殺す。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。殺す!
毟って殺す。嬲って殺す。剥ぎ取って殺す。噛み付いて殺す。掻き切って殺す。引き裂いて殺す。抉り取って殺す。搗ち割って殺す。断ち切って殺す。引き千切って殺す。擂り潰して殺す。押し潰して殺す。腐り爛れさせて、殺す!
「ぶっ……殺す!」
メイドは言った。怒りの形相で総毛立ち、全身の皮膚を赤く、滾らせて。
もみ消さないといけない。その事実を、知る者を、跡形も残さず、この世から消し去らなければならない。
「あーらら」
そのメイドの変貌を見ても、動揺などなく、射手は呆れたように、ぼやいた。
「なーんだよ、怒っちゃって。俺は別に、悪口のつもりで言ったんじゃねーっての」
銃の構えを解く。動かれる前に先に、木の一本分、下がる。
次の瞬間、さきほどまで射手が立っていた枝ごと、その木が、倒壊した。
「ちっ……やーっぱ第四世代以降は、違うね……」
少しだけ顔を歪ませ、射手はさらに距離を取る。
メイドは、すでにメイドと呼べるほどのしとやかさなどなくなっていた。いや、それどころでもないのだが。
ロング丈のクラシカルだったメイド服は、ところどころ破れ、パンクロックなファッションにしか見えない。全身の皮膚が燃えるように赤く染まり、まるで血を流しているかのよう。全身の毛が逆立ち、その勢いのみで髪型は乱れ、美しく整えられていたマーガレットの髪型は跡形もない。
そして、射手の言う通りEBNA第四世代以降の出身者に見られる特性。それが発現しつつある。
彼女の場合は、一部の髪の毛が静電気に吊り上げられているかのように、特別に逆立ち、二つの耳のように高く伸びていた。そして、徐々に額から、なにかが生えるかのように突き出てくる。いや、皮膚や、その内の肉が成長しているかのようだ。というより、その形質を思えば、伸びているのは、骨に近いのだろう。
その額から伸びているのは、さしずめ角だ。ずっと後ろで、若者を守るあの女児のように。皮膚なのか肉なのか骨なのかは解らないが、硬質化した角が、額から生え始めている。
いつだったか、彼女の製作者は、彼女をこう呼んだ。
幻獣兎人間。と。
*
普段、メイドはこの力を解放しない。そんなことをするまでもなく、彼女の能力はすでに、とうに人間を超えているのだから、必要がなかった。いや、そもそも、その力はもとより、彼女の意志では制御されていない。
これは――この力は、製作者自身、外に漏れ出させるつもりもなくプログラムしたもの。それが、なんらかの不手際により、感情の閾値を超えた場合に発現する形となった。この問題はいまだに解決されていない。
まあ、EBNAについてはいつか語るときがくるだろう。いまは、この状況だ。
本来、メイドは自身の感情をも完璧にコントロールしている。特殊な実験や教育で得た力により、洞察力、観察力も人並み以上。いや、人知を超えていると言っても過言ではない。そんな彼女の虚を突き、驚愕や、ましてや怒りなどを感じさせる出来事など、そうそうあるものではない。
だから、こんな事故は、基本的に起き得べかざるものだ。
しかし、極度の集中と緊張状態の持続が、メイドの心をすり減らした。そこへきて、射手のあの言葉だ。
メイドが唯一、自らを恥じる経歴。EBNA出身者という、肩書。それが、削れていた糸を、ぷっつりと切った。
普段は自身に課せられている『メイドたるべし』という意識が、彼女の理性を保っている。どんなふうに人知を超えていても、彼女も人間だ。疲弊することもある。気が抜けるときもある。だが、その緩みは、毎日の休憩時間により発散され、引き締められる。だから極限に心をすり減らすなど、本来あるはずなかった。
それが、切れる。
彼女の本性が、表に現れる。
*
「殺す! 殺す殺す殺す殺す、コロスコロスコロスコロス!!」
もはや理性などない。ただの獣のように、力任せに突っ込んでくる。
足をもつれさせ。木々をなぎ倒し。つまずき。衝突して。それでもなお、まっすぐに。
「つっ、まんねー」
その威圧感、力、怒涛のごとき怒りを見ても、やはり射手は気の抜けた顔と声で、そう呟いた。言葉とは裏腹に、動きは機敏だ。そうでもなければメイドに追い付かれるからではあるが、それにしても、その外見や態度とはかけ離れて、動きにキレがある。
ときおり、メイドの動きが鈍る。そのタイミングで射手は銃を構え、狙いを定める。
いや、定める、というほどもない。距離は数十メートル。射手ほどの腕前なら、外す方が難しい。ましてや、いまのメイドは、我を忘れ突っ込んでくる、ただの獣だ。
だからこそ、つまらない。いまのメイドを撃ち抜いても、なんの喜びもない。さきほどまでの読み合いが、やり取りが、楽しかっただけに、こんな形で終わらせるのは躊躇われた。
「おっとと……」
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。獣。というからには、力は人間以上だ。動きは完全に見切れるとはいえ、万が一、一発もらえば、それだけで致命的。つまらなくとも、興醒めでも、いい加減に終わらせなければならない。
これも仕事だ。そう、割り切る。
そうこう考えているうちに、またも、メイドが足をもつれさせ、体勢を崩した。速度が落ち、隙ができる。
だから、射手はため息をついて、反射的に構えた。
息を整え、世界に沈むように、心を落ち着ける。地面に落ちたメイドを狙うには、頭部の方が容易だ。だが、新たに生えた、角のようなものと、耳のようなものが邪魔くさい。それらの硬度も推定しかできないいま、防がれるということも考えられる。
ならば、心臓だ。見たところ、皮膚は硬質化しているとは思えない。このわずかな追いかけっこの間にも、いくつも切り傷が刻まれている。少なくともこの銃弾を防げるだけの硬度はないはずだ。
頭部と比べるとやや狙いにくいが、まあいい。むしろそれくらいは難易度が上がった方が、自分自身に納得もできようというものだ。
この戦闘を終えるだけの、納得が。
*
このあとに起きた出来事。それぞれに射手は驚き、その度に思考を巡らせ、順々に対処をしたが、結果として、結局この日の仕事は完遂されなかった。
射手は狙いを定めた。メイドの心臓へ。頭部よりやや難易度は上がっていたが、そんなもの、誤差でしかない。距離は数十メートル、外すわけがない。あれだけ撃つのを渋った射手だが、いざ撃つとなれば、その引金は軽い。いともあっさり、銃砲が響いた。
「遅い。時間だ」
その声は、聞き覚えのないものだった。だがその白は、見覚えのあるものだった。それが、射手の弾丸を受け止める。いや、止まってなどいない。通過した。
すると、不意に現れたその人物は、幾片もの紙切れになり、渦を巻いて飛び散った。なんだったのだ? そうは思うが、いまは、銃弾のその先が重要だ。射手は改めて、紙片が舞う、視界の悪い先を見た。
そこに、メイドの姿は見当たらなかった。……いや、違う。メイドは別途現れた、別の人影に隠れていたのだ。その姿を、『人』だと呼ぶとすれば、だが。
「メイちゃん! 気をしっかり持つのだわ!」
メイドを庇った『人影』は全身を樹木のようにうねらせて、見るからに硬質化した様相で、そこに立っていた。この戦闘の初撃を防いだように、威力に耐えかねて、吹き飛んだりもせず。地に根を下ろすように、しっかと立っている。
女児だ。確かに目は離していた。とはいえ、ここまで接近されるほどの時間、無視し続けていたわけもない。そのうえ、若者と女児は、いくら銃弾が飛んでこないとはいえ、常に狙われている意識はあったはずなのだ。そう容易く動けるはずもない。なのに、急に、女児も、そして思い返してみるに、銃弾が先に紙片へと変えたあれは、標的である若者、彼も唐突に、現れた。
……いや、だが、それは、いま考えることではない。『異本』を持つ連中だ、こういうことも起こり得るだろう。射手は驚愕こそすれど、冷静だった。狙撃手にとって必要な素養には、どんな異常にも心を揺さぶられない先見の明と精神力も含まれる。
だから、とにかく対処をする。理屈は解らないが、どうやら若者と女児にも接近された。若者は銃弾に貫かれたが、あの消え方、おそらく死んではいまい。女児のあの防御力。何発撃ち込んでも、致命傷どころか、弾き飛ばすことすらもう、難しいだろう。
メイドはどうした? あの状態、味方も関係なく、無差別に暴れていてもおかしくはない。だとしたら、正気に戻ったのか?
解らないが、ここまで近付かれて、三対一。劣勢だ。このあたりが引き際。仕事を遂げられないのは沽券に係わる……が、命には代えられない。
弾薬は、あと二発。これを使って牽制し、逃げる。
それが、射手にとっての最後の選択だった。
*
だが、射手のその選択は、乱雑にぷつりと、あっけなく断ち切られた。
「……なーんだよ。いわゆる『鍵本』かよ」
まだ気を抜くわけにはいかないが、肩は落とした。問題ない。まず間違いなく、十二分の距離は取った。
『鍵本』。ごく少数の『異本』に付随する、いくつかの本。本家の『異本』のサポートアイテムのようなものだ。一部の『異本』は、この世界とは別の空間に存在することが、ままある。異空間制御。異空間転移。そういう類の『異本』には、その場所までの道を繋ぐ、『鍵本』が多く存在するのだ。
それら『鍵本』の特性は、おおまかに一貫している。すなわち、本家『異本』までの道を繋ぐ代わりに、一時、別の異世界に送られ、『試練』を課せられ、それを越えることで、初めて『異本』へと至る。その瞬間、『鍵本』発動者、あるいはその付添人は一瞬この世界から消え、『試練』失敗時、あるいは成功しても付添人は、消える前の場所、時間に戻される。
とはいっても、ほんのわずかな、ズレ程度はある。誤差の範囲内だが。それでも、あの場から離脱するだけの時間くらいの、ズレはあった。
「あいかわらず、殺し屋というには程遠いですね、ルガーシさん」
その声に、射手は銃口を向ける。冷静に、淡々と、事務的に。
「まーたあんたかよ。邪魔はすんなって言ったろーに」
「ええ。ですから、遠くから見ていただけじゃないですか。手は出さずに」
「あわよくば目的物を奪おうとしてたんだろ。俺が信用できねーのか、追加料金が惜しかったのか。どーだか知らねーけど」
数十メートルもない。その距離は、せいぜいが三メートル。この距離なら、素人でも、そうそう外さない。
そんな至近距離でも余裕そうに、その青年は大仰な身振りで、隙だらけに肩をすくめた。
「信用はしてましたよ。あいつらの気を引く程度の働きはすると。しかし、あの目的物は大切なものなんです。できれば、自分の手で、間違いのないように奪いたかった。それだけのこと」
しかし、まったくの期待外れだ。青年は小さくぼやき、扇を広げた。その扇に口元を隠し、射手を見下ろす。
「とにかく、金は返す。今回は俺の失態だ。悪かったよ、依頼人さん」
さして悪びれもせず、射手は言った。申し訳なさそうな顔を作ってはいるが、その目は冷静に、まだ青年を捉えている。
「いえ、金など結構。またいずれ、頼みにするときもあるでしょうから、預けておきます」
そう言うと、青年は踵を返した。歩き、立ち去る、ということもないようだが、背を向け、わずかに顔だけ射手に向けて、言葉を紡ぐ。
「身共も、これより少々、出掛けなければならないのでね。もしかすると数年、戻れないかもしれない」
「ふーん」
仲間でも友達でもない。ゆえに当然と、射手の態度はあっさりしていた。
「いってらっしゃー。もうあんたの依頼は、こりごりだよ」
射手は言う。こりごりというには、楽しそうに笑んで。
すると、青年は肩をすくめて。
それを合図にしたように、体を幾千の紙片に変え、どこかへ飛んで行った。
その先は、東。ここからだと、三輪山の方角か。射手はそう、山を見上げた。
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