眠りについて一時間ほど経った頃、ミーナは目を覚ました。
楽しい夢を見たような気がした。
どこか遠くの土地で、フーベルトと並んで星空を眺めている夢。
薄暗い部屋の中、隣のベッドを見ると、フーベルトはぐっすり眠っている。
疲れていたのだろう。
あれだけ戦ったのだ、疲れるに決まっている。
ミーナは音をたてないようにベッドを抜け出し、服を着替え始める。
フーベルトは頼もしい。
ミーナのために何でもやってくれるだろう。
犯罪だろうが、殺人だろうが、お構いなしに。
昼間の戦闘だって、ギリギリの一線は超えないようにしていたように見えた。
何かが違えば人殺しになっていたかもしれない。
そこまでしてもミーナを守ってくれるのは、フーベルトなりの理由があるのかもしれない。
だが、ミーナがそれに甘えていいのか。いいわけがない。
ミーナは自分が死ぬことを理解していた。
数か月、数週間、もしかしたら数日のうちに……。
そして、その後でフーベルトはどうするのか。
一緒に死ぬのか、犯罪者として捕まるのか、一人で逃亡を続けるのか。
どれも幸せな未来とは思えなかった。
だから、ミーナはここでフーベルトと別れることにした。
リスクは承知の上だ。
この部屋を出た途端にすぐに捕まってしまうかもしれない。
あるいは殺されるかも……。
それはそれで不幸な結末に思えたけれど、他にどうすればいいのか、ミーナには見当もつかなかった。
ミーナは服を着替え終えると、もう一度、フーベルトを見る。
起こしてしまうかもしれないので、声はかけなかった。
代わりに、部屋に有ったメモ用紙に手紙を書き残しておく。
それから音をたてないように忍び足で部屋を後にした。
廊下に出て、ホテルの裏口に続く階段の方へと歩く。
廊下の隅に置かれた自動販売機。
その上の壁に取り付けられた監視カメラだけが、ミーナを見ていた。
〇〇〇
アイランド・グレイハイトから数百キロ離れた陸地。
海に臨む崖の上に、白塗りの木造家屋があった。
夜なので暗いが、その家の二階のある部屋のうち、二つに明かりが灯っている。
一つの部屋では、16歳ぐらいの少女がピアノを弾いていた。
さび付いたような静かな音色が、夜のしじまに悲しく響く。
そしてもう一つの部屋には、フーベルトを島まで送った、悪い魔法使いのような顔をした男がいた。
男の名は……。
最近はマルヴァジタと名乗ることが多い。
この男は、軍の施設からの脱走者であり、最初期のペトスコスヒッグスの被験者でもある。
マルヴァジタは、PCの画面を見ながら、スマホで誰かと通話をしていた。
画面には、ホテルの廊下を歩くミーナの姿が映っている。
「おもしろいお嬢ちゃんだな。まさか単独行動に出るとは……」
『……』
「監視カメラへの細工は続けてくれ。軍に捕まってジエンドなんて結末じゃ面白くないからな」
『……』
「ああ、プロトはもちろん気づくだろうな。コンビニで買い物をして、ホテルに戻った、という風に見えるようやってくれ」
『……』
「前のダミーはもう消していい。フーベルトは捕まっても問題ないだろう。むしろ時間稼ぎにちょうどいい。それよりお嬢ちゃんの居場所を見失うなよ。今夜は楽しくなるぞ」
マルヴァジタは通話を切ってスマホを机の脇の隅に置かれたバスケットに放り込んだ。
バスケットの中には十個近いスマホが、ごちゃごちゃに放り込まれている。
その中から別のスマホを引っ張り出して、電話をかける。
コール一回で相手が出た。
「お節介なタクシー運転手を装って、女の子を拾って送り届けてやれ。徒歩で移動してたら夜が明けちまうからな。現在位置はロイズが追いかけている」
『……』
「行き先はたぶん十六番街だ。さすがに中まで車では入れないだろうが、軍の監視が緩いルートを教えてやれ」
通話を切ってスマホを箱に戻す。
「さぁてと、せっかくだから、劇的な演出をしてやった方がいいな……これだったかな?」
バスケットの中から、しばらく使っていなかったスマホを手に取り、電話をかける。
十回ほどコールが鳴った後に、相手がようやく出た。
「よう、俺だよ」
獲物を前に舌なめずりするような声でマルヴァジタは言う。
『……』
「ああ、わかるよ。そこは避難所か? 適当なことを言って抜け出しな」
『……』
「実はな、おまえを軍に告げ口してやろうかと思ってるんだ」
『……』
「まあ、おまえも昔は役に立ってくれたよ。だが、最後の最後で薬を持ち逃げするんじゃ愛想も尽きる。ましてや、自分のかわいい生徒にあの薬を飲ませるなんて……、聖職者が聞いてあきれるな」
『……』
「本当はもうしばらく放置してもいいと思っていたんだ。しかし、ダイルデサントを出したのはよくなかったな」
『……』
「それは違うな。俺は正義の味方だぜ? 他の活動を円滑に進めるためなら、多少の犠牲は許容するってだけさ。だが、おまえは殺しすぎた。……楽しんでたんじゃないのか? 人間狩りをな」
『……』
「そうかい? 誉め言葉と受け取っておくよ。まあ、あんたに言われたくはないがね」
『……』
「そうだな。一時間後にもう一度電話する。職員室で明かりをつけて待ってろ。実は、ちょっとあんたに会いたいってやつがいてね。そっちも同じなんじゃないか? なあ?」
魔法使いというより、もはや悪魔じみた笑みを浮かべて、マルヴァジタは通話を切った。
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