十六番街にはいくつもの施設があるが、その中でも一番大きい施設はブルガダ寄宿学園だ。
全寮制のこの学園は五百人近い生徒を抱えるが、今日は休日と言うこともあって、園内は閑散としていた。
寮の一室で、昼近くになっても二段ベットの上の段で寝ていた女生徒が、友人から呼び掛けられていた。
「ねえミーナ、起きてる?」
「ううん……もう朝?」
「昼だよ!」
友人の叫び声で、さすがに目を覚まさなければいけないと感じ、ミーナは布団から這い出した。
「おはよー、……」
「もう、やっと起きた……」
ミーナがベッドの下を見下ろすと、長髪の女生徒が頬を膨らませていた。同室のリアーネだ。
「ごめんごめん。なんか頭がしゃっきりしなくて……」
「っていうか、なんか顔色良くないよ? どっか具合悪いの?」
「そうじゃないけど、凄く眠くて……。でもおなかすいた……」
ミーナは適当にごまかしたが、正直に言えば、昨日の夜の時点では確実に具合が悪くて少し吐き気があった。それで夕食も取らずに寝てしまったのだ。
そして今朝も朝食を食べていない。最後に何か食べてから、そろそろ二十四時間が過ぎようとしている。
そのせいか、空腹感はあった。
「さすがに、お昼ご飯はまだだよね?」
「まだだけど、食堂なら今日の昼は開いてないと思うよ」
「そっか……」
「食べるなら外行くしかないね」
そう言われて、今日は久しぶりに外出許可が出ているのを思いだした。その分、学園内のいろいろな業務は停止する。
だからリアーネもしつこく起こしに来ていたのだろう。
「どうする? 寝てる?」
ミーナは重い頭で少し考える。ミーナが行かないと言えば、この友人は自分も外出しないと言うだろう。
それは少し申し訳ない。
それと、何かちゃんとした物を食べたかった。
「んー、行こうかな」
そう口に出して見ると、多少は元気が出てきたような気もして、ミーナは二段ベッドからノソノソと降りる。
「昨日、シャワー浴びた?」
「浴びてない……今から行ってきていい?」
「いいよ。ジゼラとリーゼルにも声掛けとくね」
リアーネは部屋を出ていく。
ミーナもバスタオルと着替えを持って、パジャマ姿のまま部屋を出た。
シャワールームの脱衣所でミーナはパジャマを脱ぎ捨て、コーパメントに入る。
蛇口をひねるとお湯が降り注いで湯気が立つ。
「くぅ……」
大きく伸びをする。体が温まってきたせいか、頭もすっきりしてきた。
体の表面を流れていくお湯に沿って、指を走らせる。
「ふーふふん、ふーふふふーん」
鼻歌を歌いながらシャワーを終えて脱衣所に戻り、バスタオルで体の水気をよく落としてから、湯冷めする前に服に袖を通す。
ドライヤーで髪を乾かしていると、脱衣所にショートカットの少女が入ってくる。ジゼラだ。
「おはよう! 昼だけど」
「おはよー」
「こんな時間にシャワーなんか浴びちゃって、何張り切ってるの、うりうり」
からかうように指で頬をつつかれる。
「別にそんなんじゃないよぅ……」
「あはは、でも元気そうで良かった」
「やっぱり行くの? ブラッディーナイト」
「久しぶりの外出だもんね。この前行った時はヤバかったけど」
「あれはびっくりしたよね……」
二週間ほど前にその店に行った時は、配管業者か何かが天井裏で何か作業していたのだが、足の踏み場を間違えたのか、天板を突き破ってしまったのだ。
下のフロアにいた客たちには天井を突き破って足が生えてきたように見えて、大騒ぎになった。
その時の穴もさすがに塞がっていると思うが。
ジゼラが思い出したように言う。
「そー言えば、今朝、新聞部員と会ってさ……なんか取材、っていうか質問? いろいろされた」
「あの人たち、頑張ってるよね。あんな新聞、誰も読んでないのに……今度は何の話?」
ミーナは、つまらない話だろうと思ったのだけれど、ジゼラの顔に影が差す。
「……最近、うちの生徒が何人も入院してるって知ってた?」
「噂は聞いたことがあるけど……あれって本当なの?」
「うん。本当。しかも、その生徒の友達が警察に逮捕されたんだって……」
「逮捕?」
「私が聞いた噂ではね。でも新聞部員の人が言うには、逮捕は間違いで、実際は警察で事情を訊かれただけ。その日のうちに帰ってきたって」
「なんだ……普通じゃん」
噂の真相なんて、大体そんなものだ。
「でもね、これが凄かったみたいで、事情を聞いてきたのは警察じゃないんだって」
「え?」
「取調室に神経質な軍人みたいな人が入ってきて、全ての質問にノーで答えろー、とか言われて、意味わかんない質問を百個ぐらいされて、それ全部にノーって答えさせられたんだって」
「え、何それ、怖い……」
そんなの取り調べになっていない。
もし全部の質問にイエスと答えることを強要したなら冤罪の作成かもしれない。
それはそれで良くないと思う。
しかし、全部の質問にノーと答えるように強要するのは、本当に目的がわからない。
「それで新聞部のやつ、次の新聞ではそれをまとめるから絶対読めー、って言ってた」
「何それ、ズルいよ。そんなこと言われたら、読みたくなっちゃうじゃない……」
たぶん、今ジゼラが言った以上の情報はほとんどないのだろう、と予想できるにも関わらず。それを確かめるために読むしかなくなる。
「まあ、反響がないと寂しいんでしょ、あいつらもさ」
「うーん……」
そういう問題なのかな、とミーナは納得がいかない。
髪を乾かし終えてから部屋に戻り、外出用のバッグを持って玄関へ降りる。リアーネとジゼラが待っていた。
ミーナが外靴に履き替えていると、くせっ毛の小柄な少女がやってくる。
リーゼルだ。
四人で宿舎を出て校門へと向かう。
「出かけるのかね?」
校門へ向かう途中で呼び止められた。現れたのは黒い神官服に身を包んだ五十代ぐらいの男性、校長のガスパル神父だ。
リアーネがすまし顔で応じる。
「ええ、外出許可はとっていますので」
「そうかね? その割にはずいぶん遅い時間まで校内にいたようだが……」
校長は疑うような目でミーナたちを見る。
この校長、生徒からは、いじわる爺さんだの、偏屈者だの、ネガティブなあだ名で呼ばれている。
リアーネがカバンから許可証を出そうと探していると、白いシスター服を着た女性がやってきた。
シスター・エルミーヌ、四十代ぐらいの女性で、いつも優しい笑みをたたえている。
「あら、どうかしたのですか?」
エルミーヌは、校長に向けて微笑む。笑顔だが、どこか威圧的でもあった。
「いや……どうというわけではないが」
校長も、エルミーヌには強く出れないのか、少し気おされている。
「外出でしょう? あまり引き止めたらかわいそうですよ……」
エルミーヌは校長をどこかへ押していきながら、四人に微笑む。
「せっかくの休日ですもの、楽しんでいらっしゃいね」
「「「「はーい」」」」
四人は無邪気さの見本のような返事をして、その場を去った。
校長に声が聞こえないぐらいまで歩いてから、リーゼルが言う。
「シスター・エルミーヌって優しいよね」
するとジゼラが小声で言う。
「実はレズって噂があるけどね」
「えー、うそでしょ」
「リーゼルとか狙われてそうな気がする。……食べられちゃうぞぉ」
「や、やめてよぉ……」
リーゼルがわざとらしい悲鳴を上げて、四人は笑いあった。
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