特別番外編④「ビターな大人」
昼休憩時。
スタッフルームにて。
営業の独白からそれは始まった。
「最近、コーヒーにはまってるんだ」
ちょっとしたキッチンで、彼はコーヒーミルに手をかけていた。
手元には買ったばかりの小さな豆袋。円錐形にカッティングされたフィルター。お湯の入ったケトル。そして、二つのカップ。
用意周到に揃えられたグッズたちは、ダイニングの空いたスペースに整列させられていた。
あまりに唐突な発言だった。
席に付いていたバイトは、本能的に苦笑いをする。
自己防衛のためだ。
「……へ、へぇー」
「あれ。なんか反応薄くない?」
「そうですか?」
「そうだよ。薄いよ」
あれれー、と予想以上に後輩が食いついてくれない現実に、営業は首を傾げていた。
しかし、これは正常な反応だろう。
訊いてもいない趣味を朗々と述べられても、聞かされる方としては感想に困るだけ。方向性が合わない限り、会話なんて弾むがはずがない。
それでも、なるべく相手の気持ちを汲み取ろうとする質だったからか。
「――どんなところがお好きなんですか?」
バイトは訊ねてみた。
「それはだねぇ」
勿体ぶるように顎に手をやって、営業は答えた。
「――ズバリ、『お洒落なところ』だよ」
「おし……?」
「そう。オシャンティ」
「……?」
「ファッショナブルでしょ。やっぱり」
「あー、そっち系の動機でしたか」
クラシック音楽を聴いてる俺イケてるよなぁ、だとか。
趣味が高じたマッサージ術があれば男を籠絡できるかしら、だとか。
菜食主義を貫けば、儂は天国に行けるのじゃ、だとか。
そういった下心丸見えの状態で、新たな世界に身を投じる人は多い。
もちろん、理由に甲乙つける必要性はない。浅い理由から入って一流になる人間は一定数いるものであるし、どんなに高尚な目的があっても挫折する人は挫折するものだ。
何かを愉しむこと自体は、取り立てて悪いことではないのだろう。
問題は、彼が自らの趣味を一種の「万能道具」であると思っている点。
大人っぽいことをしていれば、自分がより魅力的になると勘違いしている点にあった。
つまり。
なおも営業は、モテたかったのである。
「コーヒーが好きな男はカッコいい、っていう女の子がいてねぇ」
じゃららっ。
ミルに豆を投入し、彼は言う。
「シェスカって名前の商家の娘さんなんだけど、その子がまぁ可愛くてさぁ。今度、お家に招かれることになっちゃって!」
「もしかして、そこでコーヒー好きをアピールするつもりなんですか?」
「ソユコト! 簡単に話題を共有できるし、お近づきになるには最適な趣味でしょ?」
ははは、とバイトは乾いた笑いを浮かべた。
「……でも、うまく行きますかね?」
「だーいじょうぶだよ。こう見えても俺、けっこう手先が器用でさ。ここ何日かで淹れる腕がメキメキ上達してるんだ!」
「付け焼刃とかって、すぐ見抜かれちゃうものですよ?」
「厳しい意見だなぁ」
そこまで言われて、急に不安になったのだろう。
何としても女子の前でカッコつけたい営業は、ぱっとバイトの方に顔を向けた。
「……バイトちゃんって、コーヒー淹れられる?」
「え。あ、はい。お茶汲みなら一通りできますけど――」
借金取りに追われ、捕まった際。
闇金業者の幹部連中にコーヒーを淹れて回ってました。
そのおかげで売られることもなく、隙を見て逃げおおせることが出来ました。
だから、コーヒー淹れるのが得意なんです。
そんなエピソードトークを展開する暇もなく。
「よっしゃ!」
パンッ。
軽快に手で膝を打った営業は、面食らうバイトにこんな提案を持ちかけた。
「じゃ、こんな頼みを聞いてくれないかな!」
「はい?」
「んで、できれば開いてくれ!」
「……?」
「すべての仕事が細やかな新人ちゃん直伝、『美味しいコーヒーの淹れ方』講座を!!」
「え、えー…………え?」
かくして。
昼休憩の三十分。
バイトによる優しく易しい指導が始まった。
「この豆は華やかな香りを愉しむタイプですね……そうです。破砕する時は一気に挽き切ってください。
果肉や胚に内包された香りも弾けさせたいので」
「なるべく粉は、表面が平らになるよう均等に入れてください。
お湯を注す時は、中心から渦巻き模様を描くように……慎重に、まんべんなく……それで少し蒸らして……はい、注いでください」
「濾過槽が出来たら、なるべくそれを削らないように意識して、三回程度に分けてお湯を注いで。
……あ! ドリップの時、ろ液をイチイチ落とそうとしちゃだめです、渋みが出ちゃうので……継ぎ足すイメージでお願いします」
「コーヒーを入れるカップは、あらかじめ温めておいた方がいいですね。
今回はお湯を直接入れて温めましたけど、次からはお湯を張ったボウルで容器全体を温めるといいですよ。
そうすれば、長く香りを楽しめますから」
そして。
試飲。
「―――うーん、かなりうまく淹れられたと思うんですが、意外に雑味が出てますね。
営業さんの腕は良かったので、もしかしたら豆自体に問題が合って……焙煎の管理が甘かったのかも……」
「ちなみに、営業さん。この豆、どこで買いましたか?
……あー、三番通りのお店……よくわからないから、とりあえず高そうな豆を買った。
……なるほど。その考え方は、ちょっと危ないですね」
「ブランドだけ見て買っていると、むしろ思った味が出せないことが増えちゃうんですよ。
身の丈に合った、という言い方も変ですけど、まずは一度別の商品も試してみるのもいいかもしれませんね」
「あと、本気でコーヒーを美味しく淹れたいのであれば、焙煎職人さんと仲良くなって、豆の産地、使う道具、カップの装飾にも気を遣うといいですよ。
『食事は舌だけではなく、目でも味わうものだ』とよく言いますからね…………」
そして。
無事にバイトによるコーヒーの淹れ方講座を完走できた営業は、ぐでっと机に突っ伏した。
圧倒的な疲労感。
それを身体で表現しながら、彼は一言述べた。
「――――めんどくさいね、コーヒー淹れるのって」
「慣れてしまえば、それほど大変じゃなくなるんですけどね。こだわるポイントが多いので、趣味にされる方が多いのかと思います」
自分の教え方が不味かったのか、とソワソワするバイト。
恐る恐る、彼女は訊いた。
「……で、どうでしたか?」
「何が?」
「その、コーヒーを御趣味にされることについて……です」
くわっ、と営業は眼を見開く。
「止めときます! 軟弱な俺にはムリ!!」
「……す、すいませんでした。わたしが下手なご指導をしたばっかりに――!」
「いや、教え方は丁寧だったよ。
俺がコーヒー淹れるの諦めた理由、そこじゃないんだ」
「……?」
キョトンとした表情で、バイトは営業の眼を凝視した。
どういう意味だろう。
今までの流れの中で、営業がコーヒー嫌いになるきっかけなんてあっただろうか。
すると。
カップに残った黒い液体を飲み干した営業は、思考回路がショート気味のバイトに向かって口を開いた。
苦いものを食べた後には、甘いものを食べるに限る。
そんな世間一般の概念に呼応するかのように、彼はねっとりとした声で囁くのだ。
「…………ほらさ。
『ガールフレンドが淹れてくれた方が、どんな飲み物もうまくなる』って。
わかるでしょ、この気持ち?」
バイトは黙っていた。
ただただ黙って、己の両腕を擦っていた。
……彼女は言った。
「―――営業さん。寒い、です」
営業は悲しそうな顔をした。
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