「えぇっ!」
人生で一度も出会った経験のない異人。
それと初めてご対面したバイトは、ひときわ大きな声で驚愕した。
「サキュバスって、あのちょっとエッチで有名な……」
「しーっ!」
口に指をあて、静かにするようクロカミは促した。
慌ててバイトは、両手で口を塞ぐ。
「……二本の角に一本のしっぽ。それが彼女らの象徴だからね。
ああいう合図で名乗る人が、この町にも割かし居るんだよ」
個室の使用記録を付ける片手間に、クロカミは小声で説明してくれた。
「まぁ、同じ特徴を持つ種族に『獣人』ってのもいるけど……彼らの場合、大手を振って通りを歩けるくらい社会的地位を確立してる。
でも夢魔の場合は、まだ白い目で見られることが多いんだ」
そうか。
だからあのお姉さんは、フードを深く被って気配を消しているのか。
彼女が顔を隠す理由に納得し、バイトは待合スペースの方を見た。
人の精気を糧に生きる、淫欲に塗れた穢れた存在。
男性を誘惑し、堕落させ、破滅に追い込む悪魔の亜種。
宗教家からすれば、彼女らほど厄介な種族は現世にいない。
結果、彼女らは迫害された。
いわれのない罪で投獄され、尾ひれの付いた噂によって物を売ってもらえない日々が続いた。
負の記憶は血にこびりつき、彼女らの生き方に枷を嵌める。
人が怖くて、当然だ。
「――で、バイトちゃんは裏クエストって知ってる?」
「……!」
ハッとして、バイトは意識を現世に引き戻した。
目の前のクロカミは、ニコニコと笑っている。
この表情の感じ、もしかして新たに仕事を仕込む気だろうか。
一言一句聞き漏らさぬよう、バイトは顎を引いた。
「今、なんて仰いました?」
「バイトちゃん、話聞いてた?」
「……すいません」
ジャグリングの要領で、クロカミは鍵を弄んでいた。
宙を舞う貴重品は、一回転二回転した後、彼女の背面受けによって無事手に収まった。
「――――裏クエストって、バイトちゃんは知ってる?」
「何ですか、それ」
思わずバイトは、首を傾げた。
初めて聞く専門用語。いったいどんな意味なんだろうか。
クエスト受付のド素人は、クロカミの二言目を待つ。
すると、
「――ざっくり説明するとだな」
どこかから天啓が降りてきた。
名を伏せし彼の男は、頼まれてもいないのに雄弁に説明を施していく。
「裏クエストってのは、『顧客の個人情報から依頼内容まで、一切合切を秘匿しておくクエスト』のことなんだよ」
「へぇー」
「まぁ、酒場の裏メニューみたいなもんでさ。『実力と信用に足る冒険者でないと契約できない』仕組みになってるんだ。
――あ。ちなみにこれ、俺の発案ね」
「そんなのがあるんですか…………って、誰ッ‼⁉」
ようやくバイトは、声の主へ目を向けた。
いきなり用語解説を挟んできたのは、カウンターに寄りかかるこの男。
……営業の仕業であった。
「お疲れ、バイトちゃん」
そう言って彼は、酒場からくすねたスナック菓子を食べる。
まったくこの営業、毎回毎回ステルス全開で現れないでほしいものだ。登場する度にひやひやして心臓に悪い。もっと普通に現れることはできないのだろうか。
「――営業さん! びっくりさせないでくださいよ!!」
目立ちたがり屋な男性職員に、バイトはプンスカ怒りをぶつけた。
「やっぱ仕事しない給料ドロボーは、潜伏の技能も高いんだね。感心するよー」
クロカミも便乗する。
バイトとクロカミの双方から攻撃されたことが不服だったのだろう。
営業は口をとがらせた。
「傷つくなぁ…………俺だって、働いてるときは働いてるんだぞ。
そりゃもう、ビシビシッとだな――」
「アンタ、休日のお父さんと同じこと言ってるよ?」
「……それ、俺が所帯を持てる可能性を示唆している、という解釈でオーケー?」
「うーわー、すーごい自信ですね、マジ阿呆の神ですわ」
童話の狼のように悪い顔で、クロカミは同期を嘲笑した。
「どこから来るんですかね、その妄想力は。もしや、週五ペースで風俗に貢いでるのがそんなに誇らしい?」
「おいおい、俺を愛してくれる人がいるんだぞ。金くらい幾らでも払うに決まってる」
「いつまで自分がモテてると勘違いしてんですかねー、このカス野郎が。金なし・能なし・根性なしのくせに、しゃしゃってんじゃねぇぞ?」
「ほー……酒浸りの性悪女がよく言うぜ(怒)」
両者の罵り合いは段々とヒートアップしていった。
縄張り争いをするカラスのごとき悪口の応酬は、もはやバイトの手に余るほど醜く、酷い。鬱憤が燃え尽きるまで、彼女らのやり取りは止まらなさそうだ。
営業は口を開く。
「……言い残すことはそれだけか、クロカミさん?」
「やだなー、そんなわけないでしょー。煽るなら最後まで煽り倒すのが、私のポリシーだものー」
そう言うとクロカミは、大層丁寧に待合スペースにいる女性を手で指し示した。
ニヤリと口角が上がる。
「――ナンパしてきてよ。
成功したら気の済むまで土下座してあげるからさ」
「――よし来た、任せろ。
世界は俺を中心に回っている」
「二人とも、ノリが軽すぎませんか!?」
弾むように踵を鳴らし、営業は例の女性客に近づいて行った。おそらく相手に気付いてもらうため、わざと音を出したのだろう。
これが功を奏したのか。他人の接近を察知した女性客は、ふっと少し顔を上げる。
二人の目が、合った。
「――あーっ! 営業さーん!」
「――げ! リリスちゃん!?」
街角で十年ぶりに出会ったかのような声が上がった。
もしやこの二人、実は知り合いだったのか。
現にさっきまで無色な雰囲気を漂わせていたサキュバスは、営業の顔を見るなりパァッと眼を煌かせる。
「そっかぁ、ここで働いてたんだね。
知らなかったよ、ウチではプライベートなこと話してくれないから……」
親密な口調で接するサキュバスのお姉さん。
対して、
「――そーだなぁ! 会うのは五年ぶりくらいだよなぁ!!」
なぜか営業は冷や汗をかいて話をしていた。
心なしか、動きも何処かぎこちない。
「最近は全然会ってなかったもんなぁ!! 連絡もしなくてごめんなぁ!!!?」
「……もぅ、ど忘れが過ぎますよ。
つい昨日も来てくれたじゃないですか、高級葡萄酒を三本も空けて…………」
「――おう! そういうわけでクロカミ! 俺はちょっとこの幼馴染と話しがあるから、後で個室に連れてくわ!
じゃあリリスちゃん、外行こうか外!!」
そうして。
営業はリリスの背を押すようにして、そそくさと玄関から外へ出て行ってしまった。
カウンターに残された受付嬢たちは、白けた目で彼を見送る。
「……確実に行ってますよね、お店」
「あの様子だと、きっとゴールド会員だねー。相当に貢いでるんだろーなー」
しばらくして。
バタァンッと激しく戸板が鳴り、扉に付いたベルが揺れた。
玄関の扉が開いたのだ。
「……営業さん、戻ってきましたね」
「乱暴な開け方だなー。今度、注意してやらにゃ」
肩で風を切る勢いで歩いてきた営業は、何やら深刻そうな顔をしていた。
受付カウンターのところまで一息で来た彼は、重大事件発生とでも言いたそうな顔でクロカミに訴えかける。
「――大変だ、クロカミ!」
「どーした、ゴールド営業」
頬杖をつくクロカミは、もはや話半分にしか聞くつもりがないらしい。彼女の眼は死んでいた。「三股でもバレた?」
ダメだ、おふざけ体質のクロカミでは話にならない。
もっと真面目な仲間が必要だ。
そうして営業が代わりに目星を付けたのは、まだ営業の性格をよく知らない新人のバイトだった。
まだ仕事に情熱を燃やせる体質の彼女であれば、あるいは協力してくれるかもしれない。
勝手にそう推測したのだろう。
息も絶え絶えに、営業はバイトに縋りつく。
「大変なんだよ、バイトちゃん!」
「……すごい慌てているみたいですけど、トラブルでも起こったんですか?」
「そうだよ、危機的状況なんだ!」
「と、言いますと?」
「王国の幹部連中にはロクな奴が居ない……そのことを思い知らされたぜ、チクショウ!」
「……いったい、どんなトラブルが起こったんです?」
ゴクリと生唾を呑み込むバイト。
営業は、こう訴えた。
「このままだと歓楽街が――――サキュバスの店が潰されちまう!」
「…………はい?」
ついにゴールド営業、バイトから愛想が尽かされるか!?
次回にご期待ください!
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