向き合い、ゴキリ、と、大男は腕を、首を、足を――体全体を、鳴らした。あまりに密すぎる、筋肉量。それはミシミシと全身を軋ませる。だが、それに耐える内臓、骨格、関節、神経……それらをも、大男は備えていた。
まさに、最強の肉体。こと肉弾戦においては、この、2027年二月の地球上で、彼に渡り合える人体は、ほとんど存在しない。
そして、仮に対等以上に戦える存在がいたとしても、それは、なんらかの異能により強化された者のみに限られるだろう。身体強化系の『異本』。『極玉』の解放。あるいは、大男と同様の、極めて稀な、血筋。その遺伝子の発現。たとえば、WBO『特級執行官』、コードネーム『ガウェイン』。本名、フェリス・オリヴィエのような――スパルタの血を引く彼女の剛腕ほどでなければ、力としてまともにやり合うことすらできはしない。……かのロリババアに関しては力はともかく戦闘センスにおいて、大男に及ばないとしても。
ともあれ、これだけ言葉を尽くして語るべき、規格外の肉体の持ち主。それこそが、大男、カイラギ・オールドレーンなのである。
「某の、弱点を教えておこう」
全身に力を込めたまま――臨戦態勢のまま、大男は鈍い声を、轟かせる。
「某は、争いが嫌いだ。暴力も、武力も、戦力も。いかなる大義名分を掲げようが、それを力で押し通そうとする行為が、たまらなく嫌いだ」
「……理解できへんこともないけど、うちの考えとは若干ずれとるな。殴り合うんも立派なコミュニケーションやで?」
「双方の合意があれば、まあ、よかろう。だが、たいていの場合、『力』は、当事者の片方、あるいは双方の意にそぐわぬ形で、行使される」
「……せやな」
女傑は肯定する。特別に戦うことが多い環境にいたわけではないが、それでも、最低限の戦闘訓練や、そのもの戦地に赴いたこともある。平和な社会に生まれ育った者たちよりかは、よほどその、『力』の行使される場面を、見てきた。その経験から、素直に、大男の言う言葉は正しいと、そう思った。
「某は、いついかなるときでも、『力』に頼る行為は好まん。やむなくそれを是とするときにも、いつも心に葛藤を抱えている。はたして、やりすぎたりはしていないかと、常に常に、苦悩するのだ」
「…………」
圧倒的強者ゆえの、しごく当然な『驕り』だと、女傑は思った。それを咎める気にもならない。彼の言うことは、あまりにもっともだから。あまりにまっとうな、自己評価だから。
「だから、某は、こういう闘争を、できれば避けたい。……語りすぎたか。某、見ての通り、言葉も力も、不器用なものでな」
さて――。と、大男は、会話をしめるように、ほんのわずかに、弛緩した。全身から力を抜き、体を柔軟に動かせるように。――行動を、起こせるように。
「では、うまく弱点をついてくれることを、願おう。某に『殺し』を、……させてくれるな」
前傾に、床に片腕――拳をつき、まるでクラウチングスタートのように構え。大男は顔を上げ、その双眸で射すくめるように女傑を、見据えた。
*
くる……! と、数秒、身構えてはみたものの、大男は一向に動かなかった。まるで、スタートの合図を待っているかのように。
「…………」
疑っていたわけではないが、本当なのだと、女傑は理解する。どこまでも闘争を好まない、平和主義。いや、どころか、これでは牙を抜かれた腑抜けだ。……その牙は、おそらく自ら、抜いたのだろうけれども。
つまり、大男は相手が先に行動を起こすのを、待っている。まだ、引き下がってくれやしないかと、期待や、願望をも込めて。
「ふうぅぅ~~……」
だから、こちらから行くしかない。そう、女傑は判断する。女傑は、大男と対比するなら、一般以上には好戦的な性格だ。だからこそ、大男のことが解るし、解らない。
『力』が、自身も相手も不幸にする手段だと理解している。だがそれでも、それを持つ者は、否が応にもそれを用いてみたい欲求があるものなのだ。もしかしたら大男にも、その欲求はあるのかもしれない。いや、おそらく、全人類にそれは、少なからずある感情だ。であるのに、それを極限まで抑え込もうという、その決断が女傑には理解不能だった。平和主義は、なるほど素晴らしい。しかし、こうまで敵対した状況ですらそれを我慢するのは、もはや狂気の所業だ。だから――。
引き出したい。と、そう、女傑は思った。というより、実のところ最初から――ここに来る前から、この仕事を引き受けたときから、ずっと、わくわくしていたのだ。
地球上最強の人体に、はたして自分が、どこまでやりあえるのか。と。
「『霊操 〝宙睡〟』」
口内にとどめる程度に、小さく、小さく呟いて、深呼吸。目を閉じ、脱力して、息を吸い、吐く。それを二度、繰り返した。
自分自身の、本当の力を、引き出すために。
「もっかい言っとこか、カイラギ・オールドレーン」
「…………」
仕掛ける、最終段階の言葉。そう理解したから、大男は言葉を控え、ただ、警戒した。
「『異本』を渡して、『本の虫』は解散せえ。それであんさんの望み通り、穏便に済むやろ?」
ふん。と、強く、息を吐いた。それは女傑の提案を嘲笑ったのではなく、ただ、その問いにはもう答えたと、そう、表明するだけの、間隙。
だから、ふん、と、女傑も、笑った。そうこななあ……と、口角を上げる。
「あんさんに敬意を表して、うちもその流儀に、乗ったるわ」
「……?」
それには大男も疑問を少し、態度に示す。
「降参するなら、早よ言いや」
開戦の合図に、そう言って。女傑は地面を強く、踏みしめた。
*
ふっ、と、残り香だけを留めたようにして、女傑は、消えた。……そういうふうに、大男は、認識した。
大男の身体性能は、すべてが突出している。それは、筋肉の量や密度、質、その他臓器や骨格のみに及ぶ話ではない。五感から受け取る全情報の、その、伝達速度や精度、その点にまで彼の、『人類最強』はカバーしていた。ゆえに、彼の動体視力で捉えきれない速度など、本来、人間が到達できるものではないことも、大男自身が誰より、よく知っていたのだ。
身一つで戦う、という条件下において、大男が認めた数少ない達人。いまや故人である馮老龍であっても、大男のその目を欺けたことなど、一度としてない。それは、単純な体捌きやスピードのみならず、あらゆる戦闘技術を駆使したうえでの、戦績である。不意打ち、牽制、威嚇、翻弄、……その他、あらゆる騙し討ちをも、かつて誰も、大男のその目を欺いた者など、いなかったのだ。すなわち――。
「異能の類か――!」
そう、当然と判断する。『異本』や『極玉』、『宝創』などを用いたものであれば、あくまで人間の範囲内でしかない大男の目であれば、欺くことも可能。現に、そういう異能においては何度か、大男も敵を見失ったことが、確かにあった。だからそれは、当然の判断だった。
「ちゃうわ――!」
声――の、数瞬前に、気配で察知し、大男は防御する。地につけていた拳とは反対の腕を振り上げ、その、上方からの攻撃に、対処。頭も固い大男だが、さすがに頭部を狙われるのは危機感もある。そこをしっかとつき、死角から襲った女傑に、なんとかすんでで、大男は防御を成功させた。敵の異能が解らないから、大袈裟に距離を取る。
「貴様……っ!」
おそらくすでに、また姿を消しているだろう。そう思い、めまぐるしく周囲を見回した大男は、すぐ、正面に目を止めて、驚愕した。
「おーおー、やっぱ硬すぎんやん。ほんま」
なにごともない様子で、女傑は腕をぷらぷら、振っていた。おそらくさきほどの攻撃に使ったのであろう、右腕。それが、肘部分で、本来の人体とは反対方向に、ぷらぷらと折れている。
どうやら、力負けして折れたようだ。そう、大男は判断して、青ざめる。だから、言わんことではない、と。
「だ――」
「なあ、量子って知っとる?」
そんな大怪我などなんでもないように、女傑は大男の言葉を遮った。
「あらゆる物質のもとになっとる、最小単位の米粒や。まあ、うちもよう知らんけど。なんやあれって、粒子と波動、両方の性質を持っとるとか、なんとか?」
語っておいて、相手に聞くように、女傑は笑う。本当に、にわか知識をひけらかすように、歯痒そうに。
「ま、そういう感じやねん」
と、理解が足りないからか、適当に、女傑は話を終えてしまった。それでは当然、なにを言っているのか解らない。そう、大男も問い質そうとする。が――。
「うちらはな、そういう種族――星の下に生まれた者や。……なあ、カイラギ・オールドレーン」
その、反対に折れた腕は、いつの間にか、手品のようにぼやけて、そして、けたたましく発光する。融けて、大気中に流れる流体のように――しかして、鋭く刺す、針のように飛び散って、轟音を、弾けさせた。
それはまるで、その肉体が、雷にでも成ったように。
「古代兵器、舐めんなや、ワレェ」
その表情は、年頃の女性。しかし、それはたちどころにぼやけて、空間を刺すように、消えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!