思ったバイトは、小さく顎を引く。
そして、骨剣士の期待をさらに煽れるよう、わざと声のトーンを落として、こう言った。
「―――クエストを引き受けてくだされば、あなたはあるものを手に入れられるからです」
「……」
「ご興味、ありませんか?」
骨が表情を作ることはない。
だがその時、骨剣士は確かに笑っていた。
次の瞬間。
彼は静寂を打ち破る。
「その話、詳しく聞かせてくれ」
「……! はい!」
こうして三時間後。
じっくりと話し合いをして互いの条件を擦り合わせたバイトと骨剣士は、そのままの足で領主の邸宅へと向かい、無事に領主への紹介を済ませ、現在に至った。
つまり。
バイトは徹夜で仕事を遂行し、同じく徹夜で深夜テンションのクロカミはボケまくり、結果として引きこもっていた骨剣士は洞窟から引き摺りだされたというわけだ。
何ともカオスなグループである。
「――あのぅ、そろそろ説明に入ってもいいですかね?」
薄暮の領主邸宅前にて。
そこかしこで身内コントが繰り広げられる中、唯一まともなバイトは本題に入ろうとタイミングを見計らっていた。
いきなり領主へ話しかけるのは気が引けたのか、彼女が初めに協力を仰いだのはクロカミ。
頼りがいのあるこの先輩は今、ちょうど骨剣士とふざけ合っているところだった。
どうやら両者間の不仲は、骨剣士の天然ボケでとっくに解消されたらしい。
和気藹々とした雰囲気を纏ったクロカミは、豚骨を被ったままバイトを見る。
「……あれ、もうビジネスの話に入っちゃう感じ?」
豚の鼻骨を伝声管にして、クロカミはくぐもった声を発した。
一歩退いたその口調から推測するに、未だボケが不完全燃焼だったようだ。
真面目モードへの移行に、彼女は否定的だった。
「そんなに急ぐ用事じゃないと思うんだけどなー」
だが、もう一人の受付嬢だってそれ相応の言い分があるというもの。
目をこすり、バイトは意見を口にした。
「さすがに朝早くから長話をするのは非常識ですので、クエストの契約だけでもまとめてしまいたいんです」
「あー、仕事は仕事で先に片付けちゃおうってことね」
「それもあるんですが……わたし、もう結構眠たくてですね」
「――わっ、ごめーん! そこまで気が回ってなかった!」
「いえ、いいんです……」
そう言ってバイトは欠伸を噛み殺す。「……クロカミさんからは、いろんなことを教わっておきたいので」
このバイトの一言は、クロカミにとっていい気付けになったらしい。
健気な後輩からのストレートな敬意ほど、甘く温かいものはないのだ。
「――よし、わかった」
意気込み万全。
手札も良好。
やっと業務を行う気になったクロカミは、自分の胸をぽむっと叩く。
そして、目を開けているのも困難そうなバイトに向かって、彼女はこう決意を口にした。
「バイトちゃんは休んでなよ。後のことは私に任せてさ!」
「……え?」
「遠慮しなくていいよ。
さっき洞窟で私の代わりに交渉してくれてたし、困った時はお互い様。
領主を説き伏せるのは、私が全部やっておくから」
「ははは……じゃあ、お言葉に甘えますね」
ふらふらとおぼつかない足取りのバイトと入れ替わる形で、クロカミは前に出た。
右隣には、件の骨剣士。
正面には、領主と彼が雇用している従業員が数十名。
彼らの視線は、一様にクロカミの唇へと注がれている。
その場の誰もが彼女の解説を待っていた。
なぜ、本クエストに最適なソードマスターとして連れてきたのが、よりによって人外の骨剣士なのか。
人間のクエストを解決するのは同じ人間である、と思い込むステレオタイプたちにとってこれはあまりに難問だった。
頭がいいことで有名な領主でさえ、しかめっ面で理解しかねている様子だ。
いくら悩んだとて、彼らの脳裏に答えが出ることはない。
だから、彼らは待った。
口を閉じ、唾を呑み、解答権をクロカミに委ねた。
静寂な空気が辺りに立ち込める。
山陵から額を覗かせた太陽は、下界に恵みの光を注いでいく。
地に落ちた影は竦み、人々の肌には色彩が戻っていた。
朝が来た。
またいつもの一日が始まった。
話を切り出すタイミングとしてはまさに絶妙。
この機会を逃す手はない。
クロカミは、にやりと笑ってみせる。
「では、クエストの契約を結ぶにあたって気になるポイントについて、私の方から説明させていただきますね」
「……あぁ、頼む」
右手の人差し指で、領主は腕組みをしたもう片方の腕を叩いている。
その指は苛立ちのあまりか、ポップス顔負けの高速ビートを刻んでいた。
あと一回でも領主の機嫌を損ねたらヤバい。
直感的に危機を察知したクロカミは、今の状況をかいつまんで整理していくことにした。
「――そもそもこのクエストは、人間とモンスターが手を組むという異色な内容となっています。
本来であれば敵として相対する立場ですから、互いに互いを信用できないのが各人の心情でしょう。
……その気持ちはよくわかります」
しかし、と彼女は言葉をつなぐ。
「だからと言って、クエストを棄却する必要は全くありません。
なぜならモンスターが剣の師匠となることには、双方へメリットが生じるからです」
「……?」
領主の頭上に疑問符が浮かんだ。
きっとメリットなど一ミリもないと勝手に踏んでいたのだろう。
領民を取りまとめる立場にいる彼は、性質の異なる者同士が接触することで起こるトラブルが如何に面倒かをよく知っている。
相手が化け物となれば猶更だ。
しかも「双方に」と聞いて益々疑念が深まったらしい。
こういう胡散臭い取引は、大抵取引を勧められる側が得できるかのように伝えられるからだ。
「……モンスター側にもメリットがあるというのか」
領主は訊ねる。
「えぇ、ありますよ」
順を追って、クロカミは説明していった。
洞窟でバイトが語ったのとまったく同じ理論を、だ。
余裕たっぷりに彼女は言う。
「まず、アンデッドスカルナイトさん側のメリットは何か。
それは、人界の貨幣を手に入れることができる点にあります」
「金だと?」
ぴたりと領主は動きを止めた。
どうやら予想外の答えだったらしい。
「モンスターにそんなものを渡しても無意味ではないのか?」
クロカミは首を横に振る
「いいえ。モンスターの間でも物品の取引はありますからね。
物々交換がほとんどだとしても、貨幣でのやり取りは日常的に行われているんです」
そうですよねー、とクロカミは骨剣士の方を振り返り、話を振った。
「モンスターもお金、欲しいんですよねー」
頷いた骨剣士は、顎の関節を鳴らしてゆっくりと口を開いた。
「……あぁ。
人界の貨幣は管理がしっかりされている分、モンスターが鋳造した貨幣に比べて信頼性が高くてな。
此方の界隈でも取引でよく使うのだ」
「モンスターってしょっちゅう偽造とかしてそうですもんねー。
そりゃ価値が下がるのも無理ないわー」
「しかし、我々のような怪物が人界の貨幣を手に入れるには、遺憾にも方法が限られていてな。
旅人の荷を襲うか、命乞いをする冒険者から巻き上げるかの二択しかないのだ」
「……で。その方法を取るのはアンデッドスカルナイトさんにしても不本意である、と?」
「騎士道を志す者として、死して尚誇りを持って剣を振るうのは当然のこと。
我は、正当な手段で金を得たいのだ」
「はーい、よくわかりましたー」
人間に仇なすモンスターであっても、人間が作ったお金は欲しい。
社会に浸透していなかったその実情が決定打となり、骨剣士の心をオトすことができた。
この事実は極めて重要だ。
なにせ、依頼者である領主が骨剣士の真摯さを判断する、数少ない材料になるのだから。
「そういうわけで」
再び前へ向き直ったクロカミは、この事実をアピールすべく大袈裟に両腕を広げる。
「このアンデッドスカルナイトさんは……名前長いな……もとい骨剣士さんは、綺麗なお仕事で金を稼ぎたいがために、快くクエストを引き受けてくれたわけです。
ご理解いただけましたか、クソ領主?」
「……そうか」
黙って耳を傾けていた領主の第一声は、岩に染み入るかのような響きでいやに落ち着いていた。
「なるほどな。
ソードマスター殿が貴様の口車に乗った理由は、一先ずよく分かった」
優しい口調だった。
しかし、その声の端からは彼の威厳がプレッシャーとして粛々と放散されていた。
何か詰問しておきたいことでもあるのだろうか。
骨剣士がクエストの話に乗ってきた理由については、とっくの当に陳述された。
だとすれば、おそらく彼が気になるのは別のことだ。
依頼者として受付嬢に保障してもらいたいものとして、考えられるのはただひとつ。
それは。
「では訊くが、女」
「なんでしょう?」
「――私の方にもメリットがある、という話も本当なんだな?」
「…………もちろん」
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