ヨランドは、ブルガダ寄宿学園の校舎の中を歩いていた。
服装は制服だ。学生に変装している。
肉体年齢的に考えても、少し無理があるのでは、と思っていたが、プロトとフランツが「問題ない」と無責任に言ったので拒否できなかった。
絶対に知り合いに会うことはないとわかっていても、少し恥ずかしい。
校内は静かだ。それぞれの教室から授業をしている教師の声が聞こえてくる。
「君、そこで何をしているのかね」
呼び止められた。振り返ると、五十代ぐらいの男が立っている。
校長のガスパル神父だ。
軍は、プロトとフーベルトを職員として送り込むよう校長に伝えているが、ヨランドの存在は伝えていない。教職員に情報が出回ったら犯人に警戒されてしまう。
もちろん転入手続きもしていない。授業に出ていたら、調査する時間がなくなるからだ。
だが、授業中の廊下を歩いている生徒がいたら、不審がられるのも無理はない。
ヨランドは微笑む。
「えっと、その……具合が悪くて、保健室に行くところなんです」
「ああ、そうか。呼び止めて悪かったな」
ヨランドは、さりげなく、しかし足早に立ち去ろうとする。
「いや、ちょっと待ちたまえ」
呼び止められた。
できるだけさりげなく、振り返る。
「何ですか?」
「保健室は向こうだぞ? 本当に大丈夫か?」
「あ……、はい、たぶん」
ヨランドは愛想笑いだけで何とか切り抜けた。
初日からこの様子だと、まずいかもしれない。
昨日、頭に叩き込んだはずの見取り図を必死に思い出しながら、保健室に向かって歩く。
その途中で終業のチャイムが鳴る。
ヨランドはすまし顔で保健室の前を通り過ぎた。
廊下を前から歩いてくる三人組を見つけた。
せっかくなので、情報収集をしてみる。
「あなたたち、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかしら? あ、私は新聞部なんだけど……」
この嘘のために、本物の新聞部員の顔は調べてある。
この三人がそうでないことは確かだ。
「今、噂を調べているの。校内に、危ない薬が出回っているらしくて」
「私たちはそんなことしませんよ」
長身の少女が答える。失礼なヤツと思われているようだった。
「それはそうでしょうけど。でも噂とかは知らないかしら」
「噂って? 例えば?」
「例えば……誰かが食べ物に何かしているのを見た、とか」
「いや。それはちょっと聞いたことがありませんけど」
長身の少女は困った顔で、友人二人の方を見る。
横で居心地悪そうに髪を弄っていたショートカットの少女が口を挟む。
「あの、入院した人が病院から消えてるって話ですよね?」
「どうかしら? 入院したまま面会謝絶になってる人がいるって話は本当らしいけど」
行方不明者の件は箝口令が敷かれている。生徒の立場では知らないはずだ。
ショートカットの生徒は慎重な口調で切り出す。
「……その入院した人の友達が逮捕されたって噂で聞いたけど本当ですか?」
「え? 何を言ってるの?」
「えっ?」
「あれ?」
ショートカットの少女の顔が強張るのを見て、ヨランドは己の失敗を悟った。
たぶん、この少女は別の話を知っていて、なおかつ、新聞部員がそれを知らないのをおかしいと感じている。
どうごまかすのが正しいのかわからず、それでもヨランドはなんとか軌道修正を試みる。
「逮捕はされてないと思うわ。警察に事情を聴かれたらしいってだけで……」
「うーん?」
ショートカットの少女は怪しんでいるが、確信を持てないようだった。
本物の新聞部員に知り合いがいるのかもしれない。
だが全員の顔を知っているわけではないからギリギリバレていない。そういう状況のようだ。
事前調査では、新聞の閲覧数は決して多くないという話だから油断していた。
ヨランドは必死に考える。
本物の新聞部員はどんな情報を持っているのか。
この少女は本物の新聞部員とどんな会話をしたのか。
一度退いて調査方法を変えるべきかと悩み……。
「!」
ヨランドは振り返った。
廊下の向こうには大きな窓があって、その向こうに時計塔が見える。
なんの根拠もなかった。
ただ、危険だという確信はあった。
ヨランドは、三人組の中の小柄な少女に飛び掛かった。
〇〇〇
保健室を出たミーナは教室に戻ろうとする。
とたん、背後でガラスが割れたような気がした。
振り返るよりも早く、ターン、と何か重い物を叩きつけるような音が響く。
「今の、何?」
廊下の端に大きな窓があって、時計塔が見える。
その窓のガラスにひびが入っていた。
反対側から悲鳴が広がる。
誰かが倒れていた。知らない女生徒だ。背中に小さな血のシミがあって、床にも血だまりが広がっている。
近くにはリアーネとジゼラが立っている。そして、知らない女生徒に押しつぶされるように、リーゼルも倒れていた。保健室までミーナを迎えに来て、何か事件に巻き込まれたらしい。
慌てて駆け寄る。
「え? 何? 何があったの?」
質問しても、リアーネは首を振る。
「わかんない……急に倒れて、なんか、血が……」
ターン
また音が響く。
もう疑いようもなかった。銃声だ。
「ぅあっ!」
ジゼラが倒れた。銃弾が掠めたのか、足から血が出ている。
廊下はパニックに陥った。慌てて走り出す者、その場に伏せる者、物陰に隠れる者。
リアーネがジゼラとリーゼルの腕を引っ張る。
「しっかりして! とにかく、何か盾になる物の陰に……」
すぐ避難するのは無理そうだ。
ジゼラは足を怪我しているし、リーゼルは倒れた生徒の下敷きになって歯をガチガチ言わせて震えている。
ミーナは時計塔に視線を向ける。
襲撃者の姿が見えた。
目だけが露出する覆面のような物を被って顔を隠し、ライフルを構えてこちらを狙っている。
かなり距離があるはずなのに、引き金に掛けた指が動く様まではっきりと見えた。
撃たれた。
「くっ!」
ミーナは反射的に腕を振る。
一瞬遅れて空気が揺れる。
硬質な音と共に銃弾が跳ね返り、足元に転がった。
「えっ?」
自分が何をしたのかわからず、ミーナは呆然と、勝手に動いた自分の右腕を見つめる。
一発、二発、三発……次々に銃弾が撃ち込まれる。
今度は意識して手を動かし叩き落す。
一発の弾丸が自分の横をかすめてリアーネへと飛んでいくのを、左手でつかみ取る。
このままでは、埒があかない。
「このっ!」
力を込めて両腕を前に突き出すと、廊下の奥の窓ガラスが粉々に砕け散った。
腕の先端から光の塊のような物が生み出されて、時計塔へと飛んでいき破裂する。
いつの間にか視力が元に戻っていた。時計塔の一部が壊れたようだが、襲撃者がどうなったのかは見えなかった。
「み、ミーナ、それ……」
震えるリアーネの声に、ミーナは我に返る。
「え?」
ミーナの体を取り囲むように光の粒子が舞っていた。ようやく認識が現実に追いつく。
銃撃されて、必死にできることをしただけのつもりだった。
だけど、冷静になってみると、今のは何だったのか。
「あれ? なに、これ……」
ミーナは、自分がどうしてこんなことができたのか、理解できない。
だが、いきなり銃を撃ってくる人間と同じか、それ以上にありえないことをしたというのだけは、理解できた。
ミーナは何も考えず、リアーネたちの方に一歩踏みだした。
「ひっ!」
リアーネが泣きそうな顔で身を震わせながら、それでもジゼラとリーゼルを守るように両手を広げる。
「あ……」
ミーナは笑顔を作ろうとして、失敗した。リアーネはそれをどう捉えたのか。震えながらも告げる。
「こ、来ないで……」
「……」
ミーナは、もはやどうしていいかわからず、その場から走って逃げだした。
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