「そりゃあ、どういう意味だ? ――『もういい』。それは、解ってくれた、って、ことか……?」
「ええ、解ったわ。……いいえ、解ってる。そんなの、最初から――」
息を、吸って。ためらってから、少女は、息を吐いた。静かに。
「この、理解は――。はたして、『家族』として長く、ともにいたから、解るのかしら。それとも、わたしのこの目が、見抜いたからかしら……」
独白のように、小さく、少女は呟く。虚無を撫ぜるような、儚い、言葉だ。
「ノラ! やめろ、考えるな――」
「でも、だって、わたしは――」
「俺を!」
男は、考える前に、そう言っていた。具体的な案は、まだ、ない。だが、確固たる決心をもって、強く少女を、抱き締める。
「俺を……信じろ。なんとかする。おまえの憂いを、すべてなんとかする……! だから、おまえは考えるな。おまえは愚かな、少女のままでいろ……!」
「…………!!」
そのぬくもりに、いったい何度、揺さぶられてきただろう? 少女は考える。いいや、考えない。男の言葉に耳を貸して、父親の諭しに従って、少女は、考えない。考えないように、努める。
だが、思い起こすのだ。これまでの人生を。忘れていた、記憶とともに――。
自分の本当の、両親。家族。
かつて、『女神さま』と交わした言葉を思い出す。失った――少女が自ら失わせた、記憶。それをもう、いまの彼女は、思い出せる。
本当の両親が――本当の父親が誰か、少女はもう、思い出せるのだ。だから、あらゆる運命を、あらゆる『因果』を、知っている。
知っている。理解できる。その事実が、少女を幻想に取り込ませない。彼女はどれだけ心を揺さぶられようと、感化されない。その感情を、割り切ってしまえる賢しさがある。
だから、だめなのだ。そういう意識は、もちろんあった。だから男は、『考えるな』と言った。それが正しい手法だとも、理解している。
だが、正しさが自分の目的に沿わないとも、理解するのだ。少女は、だから理性的に、ずっと構想してきた目的を、第一に優先する。
誰もを――『家族』を、大切にする、目的を。
「これ、以上――!!」
少女は、男を突き飛ばして、声を上げる。
「わたしを、苦しめないで――! わたしは、わたしは、もう――っ!!」
それは、少女の本心だ。けっして己が信念を通すための、おためごかしなんかじゃない。
「わたしは……もう、死にたいの……。お願い、ハク――」
その証拠に、少女の美しい緑眼から、双眸から、大粒の涙が、滴った。
どれだけの悲哀が、彼女に積もっていたのだろう。どれだけの苦悩が、彼女を蝕んでいたのだろう。
少女の涙は、それを理解させるのに、残念ながら、十分すぎた。
「だから最期は、あなたの手で……殺して……」
そう言うと、少女は男の手を、強く握った。
*
少女は、握った男の手を、自身の頭に誘う。子が親にねだるように、その頭を、撫でさせるように。
「わたしは、もう、疲れた」
照れるような表情で、少女は笑う。自ら引き寄せた男の手が、どうにも自身の頭に、くすぐったいかのように。
「考えるのも、悩むのも、苦しむのも、疲れた。だけど、あなたに出会えて――メイちゃんと、パラちゃんと。ヤフユ。ハルカ、カナタ、シュウ。ジン。お姉ちゃん。ルシア。クロ、シロ。ラグナ。みんなと出会えて、幸せなの。だから――」
改めて、強く、男の手を、自身に押し当てる。そうして少女は、自身の震えを押さえつけた。
「この――幸せの中で、逝かせて。みんなといられて、幸せだったって。馬鹿みたいに思い込んだまま、逝かせて」
「ノラ。……俺は――」
「あなたに、そんな顔をさせて、悪いと思ってる。でも――やっぱり、わがままね。看取られるなら、あなたがいいと、そう、思ったの」
「ノラ――」
男は、納得しかけていた。
この物語は、こうなるしかない。そう、思い込まされかけていた。
「俺は――――」
少女の苦悩は、本物だと、感じた。
これは、俺のエゴだ。そう思う。思わされる。
少女がいなくなって苦しいのは、俺たちだ。少女じゃない。
少女は、死を受け入れている。いや、死を求めている。死でしか、少女は救われない。少なくとも彼女は、そう思っている。
だが、ふと――。
「――――!?」
瞬間、男は決意しかけた。少女を手にかけることを。776冊目の『異本』として『箱庭図書館』に封じることを、ほんの一瞬だけだが、決意しかけた。
だが――、気付いた。彼の手に握られた、一冊の『異本』を見て――。
「俺は――」
俺はなにをしている?
俺はなにをしている?
俺はなにをしている――?
「俺は――――っ!」
俺は、震えている。
いいや、違う――!!
震えているのは、少女だ――!!
「――――っ!!」
男は、大きく息を、吸う。
そして、怒号のごとく、それを吐くのだ。
「――――――――っっっ!!」
娘を手にかける父親が、この世界にいていいはずが、ないと――。
*
なにも、考えない。慮らない。
ただ、思い付いた馬鹿を、実行する。
「ジンんんんん――――――――!!」
「――――――――!?」
思いがけない咆哮に、少女ですら、うろたえた。
「おいいいいいぃぃぃぃ――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」
「え……ちょ……ハク――っ!」
さしもの少女も、男の頭が、狂ったのだと感じた。
いったいこの馬鹿は、なにを叫んでいるのだ? ジン? それは、彼の兄、稲雷塵のこと?
だとしたら、おおいに問題だ。本当に男は、頭がおかしくなった。
だって、彼はもう、とうに死んでいるのだから。
「ジンんんんん――――!! おいこら、てめえっ! ジンんんんんんんんん――――――――っっっ!!」
「やめてよ、ハクっ!!」
いくらなんでも、馬鹿すぎる。なりふり構わないにも、ほどがある。
最後の最後だ。本当に、最後なのだ。
少なくともそう、少女は覚悟していた。男と過ごすのは、これが最後、なのだと。
だから、こんなギャグで、シリアスを壊されたくなかった。わけの解らないことを叫んで、状況をめちゃくちゃにされたくはなかった。
思いのたけを語り合って、涙して、そして、笑顔で――そうして少女は、美しく別れたかったのだ。
「ジンんんんん――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」
「ほんとにやめてよっ! ハクっ! こんな格好悪いお父さん、わたし、望んでないっ!」
少女は、心の底からの感情を、叫んだ。
「ジンは死んだの! 解ってるでしょ!? 呼んだって来ない! いいえ、仮にジンが来たとして、いったい――」
言っていて、少女はふと、ぞくりとした。
いや、もしもあの若者がいるなら――生きて、ここにいるなら――。
――もしかして――――。いやしかし、だからとはいえ、どうやって――?
「ハク――。あなた――」
そんな馬鹿なこと、賢しい少女には、思い付きさえしなかった。つまり、このとき――。
結果はどうあれ、男は、『シェヘラザードの遺言』を、超越したのだ。その、最後の『異本』を、乗り越えたのだ。
「ジンんんんんんんんんんんんんんんんん――――――――――――――――っっっっ!!」
「うるさいよ、まったく――」
そんな、馬鹿な――。
少女は本気で、そう思った。
「そんなに叫ばなくても、聞こえている」
いったいぜんたい、なにがどうなって――。
若者――稲雷塵が、ここにいるというのか――。
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