クルーザーはグレイハイトの桟橋に横付けされる。
フーベルトは書類審査を受けて街の中に入った。
メガフロートだからと言って、何か特別な物があるわけではない。
足元が揺れているような感じもしない。
人がたくさんいて、建物が立ち並び、車が走っている。地上にある海辺の町とそう変わらないように見えた。
タクシーを拾って、軍基地へと向かう。
軍基地は有刺鉄線のフェンスに囲まれた敷地内に倉庫や兵舎が立ち並ぶごく平凡な基地だった。
地上の基地と違うところを挙げるなら、滑走路が妙に短い事ぐらいか。飛ぶ物はヘリコプターとSVTOLで賄っているのだろう。
訓練か何かなのか、数体のCCKがノシノシと歩いているのが遠くに見える。
そして基地の片隅に停まっているのは、忌々しいヘンゼル爆撃機だ。滑走路がない場所からでも垂直離陸でき、四発の対セベクミサイルを抱えて飛行、単独で標的をロックオンし、ミサイルを発射する。
全て街中でダイルデサントやセベクノートが発生した時に戦うための物だ。
メガフロートが建設されてからそろそろ十年が経つが、ここでダイルが発生したという話は聞かない。
それでも、備えを置かないわけにはいかないのだろう。
基地の最も大きい建物が司令本部だ。その三階の端にある会議室が指定された待ち合わせ場所だった。
「フーベルト・アシアス、着任いたしました」
会議室には中央に大きなテーブルがあり、そこに分散するように三人の人間が席についていた。
一番奥の椅子に座るのは、ひげの男。
フーベルトの顔を見るとため息をつく。
「ふん、また君と仕事をすることになるとはね」
知っている顔だった。
フランツ・ウォルフ。四年前に上司だった男だ。
「お久しぶりです」
フーベルトが挨拶すると、なぜかフランツは怪訝そうな顔になる。
「君は過去のことを……あ、いや。こちらから掘り返すのはやめて置くか」
「は?」
フランツが何を言っているのか、フーベルトにはよくわからなかった。
室内にいた残り二人は、銀縁メガネをかけた融通が利かなそうな男と、大学生ぐらいにも見える若い女だった。
銀縁メガネの男がフーベルトを上から下まで眺めまわすように見る。
「なるほど……。大体は資料に書かれてある通りだな」
「あんたは?」
「私はプロト、と名乗ることにしている」
「プロト。おれはフーベルトだ、よろしく」
挨拶しながら、フーベルトは、古い映画で見た軍の指揮官を連想した。
その指揮官は、敗戦が確定したことを知って、キレて怒鳴り出すのだが、プロトの印象はどこかそんな要素があった。
プロトは神経質そうにペンで手のひらをパシパシと叩きながら、フランツの方を見る。
「彼は信用できるのかね?」
「ああ、真面目でいいやつだよ。四年前にも部下として使っていたが、優秀で有能だった」
フランツは当たり障りのないことを言うが、プロトは納得しない。
「そんな話はしていない。枝がついていないか聞いている」
「枝? 敵の工作員だと言いたいのか?」
「少なくとも、あんたは、それはないと考えている?」
「統合軍のチェックは通っているはずだ。それで足りないなら、自力で確認してくれ」
フランツは困ったような顔でそう言う。
軍の調査を上回る精度の確認を、この場で終わらせることができるわけがない。
しかし、プロトはフーベルトの方に向き直り、普通に続けてくる。
「許可が出たので「確認」する。これから私がする質問に全てノーと答えてくれ」
「ああ……。ノー?」
「よろしい。君がこの島に来たのは軍の命令によるものだな?」
「ノー」
質問というより、尋問の気配があった。
「この島に空路で入らなかったのはなぜだ?」
「それは単に飛行機の予約が埋まって……あ、ノー?」
これで質問に答えたことになっているのだろうかと、フーベルトは疑問に思う。
そもそも、何を確認されているのか見当がつかない。
「命に代えても取り戻したいものはあるか?」
「ノー」
「……、恋人はいるか?」
「ノー」
「金に困っているか?」
「ノー」
「親しい人間の死を経験したことはあるか?」
「ノー」
祖父母や両親は死んでいる。
戦地で友人を失ったことは一度や二度ではない。
だが、そこまで考量するなら、これは無意味な質問なのでは。
「死んだ人間を生き返らせることができると思うか?」
「ノー」
「マルヴァジタという単語に聞き覚えはあるか?」
「ノー」
「……、会った事があるな?」
「ノー」
ない。それが人の名だと知ったのも今だ。
いや、もしかすると、今までの人生で出会った誰かがマルヴァジタなのかもしれないが。
「島に入ってから、基地までは何で移動した? タクシーか?」
「ノー」
「タクシーを降りた後、この部屋に来るまでに誰かと話したか?」
「ノー」
基地の門番とやりとりしたり、すれ違った人に道を聞いたりはしたが、それ以上の会話はなかった。
質問はこれで終わりのようだった。
プロトは納得がいかなかったのか、首をかしげている。
「ヨランド。何か違和感はあるか?」
プロトが声をかけたのは部屋の隅でスマホを弄っている女の方だった。
別に遊んでいるわけではなく、こちらの会話を聞いて急いで何かを調べているようだったが。
フーベルトは改めてそちらを見る。
ヨランドは軍人らしくない女だ。年齢のせいもあってか、研修生か何かのようにも見えた。
ヨランドは、手元のスマホとフーベルトの顔を交互に見ながら、質問を投げかけてくる。
「乗ってきた船を操縦していた女の名前は?」
「え? 名前は知らない……いや、女? 男だったと思うが」
「え、それは? あの、どう思います?」
ヨランドは意見を求めるようにプロトを見る。
プロトは慌ててヨランドの隣に駆け寄り、スマホの画面をのぞき込んで、苦々しい顔になる。
「なるほど、これは確定だな。だが……」
「対応Aですか?」
「いや、判断材料が足りない。この件は対応Bとする」
二人の間で何かの結論が出たようだ。
何がAで何がBなのかはわからないが、フーベルトにとっては、あまり良くない話に違いない。
プロトはフーベルトの前に立つ。
「もうノーで答えなくていい。船に乗っている時に、何かを頼まれなかったか?」
「何も頼まれていない……、あ、待てよ? 人を探しているとか荷物を探しているとか言ってた。具体的な内容は聞いていない。ちゃんと聞きだしておいた方がよかったのか?」
やはり、あれは何か違法な存在に関わる話だったようだ。
だとしたら、ちゃんと対応した方がよかったのかも知れない。
だが、プロトは目を逸らしただけだった。
「いや、もうそれは気にするな。君では奴を追跡できない」
何を言っているのかがわからず、フーベルトは、助けを求めるようにフランツの方を見る。
フランツは肩をすくめるだけだ。
「彼らはいつもこんな感じなんだ。何も説明してくれなくてね」
「……それで俺の扱いはどうなったんだ? 信用してくれるのか?」
「いや、全くダメだね。だが今更どうにもならん。君も我々を信用しなくていい。仕事の話に移ろうか」
プロトが言うと、フランツも諦めた様子で、何かのリモコンのスイッチを押した。
壁際の画面に情報が表示される。
何かの錠剤の写真。
「フーベルト。君が担当するのは、ペストコスヒッグスの調査だ」
「ペストコスヒッグス?」
「そういう名前で呼ばれる薬物がある」
プロトが補足してくれる。
「人間がダイル化するメカニズムは、まだ解明されていない。だが、ある薬物が切っ掛けになってダイル化する場合がある」
「そんな薬物を自発的に摂取するやつがいるわけないだろ……」
「薬物、と言っただろう。麻薬と偽って、裏ルートで出回っているのかもしれない」
恐ろしい話だった。それが本当なら、摂取者が島の中で天使化する事になるだろう。
「麻薬なら、警察の扱いでは?」
「それがあまり期待できないから、こっちに仕事が回ってくるのだな」
「この島の対ダイル戦力はゴミ同然だ」
プロトが平然と暴言を吐いた。フランツは不機嫌そうにそちらを見る。
「いや、我々は日々、最大限の努力をしているぞ」
「この島にいる統合軍は、絶対に取れない景品だ。外地で戦っている兵士に、手柄を立てればグレイハイトに配属されるという夢を見せる。そのために置かれている飾りでしかない」
「とんでもない言いがかりだな……」
どうやら、フランツとプロトは、仲が悪いようだ。指揮系統からして違うらしい。
あまり言い合いをされても困るので、フーベルトは口を挟む。
「そんなに酷いのか? 少なくとも異常があるようには見えなかったが」
プロトは、つまらなそうに首を振る。
「何。君だってすぐにわかるさ」
フーベルトとしてはあまり信じたくない話だった。
けれど、何か問題が見つかった途端、島の外からフーベルトが呼び出された。
プロトやヨランドもそうなのだろう。
完全な言いがかりというわけでは、ないのかもしれない。
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