箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

理解の超越

公開日時: 2023年7月28日(金) 18:00
文字数:2,939


「そりゃあ、どういう意味だ? ――『もういい』。それは、解ってくれた、って、ことか……?」


「ええ、解ったわ。……いいえ、解ってる。そんなの、最初から――」


 息を、吸って。ためらってから、少女は、息を吐いた。静かに。


「この、理解は――。はたして、『家族』として長く、ともにいたから、解るのかしら。それとも、わたしのこの目が、見抜いたからかしら……」


 独白のように、小さく、少女は呟く。虚無を撫ぜるような、儚い、言葉だ。


「ノラ! やめろ、考えるな――」


「でも、だって、わたしは――」


「俺を!」


 男は、考える前に、そう言っていた。具体的な案は、まだ、ない。だが、確固たる決心をもって、強く少女を、抱き締める。


「俺を……信じろ。なんとかする。おまえの憂いを、すべてなんとかする……! だから、おまえは考えるな。おまえは愚かな、少女ガキのままでいろ……!」


「…………!!」


 そのぬくもりに、いったい何度、揺さぶられてきただろう? 少女は考える。いいや、考えない。男の言葉に耳を貸して、父親の諭しに従って、少女は、考えない。考えないように、努める。


 だが、思い起こすのだ。これまでの人生を。忘れていた、記憶とともに――。


 自分の本当の、両親。家族。


 かつて、『女神さま』と交わした言葉を思い出す。失った――少女が自ら失わせた、記憶。それをもう、いまの彼女は、思い出せる。


 本当の両親が――が誰か、少女はもう、思い出せるのだ。だから、あらゆる運命を、あらゆる『因果』を、知っている。


 。理解できる。その事実が、少女を幻想に取り込ませない。彼女はどれだけ心を揺さぶられようと、感化されない。その感情を、割り切ってしまえる賢しさがある。


 だから、だめなのだ。そういう意識は、もちろんあった。だから男は、『考えるな』と言った。それが正しい手法だとも、理解している。


 だが、正しさが自分の目的に沿わないとも、理解するのだ。少女は、だから理性的に、ずっと構想してきた目的を、第一に優先する。


 誰もを――『家族』を、大切にする、目的を。


「これ、以上――!!」


 少女は、男を突き飛ばして、声を上げる。


「わたしを、苦しめないで――! わたしは、わたしは、もう――っ!!」


 それは、少女の本心だ。けっして己が信念を通すための、おためごかしなんかじゃない。


「わたしは……もう、死にたいの……。お願い、ハク――」


 その証拠に、少女の美しい緑眼から、双眸から、大粒の涙が、滴った。


 どれだけの悲哀が、彼女に積もっていたのだろう。どれだけの苦悩が、彼女を蝕んでいたのだろう。


 少女の涙は、それを理解させるのに、残念ながら、十分すぎた。


「だから最期は、あなたの手で……殺して……」


 そう言うと、少女は男の手を、強く握った。


        *


 少女は、握った男の手を、自身の頭に誘う。子が親にねだるように、その頭を、撫でさせるように。


「わたしは、もう、疲れた」


 照れるような表情で、少女は笑う。自ら引き寄せた男の手が、どうにも自身の頭に、くすぐったいかのように。


「考えるのも、悩むのも、苦しむのも、疲れた。だけど、あなたに出会えて――メイちゃんと、パラちゃんと。ヤフユ。ハルカ、カナタ、シュウ。ジン。お姉ちゃん。ルシア。クロ、シロ。ラグナ。みんなと出会えて、幸せなの。だから――」


 改めて、強く、男の手を、自身に押し当てる。そうして少女は、自身の震えを押さえつけた。


「この――幸せの中で、逝かせて。みんなといられて、幸せだったって。馬鹿みたいに思い込んだまま、逝かせて」


「ノラ。……俺は――」


「あなたに、そんな顔をさせて、悪いと思ってる。でも――やっぱり、わがままね。看取られるなら、あなたがいいと、そう、思ったの」


「ノラ――」


 男は、納得しかけていた。

 この物語は、こうなるしかない。そう、思い込まされかけていた。


「俺は――――」


 少女の苦悩は、本物だと、感じた。


 これは、俺のエゴだ。そう思う。思わされる。


 少女がいなくなって苦しいのは、だ。


 少女は、死を受け入れている。いや、死を求めている。死でしか、少女は救われない。少なくとも彼女は、そう思っている。




 だが、ふと――。


「――――!?」


 瞬間、男は決意しかけた。少女を手にかけることを。776冊目の『異本』として『箱庭図書館』に封じることを、ほんの一瞬だけだが、決意しかけた。


 だが――、気付いた。彼の手に握られた、一冊の『異本』を見て――。




「俺は――」




 俺はなにをしている?

 俺はなにをしている?

 俺はなにをしている――?




「俺は――――っ!」




 俺は、震えている。

 いいや、違う――!!

 震えているのは、少女だ――!!




「――――っ!!」




 男は、大きく息を、吸う。

 そして、怒号のごとく、それを吐くのだ。




「――――――――っっっ!!」




 娘を手にかける父親が、この世界にいていいはずが、ないと――。


        *


 なにも、考えない。慮らない。


 ただ、思い付いた鹿を、実行する。


――――――――!!」


「――――――――!?」


 思いがけない咆哮に、少女ですら、うろたえた。


「おいいいいいぃぃぃぃ――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」


「え……ちょ……ハク――っ!」


 さしもの少女も、男の頭が、狂ったのだと感じた。


 いったいこの馬鹿は、なにを叫んでいるのだ? ジン? それは、彼の兄、稲雷いならいじんのこと?


 だとしたら、おおいに問題だ。本当に男は、頭がおかしくなった。


 だって、彼はもう、とうに死んでいるのだから。


「ジンんんんん――――!! おいこら、てめえっ! ジンんんんんんんんん――――――――っっっ!!」


「やめてよ、ハクっ!!」


 いくらなんでも、馬鹿すぎる。なりふり構わないにも、ほどがある。


 最後の最後だ。本当に、最後なのだ。

 少なくともそう、少女は覚悟していた。男と過ごすのは、これが最後、なのだと。


 だから、こんなギャグで、シリアスを壊されたくなかった。わけの解らないことを叫んで、状況をめちゃくちゃにされたくはなかった。


 思いのたけを語り合って、涙して、そして、笑顔で――そうして少女は、美しく別れたかったのだ。


「ジンんんんん――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」


「ほんとにやめてよっ! ハクっ! こんな格好悪いお父さん、わたし、望んでないっ!」


 少女は、心の底からの感情を、叫んだ。


「ジンは死んだの! 解ってるでしょ!? 呼んだって来ない! いいえ、仮にジンが来たとして、いったい――」


 言っていて、少女はふと、ぞくりとした。


 いや、もしもあの若者がいるなら――生きて、ここにいるなら――。


 ――もしかして――――。いやしかし、だからとはいえ、どうやって――?


「ハク――。あなた――」


 そんな馬鹿なこと、賢しい少女には、思い付きさえしなかった。つまり、このとき――。




 結果はどうあれ、男は、『シェヘラザードの遺言』を、超越したのだ。その、最後の『異本』を、乗り越えたのだ。




「ジンんんんんんんんんんんんんんんんん――――――――――――――――っっっっ!!」


「うるさいよ、まったく――」




 鹿――。


 少女は本気で、そう思った。




「そんなに叫ばなくても、聞こえている」




 いったいぜんたい、なにがどうなって――。


 若者――稲雷塵が、ここにいるというのか――。




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