2027年、二月。台湾、台北。
WBO本部。
「何人目だ、ソナエ」
定刻きっかり、壮年は部屋に入るなり、前置きもなく、そう言った。
「は……えっと――」
どちらに対する問いか、瞬間、思考して、
「二人目です」
若人は答えた。後ろ暗いところのない方の、答えを。
その答えに満足したのか――は、表情の変化がなく解らなかったが、特段の不満もすら表現に出さず、壮年は、とにかくは席に着いた。上座、である。部屋の奥、壁一面をガラス張りにし、開放感を充足させた、その摩天楼の景色を、背負って。
「そうか。ではそろそろ声を――」
「準備を進めておきましょうか?」
若人は、壮年の言葉を遮り、提案してみた。一般的には嫌悪の対象かもしれないが、壮年に対しては、彼の言葉を遮り、その先を推定して述べることは、むしろ好意的に受け取られる。それは彼の、無駄なことをいっさい排除したいという欲望と合致するからである。
「なにをだ?」
問い返される言葉に、瞬間、若人は背筋を冷やす。
「彼女の使用人を、引き込む準備を……そういう意図は、ありませんでしたか?」
読み違えただろうか? 壮年に心酔して、彼の思想を常に追い求める若人は、彼の思考や手法をよく理解している、つもりだった。そのうえで彼に重宝され、彼のためになるようにと積極的に、彼にアプローチを続け、その多くを成功させてきた。それでも、ときおり読み違えることくらいはある。
仮にそうした過ちを見せても、壮年は気分を害した様子もなく、ただ淡々と若人をたしなめるのみであり、特段の処罰も、どころか、嫌悪感の片鱗すらも垣間見せない。それでも――それゆえに、彼の内心を損ねる発言は、若人の背筋を常に、冷やすのだった。
「いや、そのつもりだった。まだ――」
瞬間だけ、口を噤んで、壮年は、腕時計を確認。
「早いな。おまえがそのつもりでいたなら、特段の準備は必要ない」
どうやら、読み違えてはいない。仮に読み違えたとするなら、彼にとっての自分への評価が、予想より少しだけ低かったらしい、ということくらいだ。と、若人は分析して、わずかに喜び、わずかに悲しんだ。彼の予想を上回り彼に貢献できたことは喜ばしいことだが、自分が彼の思惑を読み切れていないと思われていることに、悲しみを抱いたのである。
「体調はどうだ、『モルドレッド』」
話題が、変わったらしい。壮年はいとも唐突に、前置きもなく安易に、話題を変える。
「……はいっ!? えっと――」
急に名を呼ばれたパリピは、慌てて思考を巡らせた。視線も、『執行部』が座る、壮年から見て左手の席から、まず壮年を見て、『管理部』を見て、若人へ目をやり……と、泳がせる。いつも朗らかな笑顔を張り付けたような若人が、ほんのわずかに、口の端をひくつかせた。壮年の前だと、彼はいつも、余裕がない。
「お、おけまる、……です」
上司。そして、大切な会議の場。とはいえ、ふざけた口調を咎められることはない。それでも、やっぱりちょっと、パリピ語は控えようと思っていたのだが、どうしても出てしまった。
「重畳だな。問題があれば報告するように」
パリピの内心の焦燥などには気も付いていない様子で――気付いていてもなんとも言及しなかっただろうけれど――壮年は言った。
『Enigma』の副作用について、だろう。そう、若人は当然と理解していたが、パリピは理解できていないらしい。「は、はあ」と、曖昧に頷く。
「リュウさん。僭越ですが――」
だから、若人は一言、進言しようとした。
だが、ピリリリ、という、簡易な効果音と、なにより受話器のジェスチャをした壮年の腕に、言葉は飲み込まれる。
「早いな。……いや――」
電話に出るなり、特段に名乗りもせず会話を始め、壮年は、視線を巡らせた。それは、そのように、頭を巡らせている、ということの表れだろう。
「一度顔を出すか? それとも本丸を? ……そうか」
相手の返答を聞いたのだろう。それに対する応答を残さぬまま、失礼ともいえるタイミングでさっさと、壮年は通話を終了する。
「フルーア」
「はい、リュウ様」
そばに控えていた、おかしな格好をしたメイドのような秘書が、即座に彼に、耳を寄せた。
だが、軽く手を振り、彼女の動作をあしらう。するとその、そばかすを携えたメイドは、寄せた耳を――顔を上げ、姿勢を正した。内密な話ではない、ということのようだった。
「シキくんからだ。『努力を続ける』、そうだ。私には意味が解らん。おまえに任せる」
「はい。お任せください」
「ここはいい。早めに対処してやれ」
「かしこまりました。失礼いたします」
あしらうものとはまた別の動きで、壮年は彼女に、手を振った。
「ゾーイ」
「もう送ってある」
若人ほどではないが、司書長は、壮年の言葉を理解したうえで、遮るほどでもない適切な言葉の継ぎ目に、返答を挟み込んだ。
電話の内容に関する情報収集には、司書長も少しばかり噛んでいた。そして次が必要だろうと考えて、瞬間に新しい情報を、『送ってある』。これはそういう会話だった。
「そっちの仕事も手伝おっか? ヨウ」
他意はないのだろう。ただ、こういう場だから、比較的彼女も、神妙な言い方をしている。だが、それが絶妙に、他者を――彼女より劣っているという自覚ある者を、刺激した。
「おまえの力を借りるほどの案件ではない。気を揉ませた」
最後の言葉は、彼にしては珍しい言だった。少なくともWBOでは、壮年は組織のトップだ。そうでなくとも、相手への気遣いが足りない言動を旨とする壮年である。このように、相手をおもねる言葉を付け足すあたり、やはり司書長には感謝しているし、多くを頼ってしまっている申し訳なさも抱いているのだろう。
「意見があるのか? 『ランスロット』」
右を向いた首を回し、執行部へ向けて、やはり唐突に、壮年は言った。
「べつにぃ。管轄外の仕事に口出しするほど、『管理部』は暇なんですねぇ。……って、思っただけですよ」
悪ぶれもなく、ゴリマッチョは言った。誰もが個人差こそあれ、どちらかというと前傾しているという中、唯一、大きく後ろにのけぞった姿勢で。ちっ。と、舌打ちまでして。
その態度に、若人は内心、ひどく苛立った。だが、壮年の表情は一貫して、大きく変化しなかった。悪態をつかれた司書長すら、へらへらと苦笑いしている。……彼女に関しては表情や態度以前に、なぜだか周囲をさんざんとっ散らかせているから、それだけで緊張感は薄いけれども。
「次、人を殺したら」
外見には解りづらいが、壮年の声のトーンは、若干落ちている。
「私はおまえを庇わない。『ランスロット』」
「結構ですよぉ。もとよりボクは……ボクらは、ただの犯罪者だ」
人殺しなど、なんとも思っていない。そういうニュアンスで、ゴリマッチョは言い、ふっと、立ち上がる。
「『ランスロット』」
若人が言う。
「ソナエ」
壮年が、止めた。放っておけ、ということだろう。
だから黙ったまま、ゴリマッチョは退席する。「すみません」。と、若人が頭を下げた。
「それで、なんだ?」
響いた声に、きょとんとした。ゴリマッチョを見送っていたから――あるいは、忌々しげな目を向けていたから、壮年からは視線を外していた。だから、若人はそれが、自分に向けられた言葉だと、気付けなかったのである。
「なにかを言いかけていただろう。私が電話に、出る前に」
そうだ。と、若人は思い返す。だが、そんな程度のことは、いまはいい。パリピの管理は自分でやります。その程度のことだ。
また、ゴリマッチョのことも、特段にどうということもない。別段、彼の言動をたしなめる気もないし、少なくとも、壮年が気を揉むほど、彼のことなど重要にはならない。いや、重要にはしない。そう、若人は自らに言い聞かせた。
だから、さっき言いかけたことはなんでもない。そう答えてもよかった。だが、ここまでのやり取りで、追加に気になることが増えてもいた。
「織紙四季」
壮年の、さきほどの電話の相手を想起し、切り出す。
「これ以上、手をお貸しになるつもりなら、いっそ、こちらで管理しては?」
「おまえには無理だ、ソナエ」
それは、オブラートに包まない、彼の本音。若人への信頼が足りないからではなく、単純に力量差を推し量ったうえでの、言葉だった。
だから若人は、落胆も、憤慨もしない。かの青年を管理するなら『執行部』しかなく、そのトップである自分に無理なら、無理だ。そう、事実として理解する。
ただ、能力が足りずに、それで壮年の役に立てないことに、若干の気落ちはしたけれども。
「氷守薄と同様、織紙四季にも手を出すな。こと戦闘において、彼を打ち負かせられる者は、WBOにはいない」
フルーアが善戦できるくらいだろう。そう付け足し、壮年は立ち上がった。本日の会議を終わりにする。という、彼の意思表示である。ここで追加の議題を出さねば、彼はそそくさと、締めの言葉もなしに、足早に出て行ってしまうだろう。
「リュウさん」
だから、若人も立ち上がり――つまるところが、出て行こうとする彼を、ともすれば追いかける準備をして、声を上げた。見ると、司書長はもうすでに、その姿を消している。『世界樹』へ帰ったのだろう。
「織紙四季については、理解もし、納得もします。しかし、再三おっしゃられている、氷守薄。……彼については、どうして手を出してはいけないのか、理解しかねます」
尊敬する彼の言うことだ、若人は、理解はできずとも納得はしている。しかし、理解できないというのは、もどかしい。そこを踏み外していては、今後、壮年を追い続けることにも、支障がでそうだった。
その段階で、すでに壮年は、部屋の中ごろにまで歩みを進めていた。それは、若人と肩を並べる、そのような位置だった。
足を止め、その位置から、部屋の中央へ向き直る。残っているのは、『執行部』の上層、若人や、パリピにロリババア。そして、暫定的に『管理部』にも兼務させている、学者だけだった。
彼らを見て、壮年にしては珍しいことに、ゆっくりと間を取ってから、口を開いた。
「おまえたちに説明する気はない。納得できなければ、好きにしろ」
表情も、声のトーンも平常だった。しかし、どこか圧力のある、言葉でもあった。それだけ言って、そそくさといつも通り、壮年はまた、歩みを進める。
「……リュウ! べつに私は、納得してないわけじゃ――」
突き放されたような――そもそもずっと、最初から遠く離れていたことを再認識したような気がして、焦り、若人は、壮年を追った。
*
「ソナエ」
廊下へ出て、ふたりきりだ。そうなって初めて、壮年はその話題を、口にした。きっと、若人をおもねったのだろう。
「『パロミデス』はどうした?」
「殺しました」
若人は、最初から答えを用意していた。だから、いまさらその報告に、葛藤などない。
「そうか。死体は?」
だが、次いで投げ掛けられる問いには、虚を突かれた。それはまるで、知っていたかのような問いだったから。
「……えっと、あれは――」
死体をどうしたか。それは覚えている。言い淀むことはない。だが、問題は、それがあまりに非現実すぎて、どう説明したものか、悩んだのである。
そもそも死体に関してどうにも、若人は処理していない。処理するまでもなく、あるいは、処理のしようもなかったのだ。だって――。
「いや、いい」
壮年は、無感情そうに、そう言った。
返答が遅いと、壮年は、そうやって自己解決することがよくあった。その諦めのような言葉を、若人は怖れて、いつも遅ればせながらいろいろ釈明するのだが、しかし、このときに限っては、どうにも言葉が出てこなかった。
やはりあの現象を言葉で説明するのが難しかったし、それに、どうやら壮年は、そのことについて十全と、理解している様子だったから。
「やはり、制御できなかったか」
若人に、というより、自身に言い聞かせるように、壮年は小さく、そう言った。
確実に殺した。それは、若人から言わせれば、絶対だ。疑う余地もない。そういう『異本』なのだから。
だから、死体が――その絶命を迎えた直後に、あとかたもなく消えてなくなったことも、それは、さしたる問題ではないと、若人は思っていたのだった。
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