箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

努力の先

公開日時: 2022年11月25日(金) 18:00
文字数:2,996

 黄昏時の空を見上げ、思う。


 煌びやかにライトアップされた『台北101』。天をも刺し貫くような尖塔。夜を消した輝き。天界にまで手を伸ばし、与えられた時を克服する。


 人は、神に反逆している。


 ――などと、達観したようなことを思おうと、結局、最後に思い出すのは、くだらない記憶だ。ひどくありふれた、ノイズまみれの記憶。


 二度目の墓場まで持っていく、老人の――『先生マエストロ』の、贖罪。


 ――――――――


 1989年。世界を変える出会いが訪れた。


 1992年。が、みなを変えた。老人は、ひとりの女の子を拾うこととなる。ひとつめの、罪。


 1994年。唐突に現れたもうひとりの子どもが、ともに生活するようになった。ふたつめの、罪。


 1997年。彼は目的を終えたのだろう。別れの言葉もなしに去って行った。


 1998年。新たに男の子を迎え入れる。みっつめの、罪。


 そして、その半年後だ――。

 老人は、物語を、始めた。


 ――――――――


 高層ビルの立ち並ぶ街中で、老人は腰掛ける。

 体に不具合はない。すこぶる健常だ。それゆえに、こんなものは偽りだと理解できる。


「リュウよ……」


 視線をわずかにずらし、『台北101』、そのそばに建つ、これまた天を突くような高層ビルを見据える。そうして、その最上階にいるはずの、かつての教え子の名を、呼んだ。うわごとのように。


 何度、その言葉を紡いできただろう? 直に、空に。

 そのたびに先の言葉を噤んできた。もう遅い。だが、だからといってこのままでいいのか? 何度も自問し、その結実として、彼の名を呼んだ。また、先を噤む。


「リュウよ……!」


 なぜ、こうなった……!? その言葉は、やはり、口を突いて出ない。なぜなら、こうなることを解ってやってきたからだ。こうなることを解って始めて、こうなるようにやってきたからだ。

 それでも、こうなることを望んで、やってきたわけではない。


「……シンファ――」


 彼の前では、けっして言えない弱音を、吐く。やはり、うわごとのように。

 なぜ死んだ? おまえがいれば、なにも壊れなかった。

 それもこれもすべて、のせいだ。


「リュウ……!!」


 やはりおまえは、間違っている。そう、思う。

 だが老人に、そんなことを言える資格はない。


 そしてやはり、もはやすでに、遅すぎた。


 ――――――――


 1994年、四月。


「どっから湧いて出やがった、この悪ガキが」


 ニタニタと、気色悪い笑みを浮かべた男の子が、気配も薄く、いつの間にかそこに、いたのだ。

 特段に驚いた様子もなく、老人は言った。それでも、敵対的に腰を上げ、拳を握り込む。


「ここに『宝』があると聞いてきた。それは僕んのだ」


 確信に満ちた目でそう、気負いもなく言い放つ。その目は、すでに人間とは、違う色をしていた。


「ほう……。それはなんという、どのような『宝』じゃ? 言ってみろ」


「そんなもの、知るものか」


「知らねえものを探しに来たのか。ご苦労なこって」


 くだらない。そう言い捨てるように力を抜いて、老人は上げた腰を落ち着ける。


「どうやら、あんたはその価値に気付いていないらしい。場所を聞こうと思ったが、知らないなら勝手に探す」


「おまえそれ泥棒じゃって解ってやっとるのか?」


「知るわけがない。世界はもとより僕んだ。この世界に存在している時点で、それはもう、僕のもの。世界は、僕のために生み出された小さな、箱庭だ」


 背を向けかけていた老人は、その言葉に改めて、振り向いた。それは、が言っていた言葉と、よく似ていたから。

 逆に、その男の子は、老人になどもう興味もないように、その部屋を出て行こうとしている。その背へ、声を――。


「『パパ』―! ご本読んでほしいのじゃ! 自分で読むのめんどいのじゃ!」


 うおお! と、勢いよく走ってきた女の子が、いまだ小さい、その体を覆い隠せるほどの大きな書籍を取りこぼした。それは、間一髪ぶつかりかけた男の子の、足の小指に直撃する。ニワトリを絞め殺したような叫びが、上がった。


「…………」


 その様子をきょとんと見つめ、女の子は一拍、沈黙。それから「『パパ』―」と、再度、老人を呼ぶ。


「なんなのじゃ、この、妙な動きをする物体は」


「誰が……妙……っ!」


 うずくまり、叫びを押し殺して、抗議しようとする。そうして見上げる彼の姿は、どこか――


 その姿に目を見開き、彼は確信する。


 ――神聖なものにひざまずく者の、ようだった――


 これこそが、最上の『宝』だ。


 ――――――――


 くだらないことを思い出す。そう、青年は思った。


「どうしたどうした!? 動きが鈍ってきている――ぞっ!」


 最初こそ、力は拮抗しているように見えた。だが、徐々に力量差が浮き彫りになっていった。文明の中でのうのうと生きてきた者と、過酷な自然と共存してきた者。互いに相当な努力を積んできたふたりだけに、その生まれの差が顕著になっていき、やがて青年は防戦一方になっていった。


「なんでもない。ただ、走馬灯を見ていただけ――だっ!」


 黄金の杖――ブレステルメクの守りを易々と壊し、攻めてくる好青年に、そこから抜き取った刃にて切りかかる。だが、動物の勘というべきか、その太刀だけはどうしても彼に届かない。飄々と躱され続けていた。


「おっとと」


 と、好青年は大きく後退し、危なげなく着地した。


「その刃は使わない方がいい。


 その言葉と同時に、青年の視界は瞬間、ブレた。回避の瞬間に顎でも蹴られたのだろう。脳が、揺れている。


「やはりこの程度――」


 歴戦の者たちには、すぐに看破される。そう思う。

宝杖ほうじょう』、『ブレステルメク』。その本来の姿。杖に仕込まれた、『概念断絶の剣』。どのようなものも抵抗なく切れる、絶対の刃。これだけはどうしても、太虚転記たいきょてんきによる式神では扱うことができなかった。剣自体は振るえても、うまく切れないのだ。


 だからこそ、以前はそれを使うことをためらった。好青年の指摘通りだ。本体がバレる。太虚転記で分身体を生み出し、安全に戦うことを覚えてからは、その戦法が青年の基本となっていたから。

 だが、そうじゃない、と、気付いた。


 身共みどもの求めた努力とは、そんな生易しいものでは、ないだろう、と。


 ぼやけた視界に、自らと同じ姿が、見える。まだ動けない本体を守るように、太虚転記で生み出した、天照アマテラス月読ツクヨミが、好青年を抑える。こうして俯瞰で自分を見ると、気が滅入る。

 中性的な顔付き。ワカメのような濃い緑の髪。ニタニタとだらしない笑み。どれもこれも、気持ち悪い。


 ――そうだ、身共は、自分が嫌いなんだ。そう、思い出す。だから己を高めようとした。最底辺の存在だからこそ、もう落ちるところはない。あとは這い上がるだけ。暗い深淵から垣間見た世界のすべては、どれもこれも、輝いて見えた。世界のすべてが、自分を祝福しているように――『宝』のように、煌めいていた。

 だから、すべてを手に入れに出たのだ。世界は自分を迎えてくれる。世界のすべては自分に優しい。その中でも、最上の『宝』を――


 そう、求めた。いまでも、求めている。


 そして、それを思うとき、脳裏にいつも浮かぶのは、あの日の光景だった。


 彼女との邂逅。素っ頓狂に目を見開き、自分を見下ろす、赤い髪の少女。




「ああ……まったくもって、努力が、足りない」


 ブレステルメクに体重を預け、立ち上がる。その背に、彼女を感じる。




 灼葉しゃくようほむら


 彼女を好きだと認めるのに、いったい、どれだけの遠回りをしてきたのか。



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