その、よく似たセリフは、たしかにそれなりにありふれたものだった。とはいえ、ほぼ同一の時間でありながら、だいぶ離れた座標にて、ごく近しい者たちが、同じことについて尋ねたのだから、意外と、世界的に、歴史的に、稀有な出来事と言えるかもしれない。
時は、2027年の二月末。場所は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス、あるいは、フランスのパリである。
「それで、結局、あいつは、なんで生きてたんだ?」
男が、男の子に問う。
「で、つまり、お姉ちゃんはどうして生きてたの?」
少女が、メイドに問う。
その答えを、当時の時空間座標の視点から、綴ってみよう。
――――――――
それは、ひと月ほど前。2027年の一月だった。少女が冷凍保存から生還し、男たちとミクロネシア連邦ヤップ島に赴いているころ。彼らとひととき共闘した女と青年の、迎えた抗争。
場所は、スペイン、マドリード。『ラス・ベンタス闘牛場』。
そこは、スペインの国技である闘牛が観戦できる、国内に500か所を越える数の闘牛場のひとつ。その中でも、特別に格式高く、規模も大きい、一か所だった。
女が訪れていたのは、この『ラス・ベンタス闘牛場』に併設されている『闘牛博物館』。闘牛シーズンである三月~十月の期間を外れているため、人の入りは少ない。というより、まったく誰も、見かけない。そう気付いた刹那に、不安をかき消すように、靴音が響いた。
「ホムラ」
そして声も、響く。
「シキか……。なんじゃ、もう共闘は済んだじゃろ」
モスクワにて、かの狂人を打倒するための、一時的な共闘だった。元、義姉弟とはいえ、もはや袂は分かったのだ。いまさら仲良くする気は、女の方にはまったく、なかった。
「済んだ? ……いやあ、なにも、……済んでなどいない!」
急な大声に、女はわずかに肩を震わせた。女性とはいえ、彼女はいくつもの死地を潜り抜けてきた強者だ。不意の絶叫くらいで怯むなど、そうあるものではない。
ただ、このときは、異様に――青年の威容に気圧された。狂人を相手取るか、あるいはそれ以上もの、殺気によって。
「……どうやら、普段の汝に戻ったようじゃの。本当に、何者かが乗り移っておったかのようじゃったぞ」
女は、臨戦に構える。『嵐雲』は、コートの内側。そしてコート以外は薄着で肌を露出しているから、『異本』の発動条件である、素肌でそれに触れる、という条項を達成するのは容易い。公の場だ。所持している一振り、『花浅葱』は刀袋に入れていた。それを、ゆっくりと、しかしながら手早く、取り出していく。
「乗り移っていた」
女の言葉を反芻し、青年は、口元を歪めた。それは、少しずつ顔面全体に広がり、気付いたときには、アハ体験のように全身が、怒りの形相に変わっている。
「ええ、まったく。まさしく文字通り。ふざけた野郎だ」
青年の言葉遣いは、普段、粗野であったり、丁寧であったりと、あちらへ行ったりこちらへ来たり、目まぐるしく変わる。しかし、このとき彼は、そのうちの前者ばかりを多用していた。だから、女も、いやな汗を一筋、流す。それは言葉遣いのままに、彼の心が荒んでいるから。そのように、女は判断した。
「あなたに言われるまでもなく、共闘なんぞ、最初から間違っていたのです。それをあんな……あんな小僧にこの身を乗っ取られ、好きにされるとは……! は、腹立たしい……腹立たしいことこの上ない!」
まさにその心情を吐露するように、その手に持つ黄金の杖を、何度も叩きつける。その持ち手についた鈴を、ジャランジャランと鳴らしながら。
その荒々しい態度に慣れてきた女は、刀を腰に携え、嘆息する。じわじわと、立ち位置も調整しながら。
「騒がしいのう。他のお客様のご迷惑じゃぞ。……用があるなら手短に話せ。妾はこれから――」
「ああ、待ち人は来ませんよ。身共が殺しましたから」
その発言で、精神的な優位を得るつもりだったからか、ようやっと彼は余裕を取り戻したように、わざとらしい丁寧語で、そう言った。さらにその他の人払いも済んでいる。そんなことは、わざわざ言わない。
それでも彼の思惑通り、女は瞬間、言葉を失った。
「『Vamos Madrugada』の、元、持ち主でしょう? 贖罪の旅か、なんだか知ったことではないが、ホムラ――」
本当のおまえは、そうじゃない。普段、ニタニタといやらしくしか笑わない青年がこのときは、ただただ清々しく、どこか悲しげに、綺麗に、笑った。
ふたつの影が、同時に、動く。突風と、凪が、空間を二分した。
*
風を起こし、吹き曝し、吹き飛ばし。吹き飛び、吹き煽られながら、女はとにかく、場所を移動した。戦うなら、広い場所がいい。幸いにも、そういう場所は、とても近くにあった。
本日の興行がないことは把握している。本来なら勇敢な闘牛士と獰猛な闘牛の、命を懸けた真剣勝負の場となるはずが、ただの義姉弟の、私闘を行うこととなってしまった。命の取り合いという点では似たようなものでも、闘牛はスポーツだ。
人は牛の命を奪う。あるいは、人も、ときには死に至るほどの怪我を負うことすらある。それでもそれは、魅せるためのものである。闘牛士は日々、闘牛を美しく仕留める技を磨いているし、死んだ闘牛も、即座に食肉として加工し、無駄なく食される。彼らのように、ただ無益に互いを殺し合っているわけではないのだ。
ゆえに、彼らのこの私闘は、闘牛という競技に対しての、冒涜ともいえる。
とはいえ、現に殺し合う女と青年に、そんなことを諭そうと、当然と、無駄に違いないのだろうけれど。
「身共の怒りの捌け口になって、今日こそ死ね! ホムラ!」
黄金の杖。『宝杖』、『ブレステルメク』を振り回し、女へ殴打を試みる青年。
「汝こそ! 今日こそ『パパ』を殺したこと、償わせてやるぞ! シキ!」
殴打自体は刀で受け流し、意識を『異本』、『嵐雲』に込めて、暴風を巻き起こす。だが、風圧が足りない。その不足分を、『花浅葱』による風力操作で増大させ、また、距離を隔てる。
青年と比して、女には攻め手がやや、欠けている。それでも女には、青年に対する本気の殺意があったし、このように殺し合いになった以上、逃亡という手段には出たくなかった。だが反面、冷静に、殺すことなど叶わないだろうという、確信に近い諦観もあった。また、奇妙だが、殺すにしろ殺されるにしろ、どちらかが死んで、終わってしまうということにも、一抹の寂しさを感じてもいたのだった。
その、不思議と多くの感情が渦巻く心を、女は制御できずにいた。殺意は本物だ。そう思う。でも、殺したくない思いもまた、あるような気がする。その矛盾に、答えが出ない。殺して、終わりでいいのか? と。まあどちらにしても、いま現在、女に、青年を殺せるだけの力は、おそらくないのだけれど。
「――――!? どうした? ホムラ! あなたにしては動きに、キレが足りないっ!」
彼の言葉通りに、女は動きを鈍らせ、攻撃を受け損ねた。「きゃっ!」と、らしくない声を上げ、尻もちをつく。
その、大きすぎる隙を、当然と青年は、見逃さない。
「なんなんだ……この――」
あっけない、幕引きは――! 青年はほんのわずかに躊躇した。だが、それでも、渾身に力は、衰えさせずに――!!
キンッ――!! と、そのままでは確実に女を死に至らしめただろう一撃は、タイミングのいい乱入者により、弾かれた。
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