話を聞き終え、男は腕組みし、押し黙った。
かつての友人、娘子の死に対する追悼もある。だが、気になったのはその対戦相手。フルーア・メーウィン。EBNAの施設で出会った、あのメイドに違いない。人相、服装、役職。それらもあのとき見た者と同じ。であれば、名を騙っただけの者とも思いにくい。
だが、いまの話を聞く限りでは相打ちだ。あるいはその名誉があるからこそ、わずかとはいえ彼女の死は受け入れられてもいるだろう。無駄死にではなかった。敵の戦力をひとつ、削いだのだから。
「…………」
だから、男は考えた。その事実を、言うべきかどうか。彼らに味方はできなくとも、それくらいの情報提供ならば許されるだろうか? と。あるいはそれくらいの助力をしさえすれば、彼らに助勢できないことへの罪悪感もいくらかは払拭できるかもしれない。
「どうかしましたか? コオリモリ」
目聡く、優男が男の様子に感付いたようだ。
「いや……偲んでただけだ、エルファのお嬢ちゃんをな……」
ボルサリーノを下げて、目元を隠す。情報提供については保留した。言わない方がいい。と、後付で言い聞かす。この戦争を激化させる未来しか、男には見えなかったから。
「そうですか」
そう、あっけなく、優男は引いた。男の心情を推し量ったのだろう。悪ぶってはいるが、心根は優しいやつなんだな。と、そう男は理解する。
「んでさぁ、りゅふぁーの話は終わったんだから、本筋に戻そうよ。……結局、『本の虫』は組織として、どうするのさ?」
つまらなそうに机に伏して、気怠そうに腕だけ上げて、ギャルが話を戻した。
「レンレンとゼノりんは徹底抗戦。ぴかりんは和睦を申し込む心づもりってことでしょぉ? 意見まとめなきゃ、話が進まにゃいんだけど」
「多数決でいいんじゃないですか? というか、そうなるとあなたのスタンスが問題になるんですけどね、アリス」
キッ、と、優男はギャルを睨み下ろした。彼女が男へ傾倒していることは理解していた。だから、その男が訪ねてきているこの状況では、彼女は信頼できたものではない。いや、そもそもギャルは、いついつでも『本の虫』の活動にも、WBOとの戦争にも、どこか無頓着だった。その本心は、いつも見えない。だから警戒心強く、優男はギャルを見たのだ。
「あたしぃ? ……う~ん――」
状況は逼迫している。そのうえ、彼女の一言で方針が決まるかもしれない。であるのに、ギャルは、さもどうでもよさそうに軽く首を捻って、唸った。右を見て、僧侶を見る。正面へ、男を見る。左へ視線を向けて、優男と大男も、見る。そうやってじっくりと時間をかけてから、
「いや、あたしがどうとかどうでもいいでしょ? 真面目な話するの苦手だし。こんなちゃらんぽらんがなにを言ったって――それで方針が定まったとして、誰が納得すんのさ? 上っ面だけ繕っても、みんなが納得しなきゃ意味ないでしょ」
嘆息して、ギャルは言った。言うことはもっともである。そしてもっともな言は、理性と思慮ある者を説得しうる。
「シャルウィッチ」
しかし、それらが欠けている者は例外だ。彼は単純、ゆえに、物事の大切な部分に――自らが愚直に信じる通りに、突き進むことができるのである。
「おためごかしはもういい。いま、この場ではっきりさせろ。……貴様は、某の敵か、味方か」
単純で純粋に、駆け引きなく。大男はそう、二択を迫った。
*
一度、叫び声で幼女を驚かせている。その教訓からか、大男は静かに、それでいて力強く、ただ低く、端的に問うた。
ギャルも、意表を突かれて真顔になる。しかし、それも瞬間。すぐに呆れるように弛緩して、少し、笑んだ。
「なぁによ、レンレン。長い付き合いだってのに、あたしが敵なわけないでしょぉ?」
「それは、味方と捉えていいのか? 某は貴様を、信じていいのか?」
いかつく、険しい表情。それでも、瞳は澄んだまま。純朴にギャルに振り落とされる。
だから、ギャルも狼狽する。時間を稼ぐように一度顔を伏せ、頭を掻いた。
「信じるとか……ちょっと照れるにゃあ……。あたしは別に、裏切る気はないっての」
「シャルウィッチ、『味方』だと、そう言えなければ敵だ。某を怒らせるな」
その威圧に、誰もが身を硬直させた。あの死線を越えてきたからこそ解る。これは、『殺気』だ。男は狂人を思い出して、重ねる。あの狂人は確かに強かった。しかし、人体として、肉体としての強靭さならば、圧倒的に大男に軍配が上がるだろう。それを体現する膨大なる肉体。それを間近に見ては、狂人よりもよほどの、視覚的に現実的な恐怖をも伴っている。
「そんな……ゼノりんもレンレンも、責めるように言わなくていいじゃんかぁ……。あたしは、……ただ――」
「やめてくださいよ!」「そのへんにしとけ!」
俯き、身を縮こまらせるギャルを前に、僧侶と男が揃って、声を上げた。年齢こそ男と同じであるが、見た目にはティーンほどしかない。これではいじめのようである。だから見かねて、両人とも立ち上がり、声を上げたのである。
「ちょっと取り込み中、悪いけどねえ。じじいの話も聞いてもらえるかい?」
その、ふと割り込んだ声に、立ち上がったばかりの僧侶と男が、いち早く反応した。両人、即時に視覚で認識。その、皺くちゃの赤黒い表情に、潰れた額の、横一文字の切り傷。妖怪じみた初老の男。穏やかな物腰であろうと、どこか軽佻浮薄な、人を見下す佇まい。
なぜ? いま、この場所に!? 男はまず、驚愕から入ったが、僧侶は冷静に、対応から示した。
「ハクくん!」
そばによけておいた『白鬼夜行 雪女之書』を弾き、男の元へ。逃げろ、とも、任せた、とも、守ってくれ、とも言っていない。しかし、男は僧侶の感情を理解して、その上に自らの意思を乗っけて、行動する。
「…………!」
親指を上に向けた握り拳でのみ、応えた。それは、一言でできない返答をないまぜにした表現。そして、「いくぞ!」と、幼女と女流――『家族』へ向けて指示し、その場を去る。また受け取った『異本』は、それを扱える女流に手渡して。
「なんだってんだい。貸してたもんを、引き取りにきただけだってのに」
「あなたに借りてるものなどありませんよ。教祖、ブヴォーム・ラージャン」
「『本の虫』のすべてはじじいのもんだ。急いでるんで、余裕がねえ。ちょっと強い言葉を使うがねえ――」
真っ向から向き合う僧侶であったが、その他のメンバーは各々、対応を開始している。優男は男を追った。大男は二、三、どうするか迷ったのち、後ろ髪を引かれるようにその場を去る決断をする。そしてギャルは、俯き、気が滅入っていたことを差し引いて出遅れたが、僧侶の隣に並び立ち、敵対の意を示す。
それを悠長に眺めながら、妖怪は言葉を選んだ。
「とっとと『九尾』を持ってこい。WBOを潰すには、あれが必要だ」
その返答を待つまでもなく、妖怪は僧侶へ飛びかかり、その心臓を一息、突き抜いた。
――――――――
少女は、不意の言葉に瞬間出遅れ、落ち着けたばかりの腰を上げた。『殺し合い』。なんの気なしに使われたその言葉の意味を、理解して。
「……ん? どうした? ノラ・ヴィートエントゥーセン」
女神さまは呆けたように少女を見上げ、悠然とティーカップを傾ける。言葉とは裏腹に、どうにも敵対心は感じられない。聞き違い? そう考えるが、聴覚は万端だ。『シェヘラザードの遺言』。その身体強化で完全に研ぎ澄まされたその耳が、聞き違えたなどあり得ない。
「どういう意味よ、『殺し合い』って」
だから、念のため少女は確認する。いくら挑発されたとはいえ、先手を打って殴りかかるのもまた、『負け』な気がした。
「『殺し合い』……ああ、そうか、すまない。202話の最後の会話か。うふふ……」
「わけの解らないことを言っていないで、答えなさい」
「うん……?」
少女が強く視線を下ろそうと、それをも見下すように女神さまは、まだ含むことがあるように、嘲笑を向けた。
「そうだねえ。君にはまだ『わけが解らないこと』だったね。……ともあれ、あれは誤植だ。ルビを打ち忘れている、作者の落ち度だね。傍点を付けたせいでルビが振れなかったのだろうけれど、あれは表現者として失格だ。伝えるべきことを伝えずに、雰囲気の格好よさだけで書いているんだよ、あの馬鹿は」
「なにを――」
おかしな言い回しを繰り返す女神さまに、少女は怒りを顕わにしようとした。そのとき、そう遠くないどこかから、どしん、と、振動が伝わる。
「……あっちも始まったか」
その轟音を遠く見るように、少し顎を上げて、女神さまは言った。
「なにが……ハク!?」
その方向と距離感から、さきほどの――『本の虫』と男たちとの会合場所あたりから、その振動は発生したと理解して、瞬間、少女は男たちを慮る。
「心配いらないよ、ノラ。いや、そうでなくとも、君はいま、僕から目が離せるのかい?」
もちろん、それは美貌などのことを言っているわけではない。少女も理解する。この、女神さまと呼ばれる得体の知れない人物を放っておくのは、あまりにリスキーに感じた。
だが、本来ならそんな判然としない危険度に対策するよりも、もっと実際的な振動――敵襲であろう轟音への加勢に向かうべきだったろう。しかし、少女はやはり、逃げられない気がした。目前の女神さまに、立ち向かうべきだと判断した。ここで負けるのは、すなわち人生全体での完全なる敗北に等しく思えた。
そしてそれは、決して許容してはいけないものだと。そう思って、少女はいま一度、着席する。女神さまの、その眼前に。
「さて、では君にも解り良いように、ルビを付けて言い直そう」
女神さまはティーカップを置いて、少女を、見た。
「殺し合いを、始めようか、ノラ」
しかしてそれは、命の取り合いよりもよほど、背筋を冷やす笑みとともに、言い直されたのだった。
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