極玉を取り込んだ人間は、その生物の力を幾分か得ることができる。本来、人間には持ちえない力。それは例えば、肉体を鉄の鎧で包んだり。切り刻まれても死なず、むしろ肉片ひとつからですら自分自身を再生成したり。ガラスの肉体に、ガラスを操る能力を得たり。その発現内容は極玉との同調率に左右され、同じ極玉を取り込んだ人間同士でも自ずと差異が生まれるが、こと戦闘能力に関して、多少なりとも強化されることは確かである。
そして、そういった特異な力を得ること以前に、元の人間としての肉体性能も、連動して向上する。筋力や、五感の強化。あるいは、あらゆる負傷への耐久力強化。
――つっても、そう長くは保たねえぞ? いまは毒に蝕まれた体をだましだまし動かしちゃあいるが。天然極玉を開花させたダフネの毒は、元来のものより毒性が強く、そして即効性があるからな――
「だったら、あなたは解毒に専念してください」
メイドは、自分自身へ向けて、言う。
怒りにより自身の極玉を発動したにも関わらず、自我を保ったままに。
「ここにきて、ようやく極玉を飼い馴らしたのね、アルゴ。実に良い傾向です」
高速で繰り出される徒手空拳を、危なげなくいなしながら、ブロンドメイドは言う。
「私たちとは違って、あなたのそれは神話時代の極玉。ゆえに、現代を生きる私たちには十全に扱いきれない。そう諦めかけていらっしゃる、スマイル様の理論を打ち砕くほどの僥倖です。素直に褒めて差し上げますわ」
幾度かの打ち合いの末、メイドは姿勢を崩される。
そうだ。ブロンドメイドの得意とする戦闘術は、古武術や合気道、太極拳、ボビナムといった、相手の力を利用するものばかり――!
「簡単に言ってくれんぜ」
心の中で響いていた声が、メイドの鼓膜を揺らす。
それと同時に、片足を床へめり込ませ、浮きかけていた体を無理矢理、支えた。姿勢を崩され、倒れ込むしかなかった体を止めて、そのまま回転。回し蹴りを放つ。
「戦闘も手ぇ貸してやらねえと、すぐやられっちまうだろうが!」
ブロンドメイドは、その蹴りを受け、飛んだ。いや、跳んだ、のだろう。威力を相殺するために。
その証左に、す、と、ブロンドメイドは穏やかに、静かに淑やかに、そして優雅に着地した。そして、スカートをわずかに払い、汚れを落とす。一連の攻撃で唯一、メイドが与えた汚れを、なんでもなさそうに。
「いいですわよ、アルゴ。もっと洗練させなさい」
そう言って、ブロンドメイドは美しく、笑った。
*
――力を上げたところで利用される。ダフネを相手取るのに、一番辛えのはそこだな。かといって、技術で勝とうとする方が現実的じゃねえもんなあ。……これじゃ、極玉の力を使わせることすらできねえぞ?――
「解りきったことを言わないでください。体が重いだけでも辛いのに、気まで重くなります」
飛び退かせ、距離を隔てた。だから数秒の休息を得る。かつん、かつん。と、靴音を鳴らしながらゆっくり、ブロンドメイドが近付くまでの、時間を。
「察するところ、まだ極玉を完全に支配下には置けていないようですわね。……そこが、人工極玉の限界です。思い通りに力を扱えず、勝手に体を乗っ取られ、任意に取り戻すこともできない。そんなちぐはぐな状態で、私に――スマイル様に逆らうなど――」
「いいんです、私は、これで」
メイドは息を整えて、相手を直視する。
「あなたたちみたいにはなりたくありませんから。この世に生まれた生命を――人格を、道具としてしか見られないようには、なりたくありませんから」
胸に手を当て、言い聞かす。まだ、その言葉に違和感は残る。当たり前だ。その考え方は、メイド自身幼少期から――生まれた直後から、ずっと植え付けられてきたものと真っ向から相反するものだったから。
それでも、心は残った。どういうふうに言い訳をしても、この気持ちは本物だ。
そう、確認して、メイドは、髪を解いた。メイドとしての自分を縛り付ける髪型を解いて、もう汗や血でぐしゃぐしゃのそれを、頭を振って靡かせる。
これからは――ここからは、メイドとしてではなく、一人の人間として。そして、男や少女の、一人の家族として。
構える。スカートの内に忍ばせた、伸縮性の警棒を。そして、長ったらしく邪魔な袖を、力ずくで破り落とす。自ら踏んでしまいそうなスカートも。破り捨て、動きやすく。
――……はっ! いいねえ。テンション上がるわ――
その心に、メイドも笑う。同感です。テンション、上げていきましょう。そう、内心で応える。
「行きます。私の――私たちのあがきを、舐めないでくださいませ」
笑顔を消して、臨戦に。
それに対して、ブロンドメイドは肩を落とし、聞こえないほどの嘆息を漏らした。
「では、教育はここまでですわね。スマイル様が残念がりますわ」
一度、瞼を落とす。次に開いたその青い眼光は、どこか違う色に輝いていた。
*
力を乗せて、振りかぶる。振り下ろす。だが、そのすべての力を減衰させることなく、受け流される。ダメージが与えられないことよりも、大きく空振りさせられ消費する体力が問題だ。
――解毒も、体をだますのもそろそろ限界だ。あれに賭けるしかねえな――
心の声に、メイドは小さく頷く。自身の怒りを静めて、よく戦況を見れば、ひとつ、手があることに気が付いたのだ。
「極玉解放時の、まっすぐな攻撃ではなくなりましたが、それでもまだ、甘い」
次の攻撃をいなし、ブロンドメイドは言う。その瞬間、がくん、と、メイドはバランスを崩し、前傾に倒れ込む。
足元を掬われた。文字通りに。瞳は二つあれど、上半身と下半身、両方同時に認識することはできない。どうしてもおろそかになりがちな足元を、一瞬の気の緩みから、掬われた。
それでもメイドはとっさに地に手をつき、受け身を取る。しかし、その時間のロス、なにより、できた隙は致命的だ。
「もう、起き上がれると思わないことですわ」
冷たい声に反応する、瞬間、頭部に重い一撃。華奢なブロンドメイドから放たれたとは思えないほどの重撃。それもそのはず、その掌底は、つま先から足首、膝、股関節……体中のすべての部位で力を逃がすことなく、むしろ増幅させて腕に伝えられている。
ぱあん! と清々しいほどの打撃音を鳴らして、弾き飛ばされる。それに反抗して身を起こそうともがくが、そうする瞬間に、今度は背後から。体を起こそうとするメイドの力ごと利用され、また地に伏せさせられる。
何度も繰り返し、もはや動く気力すら奪われたように、メイドは伏したまま静止した。
「他愛もありませんわ。たったひとつの綻びから、致命的な状況に陥る。何度も何度も、私は教えましたわよね」
メイドの頭上で、ブロンドメイドが言った。
「…………」
それに、メイドは答えない。よもや気を失っているとも思えないが、ぐうの音も出てこない。
だから、ブロンドメイドは違和感を覚えた。メイドのそばに腰を降ろし、解かれた髪を鷲掴み、持ち上げる。真っ赤に血走った皮膚。鋭く尖った角。そして、不敵に笑った、その表情に、眉をしかめる。
「なにを、笑っているのです?」
「……私は、果報者です」
「はい?」
そのとき、ブロンドメイドは、これまでに感じたことのないなにかを、……感じられなくなった。
違和感は、メイドのそばに倒れている、男から。なにかが投げ飛ばされて、それが、最後。
なにも感じられない虚無の中へ、ブロンドメイドは閉じ込められた。
*
男は、二つの策を弄していた。
ひとつ。無謀な特攻により、メイドの気力を回復させる。自身が死ぬほどのダメージを受ける。あるいは、受けたと思わせられれば、きっとメイドは蜂起するだろう。それは、離反していた家族に思うには楽観的過ぎたが、結果としてはその通りになった。男が当初思っていたものとはだいぶ毛色が違い、メイドは、自身の中にあるもう一人の人格――極玉の力を引き出すことで起き上がったのだが、ともかく。
ふたつ。男は倒れたメイドの手から、あるアイテムを借り受けていた。いや、正確には、それはもとより男のものだ。返してもらった、という方が正しい。
『ジャムラ呪術書』。その性能は、常時発動型の腐敗進行。メイドのように適応者として使わなければ、特別に戦闘で扱える代物ではない。が、この『異本』にはもうひとつ、特別な力がある。
それが、『存在の消滅』。この『ジャムラ呪術書』は、閉じられている限り発動する認識操作の性能が備わっている。つまるところが、閉じた『ジャムラ呪術書』の、直径約五メートル圏内に存在するあらゆる存在は、消滅する。消滅したように認識される。それは、人間の体や、精神であろうとも、すべてだ。
男は本来、自爆覚悟でこの『存在の消滅』に、ブロンドメイドを陥れようと画策していた。しかし、それ以前に近付けなかった。というより、近付いた瞬間に、反応すらできない攻撃を喰らい、倒れたのである。
隙を突くしかない。そう、倒れた男は考えた。そうしてメイドに目配せを送っていたのだが、それにメイドが気付いたのは、ついさきほど。
それからメイドは、男の手に『ジャムラ』が握られていることを思い出す。思い出してしまえば、男の考えも読めてくる。だから、その策を成就させるため、ブロンドメイドを誘導したのだ。
男の、手を握る。それが合図になった。
男は用意していた、『ジャムラ』を投げつける。もともと、輪ゴムで本を閉じるように仕掛けていた。その状態でページに指を差し入れ、完全に閉じないようにしたまま待機。投げつけた瞬間に『存在の消滅』は発動し、ブロンドメイドを飲み込む。
が、しかし、その効果範囲は決して小さくはない。ブロンドメイドだけではなく、メイドや、あるいは男の体の一部も、飲み込まれてしまっていた。
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