人が怪物化する世界だとしても、この少女だけは守りたい

ソエイム・チョーク
ソエイム・チョーク

02 逃避行の始まり

08 脱出

公開日時: 2021年8月8日(日) 18:00
文字数:4,860


 フーベルトは十六番街の大通りを歩いて周辺の建物を確認する。


 ちょっとした広場でキッチンカーが営業しているのを見つけて揚げパンを買った。

 そのついでに周辺の建物について聞いてみる。


「この辺りで一番高い建物ってどこだろう?」


「観光かい? 上から街を見下ろしたいならアタナムモールかラセントビルだね、屋上まで入れるはずだ」


 店員は陽気に笑いながら教えてくれる。


「ラセントビルなら昨日行ったかな。他にはないのか?」


「んー、高さだけなら学園の時計塔もなかなかのもんだよ。ほら、あれ」


 店員が指さした先にはビッグベンか何かを模したような時計塔が建っていた。学園の時計塔と言うには、豪華すぎる気もした。


「本当に学園の建物なのか?」


「正確に言うと、あれは市が管理しているんだったかな。でも、学校の隣に立っているからそう呼ばれてる。時計塔の中は、一般公開してないから入れないと思う」


「そうか。じゃあ、今夜夕食をとるとしたら……」


 言いかけたところで、フーベルトは辺りを見回した。


「おい、今、何か聞こえなかったか?」


「え? あー、なんか破裂したね。車のバックファイヤーか何かかな」


 売店の店員は気にならなかったのか楽観的な事を言う。


「……ちょっと見に行ってくるよ。いろいろありがとうな」


 フーベルトは売店を立ち去り、早足で時計塔の方を目指す。さっきの音は銃声だと確信していた。

 聞こえたのも、一発や二発ではない。


 十分も歩くと、学校の敷地を囲んでいるらしい壁が見えてきた。ちょうど職員用の通用門の近くに出たようだ。耳をすませば、校内からはあまり平和的ではないざわめきも聞こえてくる。

 何か騒動の気配がした。

 フーベルトは、鍵がかかった門を乗り越えて侵入するべきか、地元警察に任せるべきかを少し迷い、とりあえず正門側に回ることにした。


 だが、通用門から百メートルぐらい離れた時、フーベルトの真横をワゴン車が通り過ぎた。

 狭い道にも関わらず、猛スピードだ。

 不思議に思って目で追うと、そのワゴン車は通用門を塞ぐような位置で止まった。

 そして慌てた様子でワゴン車の運転席から飛び降りてくる男がいる。

 プロトだ。用務員のような作業服を着ていた。


 プロトは後部座席から車いすを引っ張り出し、鍵で通用門を開けて、車いすを押しながら校内に入っていく。


「……ん?」


 プロトが何をしようとしているのか、フーベルトにはよくわからなかった。

 だが、校内で何か非常事態が起こっていて、それが軍の動く必要のある状況なのは、ほぼ確定した。

 仕事ならフーベルトも協力した方がいいだろう。

 ここで待つか、プロトを追って校内に入るか迷いながら、通用門まで戻る。


 ズボンの右ポケットでスマホが震えた。

 表示を見ると、フランツからだった。通話に出る。


『フーベルト? 今どこにいる?』


「十六番街、ブルガダ寄宿学園の近くだ。何か動きが?」


『学園内で、銃撃事件が発生した。ヨランドが撃たれたようだ』


「撃たれた? 敵に潜入がばれたのか?」


『わからん。少なくとも偽装は問題なかったはずだ』


 フランツはそう言うが、フーベルトは信用しなかった。

 偽装が失敗したから撃たれた、それ以外に何がある。

 まさか、こちらの捜査と無関係に銃撃事件が発生するわけもない。


『例え、どこかでヘマをしていたとしても、一日目でいきなり撃ち殺されるのはありえん。異常すぎる』


「とにかく撃たれたんだな。俺はどうすればいい?」


 さっきプロトが走って行ったのは、ヨランドを回収するために違いない。


『情報が不足しているが、校内に入るのはやめろ。正規の警官に提示できる身分証が、まだ用意できていない。それと、生徒の一人がダイル化して暴れているようだ』


「さっきの銃声はなんだ? ダイル化した生徒が銃を持ち出したのか?」


 世界のどこかにはスーパーマーケットでアサルトライフルが売られている国もあるらしいが、この島はそこまで物騒ではない。

 どちらにしても、未成年が銃を所持できるわけがない。

 大抵の未成年の銃撃事件は、家から親の銃を持ち出して事件を起こす。

 全寮制の学園でそれはありえない。何かがおかしい。


『情報が混乱している。だが、ダイル化した生徒は逃走中のようだ』


「暴れているのか? 逃げているのか?」


『不明だ……』


 怪物化した人間が暴れながら逃げている、ということはないだろう。

 少なくとも、そこまで騒がしくはなっていない。

 むしろ聞こえてくる騒ぎは収まりつつあるようだった。


 フーベルトが校内に目を向けると、生徒の一人が走ってくるのに気づいた。

 顔に見覚えがあるような気がする、と思ったら、ミーナだ。

 これは都合がいい。何か話を聞き出せるかもしれない。


 ミーナがここまで来るにはもう少しかかりそうだったので、フランツに聞く。


「抗ヒッグス薬なら持ち歩いている。怪物化した生徒を見つけて投与すればいいのか?」


『いや、手遅れだ。すでに第三段階の能力行使に入っている、薬どころか病院に連れてきても、変化を遅らせることすらできない。殺すしかない』


「そうか……。ダイル化した生徒の情報は?」


『ミーナ・ニアルガ。それがダイル化した生徒の名だ』


「なんだと?」


 聞き間違いかと思った。


『顔写真を送る。まあ、人間の姿をしているうちに発見できればいいがな』


「……。オーケー、見つけ次第連絡する」


 フーベルトはそう答えて通話を終えた。

 送られてきた写真も一応確認するが、予想通りミーナの顔が表示されるだけだ。

 スマホをズボンの右ポケットに押し込む。

 通話している間に門の所まで来ていたミーナは、フーベルトに気づいて立ちすくんでいる。

 泣いていたのか、両頬が濡れていた。


「あ、あの……あ」


「ミーナ。落ち着いて、俺の話を聞いてくれ」


 フーベルトは、とにかくミーナを落ち着かせることにした。

 ここで逃げられたら話がややこしくなる。


「ミーナ・ニアルガという生徒が、ダイル化したと聞いている。君のことで間違いないな?」


「……」


 ミーナは答えなかった。肯定と捉えて次の質問をする。


「ヨランドを銃で撃ったのも君か?」


「ち、違います! 私のせいかもしれないけど」


「どういう意味だ?」


「私の目の前で撃たれて、あれ、私を狙ったのかも……」


「それは違う、たぶん」


 銃撃より前の時点では何もわかっていなかった。

 銃を撃ったのは軍側の人間ではない。

 もっとも、それをミーナが信じてくれるかは微妙だったが。


「……」


「俺の上司は、君のことを殺すしかないと言っていた。君は、どうしたい?」


「死にたくはないです、でも……」


「なら決まりだ。逃げるぞ」


 フーベルトはミーナの手を取って走る。

 とにかくこの場から離れないとまずい。プロトがいつ戻ってくるかわからない。


 とりあえず、目についた路地に飛び込む。

 建物と建物の間、幅二メートルぐらいの道。

 掃除もされていないのか、空き缶が散らばっていて、路面や壁面が黒ずんでいる。

 そこをまっすぐ通り抜けて、一本向こうの大通りへ。


 ごく普通の道だ。

 銃撃の気配を察知したのか、通りに面した店はシャッターを降ろしていた。

 路肩に違法駐車された車が並んでいるだけで、フーベルトを助けてくれそうなものは何もない。通行人の姿すらない。


 だが、少なくとも、即座にプロトに見つかる可能性は低くなった。

 引っ張られてきたミーナは、息が荒かった。


「大丈夫か?」


「すみません、運動は得意じゃなくて……あの、逃げるって、どこかアテでもあるんですか?」


「ない、これから考える。君の家族は?」


「いません……」


「いない?」


 フーベルトは聞き返し、数時間前に読んだ資料に書かれていたことを思い出した。

 学園の母体はどこかの陸地にあって、孤児院も経営しているとか。

 ミーナを含む大半の生徒は、孤児院出身なのかもしれない。


「いないとダメですか?」


「いや、心配事が一つ減ったというだけだ」


 家族がいたら、捜査チームは真っ先に人を送る。

 会いにいくことはできなかった。

 なら、変な未練が残らなくて都合がいい、という考え方もできる。


「……とにかく、十六番街から外に出るんだ」


 この島は、ブロック分けして管理されている。

 ダイル関連の事件が起こったとなれば、各ブロック間の通行が閉鎖されるだろう。

 その前に十六番街から脱出しなければならない。

 軍はまず十六番街全体を捜索する。

 そしてミーナが十六番街を脱出した後だと確信したら、今度は島全体の捜索を始めるだろう。

 その前にフーベルトが島に入った港か、あるいは空港まで行って島の外に出る。

 島の外に出さえすれば、当分は逃げ続けられる。


 もちろん、どのルートも、すぐに検問がかかるだろう。

 間に合うとは思えない。

 かと言って他に島から脱出する方法があるとも思えない。


「……」


 フーベルトは天を仰ぐ。

 そもそも、島から脱出してどうするのか。

 ダイル化の進行を止める方法はない。

 ミーナはいずれ理性を失い、怪物となって暴れ始めるだろう。

 結局、今殺すか、手に負えなくなってから別の誰かに殺してもらうかの違いでしかないのかもしれない……。


 その時、ズボンの左ポケットでスマホが鳴った。妹からの電話だ。


「なんだ、こんな時に。後にしてくれ」


 フーベルトはぼやきながらスマホを取り出す。

 ミーナが不審げな目を向けてくるが無視。


「え? いや、心配するな、方法がないわけじゃないんだ」


 フーベルトは妹に言い返しながら、必死に考える。

 追跡は全ては人間がやることだ。

 どこかに必ず穴がある。


「俺が一度でも人の命を諦めたことがあったか? 後でかけなおす、じゃあな」


 スマホを左のポケットに戻す。ミーナは困ったように首を傾げた。


「あの……今のは」


「妹からだ。大丈夫だ。俺を信じろ」


「は、はあ……」


 助けると言ったのに、ミーナはなぜか不安そうだった。

 信用されていないのかと、フーベルトは少し気落ちした。


「とにかく、ここを離れよう。プロトに気づかれる前に……」


 途端、近くの路面に置かれていた看板が、ひっくり返った。

 遅れて響く銃声。フーベルトはミーアを抱えて近くの車の影に隠れた。


「えっ? 何?」


 腕の中でミーアが驚きの声を上げる。


「狙撃だ!」


 二、三発、弾が飛んできて車のガラスが砕けた。

 腕の中でミーアが小さな悲鳴を上げる。

 フーベルトは、ミーナが暴れないように抑え込んだまま、少し体勢を変える。

 車のエンジンは鉄の塊だ。普通の銃なら貫通できないはず。


「くそっ、誰が撃ってるんだ……狙撃ポイントは、時計塔か?」


 スナイパーは高い所に位置取りたがる。この近くだと、他にない。

 だが、弾が飛んでくる方向がわかっているなら対処法はある。

 フーベルトは腰に下げたシールドデバイスを起動する。

 フーベルトを中心に半透明の光の壁が生み出された。

 ミーナは初めて見たのか驚く。


「え? なんですかこれ?」


「防御用の魔術障壁だ。相手が奇跡無効化弾丸を使っていない限り、貫通されることはない」


「あの、もし相手がその弾を使ってたら……」


「考えるな、行くぞ!」


 車の影から飛び出す。ミーナも必死でついてきた。

 シールドに弾が何発も当たって、そのたびに光の壁が明滅する。

 貫通はしない。

 敵の銃はセミオート、撃てる限りの速さで撃ってきている。

 発射間隔の短さからして奇跡無効化弾丸でないだろうとは思っていた。

 ミーナが走りながら言う。


「あ、あの……これで防げてるなら、逃げる必要ないですよね?」


「移動しないとまずいんだ。軍が出てきたらすぐに捕まる」


 敵が狙撃ライフルを持ち出しているなら、軍側もスナイパーを使う。

 軍側のスナイパーは絶対に奇跡無効化弾丸を使うはず。

 この防御魔術では防げない。


「このまま地上を移動するのはまずい。近くに地下道か何かはないか?」


「そんな物、ありませんよ! ここメガフロートの上ですよ!」


「必ずある」


 地下と言うのは呼び方の問題で、狙撃や上空からの監視から逃れられるなら、なんでも構わない。

 下水や電気、通信用のインフラは地下に埋まっていることが多い。

 それらの整備用トンネルは人間が通れるはずだ。

 

 だが、フーベルトには土地勘がないし、この状況では探索もままならない。

 どこか、一休みできる地下室を探すしかない。


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