「生前の話ではあるが、我は正真正銘のソードマスターだ」
深みのある声で、彼は己を語っていく。
「過去の冒険者登録票を見直せば証明できる……と言っても、この朽ちた身体では疑うのも無理はないか」
剥き出しになった骨格を覆うのは、ぼろぼろに擦れた黒マント。
戦士の誇りである長剣を携えているとはいえ、明るい場所で見た時の骨剣士の出で立ちは燃え尽きたゴムのように悲惨だった。
それでも彼の背中には風格があった。
その手には強い信念が固く握られていて、その足は己の内に巣食う惰弱な心を踏みつけて離さない。
かつて人であった頃、彼が壮絶な人生を送ったことは想像に難くない。
でなければ、飢えた獣のような闘争本能と冷静な執政官のような理性を同居させる術を彼が知っているはずがない。
ひとたび気迫を感じればわかる。
二度の人生において、骨剣士は唯の一つも嘘を吐いたことがなかったのだ、と。
「――山での修行中、老衰で我は死んだ。
その後、何の因果かアンデッドとして蘇った」
自分の身分をどう証明したものか悩む骨剣士は、様々な方面からのアプローチを試みていた。
顎に手を当て、彼は呟く。
「我が生き様、全て話せばわかってもらえるか。ちと長いがな。
それが駄目ならば、八胴斬りでもして見せようか。
技を見せれば一目瞭然だろう」
言葉の節々から骨剣士の謹厳な性格は知ることができた。
ここまで言われてしまったら、追及を続けるのは野暮というもの。
引き際を見誤ることなく、速やかに領主は質問を撤回した。
「……いえ、もう証明は十分です」
そう言って彼は右手を差し出す。
「失礼なことをお聞きして、誠に申し訳ございませんでした。
ぜひ、息子に稽古をつけてやってください」
「うむ、承知した」
自分に向けられた猜疑心が晴れたからか、骨剣士の肩からは力感が抜けていた。
得たりや応と握手を交わした彼は、ペコリと領主に頭を下げる。
「我も最善を尽くす……貴公の嫡男を一人前の戦士に育てて見せよう」
「息子をよろしくお願いいたします」
かくして。
今回のクエストは、人間とモンスターが手を組むという破天荒にも程がある方式で、恙無く契約が結ばれる運びとなった。
異種生物同士、本来であれば敵にあたる者同士で互いの利益のために協力する。
歩調の合わせ方としては少々変わった形なれど、人間とモンスターの関わり合い方に多大な影響を与えるのは間違いない。
ひょっとしたら両者間の溝を埋める足掛かりになるかもしれないのだ。
そういう意味では、今回のクエストは現代社会に一石を投じる取引であったと言えることだろう。
歴史的に見て大きな一歩を、領主と骨剣士は踏み出していたのである。
「――それでは、屋敷の方へご案内させていただきますね」
クエスト締結を祝い合った後、すぐに領主は客人をおもてなしする準備に取り掛かっていた。
浮かれている暇などない。
今回の依頼における本来の目的は、息子へ一流の剣術を教えることなのだ。
いつの間にか主導権を絡め取っていた領主は、テキパキと話を進めていく。
「今、案内のできるメイドを呼びます。契約書へのサイン等については、暖かい室内で行いましょうか」
「あぁ……しかし、肝心の童子がいないな。
我が剣を伝える以上、一刻も早く力量を確かめておきたいのだが」
「わかりました、でしたら暖炉のある部屋へお通ししますので、そこで暫しお待ちいただけますか。
すぐに息子を連れて行かせますので」
「そうか、あいわかった」
「ご理解いただきありがとうございます……おい、そこのメイド。
剣士様を談話室へお通ししてくれ」
一分後には、正門前から人気はすっかり消えていた。
非番の警備兵は宿舎へと戻り、野次馬として出て来ていた従業員たちは朝の仕事に身を入れ始め、何名かいたメイドは骨剣士を豪邸の上階にある談話室へとお連れしてしまっていた。
つまり、今この場に残っているのは領主と彼を補佐するメイド一名。
それに加えて、バイトとクロカミ。
計四名だけだった。
……そのうち。
ふと領主が口を開いた。
「――さて、そこのクロカミ」
「え、久々にあだ名で呼ぶとか何、凶兆?」
「その認識でいい。
なぜなら貴様は、まんまとこの私を嵌めてくれたのだからな」
そう言うと領主は、ずいっと受付嬢二人に接近した。
獲物を射竦める獅子のような眼力で。
わずかな筋肉の動きでさえ見極めてしまう白頭鷲のような眼力で。
彼はクロカミを掴んで離さなかった。
「……他の者は大団円だと思っているようが、私は騙されんぞ」
「何がです?」
「恍けるのは止せ」
しれっと事もなげな顔で口笛を吹くクロカミへ、領主は厳しく筆誅を加えた。
こんな風に。
「――貴様が紹介した彼は、厳密には元ソードマスターだ。
あくまで称号というのは生者が所有するものであって、死後も所有し続けられるものではない。
その点を誤魔化したな、女」
この指摘にはさしものクロカミも泡を食ったらしい。
すぐさま論陣を張り、彼女は迎撃態勢に入る。
論争開始だ。
「誤魔化してなんかないでしょー?」
扇情的にクロカミは主張する。
「異名は死後も付いてまわるものじゃないですか!」
「貴様、この期に及んでまだ足掻くのか」
その様子を見た領主は呆れ返っていた。「……愚かにも程があるぞ」
「だーってさ!
現にこの間死んじゃった永世チェスマスターの称号は、墓石にも彫られてるんでしょ!?
それが何よりの証拠じゃない!」
「……モンスターと人間は、完全に別の生命体だ」
「どこらへんが?」
「……例えば、だ。
とあるゾンビのことを『あれは料理の魔人として恐れられるゾンビだ!』などと貴様は呼ぶのか?
呼ばないだろう?」
「ゾ……ゾンビだって包丁を持ってサーモンを捌くかもしれない!」
「屁理屈はいい、煩いから静かにしろ」
決着。
この論争、領主の勝ち。
官軍となった彼は、これ見よがしにオールバックに固めた髪型を両手で整える。
「――朝から貴様のバカ騒ぎに付き合っていては、午後の業務に支障が出る。
だから早々に黙れ、カラス女」
「なにをー!」
ギャアギャア喚くクロカミを放置し、彼は颯爽と身を翻す。
「――今日のところは見逃してやる。
そこらのソードマスターを雇うよりも遥かに良い人材を回してくれたからな。
その点だけは特別に誉めて遣わそう」
城へと帰る間際、
「あぁ、そうだ」
たった今思い出したように、領主は言った。
「――頑張った貴様らにはボーナスをくれてやらねばな」
懐から取り出したのは、茶色の小包。
手のひらサイズのそれを、彼はクロカミへ投げて寄越した。
「そーら、待ちに待ったボーナスだ。
受け取れ、女」
「う、わ!」
無造作に放られたそれを、クロカミはなんとか両手でキャッチする。
「へぇ。思ったより軽いけど、中身はちゃんと入ってそう!」
重みからして貨幣ではない。
かといって、八桁の数字が書かれた小切手でもなければ、土地の権利書でもない。
そんな感触をクロカミは手に味わっていた。
躊躇なく、彼女は包装を破いていく。
「なーにが入っているのか……」
そう言いかけて。
クロカミの表情が強張った。
「……な?」
小包の中にあったもの。
それは、白くてぶよぶよした立方形の物体だった。
気温によって半分融解するそれは、ぬらぬらと照り輝く液体を撒き散らし、包み紙にシミを作っていた。
野性味のある香り。
よく見てみると赤身が入っているこの物体。
その正体を、クロカミは後輩に訊いた。
「……これは?」
バイトは答えた。
「…………牛脂、ですね」
乾いた秋の風が、二人の間を駆け抜ける。
虚しい空気感。
期待が外れたがっかり感。
しかし、だからといってこの領主が気を遣うわけがない。
ため息を吐く彼女らに対し、高笑いをしながら彼はこう言った。
「――いい働きぶりだった。
今後もよろしく頼むぞ、次の報酬は『牛の蹄』にしてやろう」
「……! ……!!」
振り上げた拳をプルプルと震わせるクロカミ。
腕力に自信のある彼女は、今にも此方に背を向けた領主に襲いかかりそうな形相をしていた。
しかし、今は朝の六時。
このままトラブルを起こして残業すれば、昼夜逆転どころか完徹状態になってしまう。
……なので。
「クロカミさん、クロカミさん」
怒りで周りが見えなくなっている先輩の肩を、バイトは優しく突いた。
微睡んだ表情で、バイトは言う。
「もう帰りませんか。
わたし、そろそろ寝落ちしそうなんです」
「止めないでバイトちゃん!」
半泣きでクロカミは、ヒステリックなおばさんみたくハンカチを噛む。
「他人を小馬鹿にするのが趣味のアイツは、一回殴っとかなきゃ私の気が収まらないんだ……!」
もはやこの時のクロカミは、言葉による説得は不可能らしかった。
そして、バイトのおねむも限界だった。
……回らない頭で、バイトはごり押すことにした。
「クロカミさん」
「ちょっと待ってて、バイトちゃん! 今から私があのヤローの首を手刀で取ってきてあげるから……!」
「――眠いんです、わたし」
「いや。
だから一回だけでいいから、私はあのクソ領主に正義の鉄槌を……」
「――眠いんです、わたし」
「…………はい」
こうして。
無事にクエストを締結させたバイトは、アパートに直帰した。
そして、雑に制服を脱ぎ散らかすと、そのままベッドへ倒れ込む。
布団にくるまった彼女が寝息を立て始めたのは、それから僅か二秒後のことであった。
【業務報告】
依頼者の許諾を得たため、本クエストの契約は完了。
契約者がモンスターであるため、以降は事故防止のために定期的なカウンセリングを行うこととする。
が、依頼者の息子が既に契約者に懐いているとの情報あり。
トラブル発生のリスクは低い模様。
また、当受付所職員のクロカミは、ボーナスの牛脂を料理に処分したとのこと。
初めは美味しくいただこうとしたようだが、ギトギトな牛脂のパスタがあまりに冒涜的な見た目だったため、人柱として営業の口へ詰め込み、これを抹消。
営業は体調不良を訴えているが、いつも通り夜の異性交遊に励んでいることから虚偽である可能性が高い。
よって、備品庫の胃薬使用権を彼から剥奪する。
以上。
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