どんな会社にも資金が必要だ。資本が必要だ。
肥沃な大地がなければ農作物は育たないように。燈火がなければ鉱石を採掘することはできないように。礎がなければどんな物事も、うまくはいかないのである。
無論。その絶対的法則は、異世界にあるクエスト受付所にも当てはまる。
会社を運営していくため、彼らにもまたパトロンが付いていたのである。
「お客様は神様である」とまでは言わないが、資金援助をしてくれている者へ尽くさなければならないのはビジネス上の至上命題。
ゆえに。
受付所の職員たちは、如何なる時もパトロンの無茶ぶりに出来る限り応えなければならなかった。
今回は、そんな話である。
それは、一通の手紙からはじまった。
「…………げっ、最悪」
「どうかしたんですか?」
げっそりした表情で、営業がとある手紙を凝視していた。
いったいどうしたというのだろうか。腹痛で苦しむ中で断水のお知らせを目にしたときのように、彼は眉間にしわを寄せている。
その姿をバイトは少し不思議に思った。
「何かあったんですか?」
……現在。
スタッフルームにて、バイトは書類整理を行っていた。
クエストの授受で発生する申請書や報告書を仕分けて纏める作業は、勤続二週間足らずのバイトには煩瑣な仕事だ。
真面目な性格もあって半分は終わらせたようだが、続けざまにもう半分に着手できるほど彼女に体力はない。
だから彼女は休憩を挟んだ。
肩を叩いて一息つき、そのついでにふと横に視線をやる。
そうしてたった今、バイトは営業が絶望しているのを知ったところだった。
何の気なしに、バイトは訪ねてみる。
ヤバイことでも起こったのか、と。
「……いや、ちょっとね」
憔悴しきった営業は前髪をかき上げる。「……ちょっと厄介な奴から依頼書が送られてきたんだよ」
「え、それってアリなんですか?」
――依頼書が郵送で来る。
それはバイトにとって、自身が入念に読み込んだマニュアル内容にそぐわない回答だった。
確かにクエストを依頼するに当たって、依頼者本人が受付所に来ないケースというのは存在する。
だがそれは営業が先方に赴いてサインを貰ってくるから成立するケースなのであって、正しい手順を踏まずにクエストを依頼することは不可能なはず。
この掟破りの手紙の存在に、バイトはいぶかる気持ちを拭えずにいた。
「郵送って依頼者の方を後日お呼び出しすることになるので、結局は二度手間になるとクロカミさんから聞いたんですが……」
「あー、今回は特殊事例なんだよ。なにせ相手が『領主』だからね」
「リョウシュって……え! まさかこの辺り一帯を統治している、あの『領主』ですか!」
「その通り。だから特別対応しなきゃダメなんだ」
至極面倒くさそうに、営業は顔を歪めていた。
どうやら手紙を送りつけてきた領主とやらは、クエスト受付所の人間から相当に嫌われているらしい。
彼の態度からそれはすぐに分かる。
というわけで。
前触れなく、面倒事の爆弾ゲームは始まった。
「おーい、クロカミ!」
まずは営業が仕掛けた。
ちょうどスタッフルームに立ち寄っていたクロカミを見つけるなり、彼は手紙を見せつける。
「これ見てくれよ。領主のヤローから、また無理難題が届きやがったんだ」
「どれどれ…………うわー。今回もまた酷い内容ね」
「だろ?」
「……で。これを私に見せてどうしたいわけ?」
「お前がやってくれよ、クソ領主の接待をさ」
「悪いけどパース」
ぐいっと手紙をクロカミは押し返す。
「私だってあのバカ面拝むのイヤなんだよー」
「そう言わずに頼むよぉ。だって受付嬢の仕事の範疇だろぉ、こーゆーのぉ」
「ウザい! 触んな! 近寄んなー!」
「そう言うなって……ほい、頼んだぜ!」
「あっ、ちょっと! 押し付けていかないでよ!!」
勝負の軍配は営業に上がったようだ。
一瞬の隙を突いてクロカミのうなじに手紙を滑り込ませると、営業はバックステップで素早く距離を取る。
「いやぁ、つくづく俺が受付嬢じゃなくてよかったと思うぜ。こんな難題、向こうを満足させられるわけないからな」
そう言って裏戸に手をかけた営業は、にやりと笑ってドアノブを回す。
「……んじゃ、後頼むわ。俺には次の取引先との会合があるんでねぇ」
「あ、ちょっと待て、このバカやろー!」
クロカミが追いかけようとするも、時すでに遅し。
風のように去った営業に追いつける者などおらず、開けた時の勢いで裏戸の蝶番はキィキィと軋んでいる。
だめだ。逃げられた。
「――くっそ、やられたー」
両手で顔を覆うクロカミは、怨念めいた声で独り言を呟く。
「まぁ、仕方ないかー。とりあえずアイツの持ってるハンドクリームには、特製のデスソースを配合するとして……」
「ちょっとバツが重すぎじゃないですか?」
「いいのいいの。辛くて痛いのはご褒美みたいなトコあるから、アイツ」
「……え?」
「それより、バイトちゃん。今ヒマ?」
服と背の間に刺さった手紙を引き抜いたクロカミは、前触れなくそう言った。
キョトンとバイトは硬直する。
「えーっと。
さっき営業さんから頼まれた書類整理が、まだ半分しか終わってないんですけど……」
「あー、それなら大丈夫。後で私も手伝うから放っておいて」
クロカミがいったい何を企んでいるのか。それは愚直なバイトでも、だいたいの見当は付いていた。
怠け性の営業が仕事に逃げるくらい、超面倒な依頼が書かれた手紙。
話の流れから見て、おそらくクロカミはこの依頼を受けるつもりだろう。
だとすれば、バイトにも厄介事が飛び火する可能性は十分にある。
……というか、そうなる未来しか見えない。
「何をするんです?」
正直、バイトの胸中は尻尾を撒いて逃げ出したい気分でいっぱいだった。
しかし、まだバイトは受付嬢見習いという立場。教えを乞う立場である以上、いつまでも受付所の溝攫いに関わらないわけにもいかない。
だからせめて、バイトは手紙の内容についてだけでも知ろうとしたのだ。
「――領主さまのご機嫌取り、って言ってもピンとは来ないよねー」
クロカミは件の手紙で顔を煽いでいた。
態度から容易にわかる。
彼女は領主のことを微塵も慕ってはいない。受付所を運営するために必要な単なる泉源としてしか、領主の存在価値を認めていないようにも見えた。
それでも、彼女とてプロの受付嬢の一人。
クエストの授受で給金を貰っている身として、私見と仕事は明確に境界を区切っていたようだ。
「……ソードマスターを探すんだよ」
クロカミは、バイトの質問に答えてみせた。
「どこに居るかもわからない、世界的剣豪を領主の前に引きずり出さなきゃならないのさ」
「え、なんでそんなことをする必要が?」
「領主が息子に剣を教えたいんだって。参っちゃうよね」
はーっ、とクロカミは長くため息を吐いた。
そして、「よし」と丹田に力を込めるや否や、活力漲る顔でバイトの方に向き直る。
「――さぁ行こうか、バイトちゃん」
クロカミは言った。
「サイテー領主の生意気息子のためだ。一刻も早く、私たちは仕事を完遂させなきゃいけないよ」
「一刻も早くって、具体的にはどれくらいの猶予が?」
「…………明日、かな」
「あした!?」
こうして、無謀なミッションは始まった。
――緊急クエスト、『領主の息子に稽古をつけるための師匠求む(ソードマスター限定)』の幕開けである。
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