箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

6th Treasure Vol.3(日本/新潟/8/2020)

公開日時: 2020年9月2日(水) 14:23
文字数:3,767

 見回してみると、いつのまにか少年はいなくなっていた。本当に幽霊のようだ。いきなり現れたり、いなくなったり。


 少女は本棚の間を順に見回る。もしかしたらまた、なにも言わずに帰ってしまったのかもしれない。


「わっ……ちょ、ヤフユ!?」


 気を抜いていた。だから余計に声が出た。

 そこには、全身が煤けたような灰色の少年が、書庫の埃にまみれて倒れていた。


「どうしたの!? どこか具合が悪いの!?」


「なんでもない。少し、……書庫の鼓動を聞いているだけだ」


 少年は平然と言う。彼がその独特な声で言うと、なにもかもを信じたくなる。


 くうぅうん。と、腹部が切ない悲鳴を上げなければ、少女も疑問など挟む余地なく信じたに違いない。


「ヤフユ。……お腹空いてるの?」


「いや。そ――」


 くうぅぅぅううん。と、少年の肉体は精神を遮った。


「……空いてるのね。ちょっと待ってて、食べ物を持ってくるわ」


 少女の荷物は書庫のそばの空き部屋に放り込んである。少女は言うが早いか、その部屋まで食べ物を取りに走り出した。


「ちょっと、……ま――」


 今度は腹の音に遮られたりはしなかったが、それでも届かないであろう声を、少年は仕方なく飲み込んだ。自身の肉体を恨み、また、修行が足りないと後悔する。


 やがて戻ってきた少女の両手を見て、その後悔はより、深くなった。


「ほら、食べなさい! メイちゃん特製! 羊とウサギの燻製よ!」


 満面の笑顔で少女は言う。ということは、冗談ではないのだろう。少年は冷静に分析した。そうするしかなかった。

 そのワイルドな骨付き肉が、攻撃的な速度で自身の顔に近付けられては。


「ちょっと、待って。……せめて、もっと消化のいいものを……」


 腹の音と同様の、切ない声が漏れた。


「? ヤフユ、知らないの?」


「……なにを?」


 純朴な疑問符に、恐々とした疑問符で応える。

 悪い予感しかしない。


「おいしいお肉を食べると、胃液がいっぱい出て、消化がよくなるのよ」


 少年は、その言葉を最後に、気を失った。


        *


 風が強い。こういうときは、いろんな匂いが入り混じって、独特の香りになる。


 くんくん。と、鼻を鳴らす。


「やはりあそこで、間違いないようです」


 町からはやや離れているが、その立地の高さ、建物を覆う塀の高さから、十分にその場所は確認できた。聞いていた情報とも合致する。まず、間違いないだろう。


 町を歩きながら確認する。めぼしい店を見つけては、背負った大きなリュックサックに、必要物資を調達していく。


 町には活気が少ない。だが、町民の目は死んでいない。だから、いい町なのだと感じた。あの者たちが育った町。そう思うと、なるほど、そんな気もしてくる。


 町のはずれに立って、振り返る。


「さて、長丁場にならなければよいのですが」


 風上から、目的の匂いが降りてくる。だからそちらに向き直った。


 くんくん。もう一度、鼻を鳴らす。間違いない。


「いま参ります。ノラ様」


 その町に似つかわしくない正統派の姿に身を包んだメイドが、やや口角を上げて、呟いた。


        *


「『オヤジ』、また、なんか来たんだけど」


「なんか?」


 怪訝そうに若者は振り返った。、それは予定にない。


「なんつーか、メイド? 本で読んだだけの知識だけど、そんな格好の女」


「メイド……」


 心当たりはあった。だが、そんなやつの来訪は望んじゃいない。


「適当に追い返してくれるかい。いちおう三人で行った方がいいね。……ハルカとカナタは?」


「いま肉食ってる」


「肉?」


 若者は怪訝な表情を深くする。そんなものがこの屋敷にあったか? それはメイドの来訪以上に不思議な単語だった。


「あのシロってやつが持ってた。俺も一口いただいた」


「……まあいい。早めの対処を頼むよ。……リミッター解除は、三人で一回、一つ目までだ」


 人死にはごめんだからね。若者はなんでもない風に言った。


 言われた幼年は嘆息する。眉間の皺が、さらに濃くなる。


        *


「感激感激! 美味しすぎ! いまから『姉様』と呼ばせてもらうのだわ!」


 羊肉の燻製に噛みつきながら、女児が言う。食べ進めているというのによだれがまだまだ垂れてくる。


「感涙感涙! 泣けてくる! いまから『姉上』と呼ばせていただきます!」


 ウサギ肉の燻製を頬張りながら、もう一人の女児が言う。言葉通り、本当に泣きながら。


「あなたたち、どれだけ空腹なのよ……」


 もはや呆れるしかない少女だった。せっかくメイドが持たせてくれた肉で、大事に食べようと思っていたが、女児らの顔を見たらそんな気も失せた。自身でも一つ、肉を口に入れた。


 一口食べたら観念したのか、少年は羊肉とウサギ肉を一気にたいらげ、眠ってしまった。そのまま寝かせておくと風邪をひくかもしれないと思い、少女はリュックサックを放り込んだ部屋にまで少年を運んだのだ。『遺言』の力も失った非力な少女だったが、その少年はあっさりと持ち上げることができた。本当に長いこと、まともな食事を採っていなかったのだろう。


 幸いにも、毛布があった。ベッドやクッションなどはなく、コンクリート造りの床に直接寝かせたが、風邪をひかせることはないだろう。


 そうして寝かせ終わって、一息ついたころ、夢見心地な様子でふらふらと、急に二人の女児が、その部屋にやってきたのだ。


「美味しそうな匂いはー」「この部屋から漂ってー」「「くるみたいなのー」」


 少女は体を震わせた。急に現れたこともそうだが、彼女たちの顔が、生気を失ったように虚ろだったからだ。

 そしてうなだれ、膝をつく。そのままゾンビのように少女のもとへ這い寄ってきた。


「ご」「は」「「ん~~~」」


 女児はシンクロして、少女に手を伸ばす。怖かった、というのもある。だが、純粋に可愛そうに思えてならなかったのだ。だから、少女は反射的に、肉を差し出した。


 すると、冒頭の顛末になる。


「……あなたもどうぞ。あなただけお腹が膨れているなんてことは、ないんでしょう?」


「…………」


 部屋の扉のそばに立っていた幼年にも、少女は肉をひとつ差し出した。すると幼年は頬を掻き、やがて近付いてきた。おぼつかない指先で、肉を受け取る。


「まあ、……ありがとう」


 照れくさそうに礼を言った。


「いいえ、どういたしまして」


 笑顔で少女は応える。


 幼年はさらに照れくさそうにして、そそくさと部屋を出て行った。


        *


 大人が通るには狭すぎる門をなんとか通って、メイドは敷地内に足を踏み入れた。


 くんくん。と、鼻を鳴らす。


「ノラ様の匂いが一気に濃くなりましたね。やはり、間違いない」


 ここまでくればもう疑う余地はないだろう。メイドは主人の存在については確信し、思考を別のことへ向けた。


 の言によれば、ここにはその主人の兄弟が、いまだに住んでいるという。悪い男ではないが、とても偏屈だという。それは偏屈と言うほかなく、主人にもその本性を掴みきれないのだとか。

 それなのに「悪いやつじゃない」と断定するところ、やはり主人は、なんだかんだと甘い人間だ。


 まあ、そんな人間でなければ、、男と少女に着いて行こうなどと思いもしなかったのだろうけれど。


 男のことや、その人生、その人間関係については、以前の主人からいろいろ聞かされていた。だからこそ、興味をそそられた。あれだけ壮絶な人生を歩んできた人間が、、他人を気遣った。

 ローマでのこと。男の義姉である女との戦い。その中で、あの少女を気遣い、救い、守ろうとした。


 あとから聞けば、その少女自身が男の大切な『異本』であったという要素は確かにあった。それを聞いたときは少々の落胆もしたが、メイドはすぐに気付いた。


 男はただ『異本』を蒐集するためだけなら、少女を連れて歩く必要などなかったのだ。それこそ幼女――パララのように、住居を見繕い、安全なところで生活させる方が、危険は少ない。常にそばで監視できないことは痛手だが、危険な『異本』集めに同行させるよりかはよほどいいだろう。


「ハクはそうしたかったみたいね。でも、わたしが無理を言って、着いて行ってるの」


 いつか、少女はメイドに言った。


「それをよく、ハク様が了承なさいましたね」


「簡単よ。一緒にいてくれなきゃ、舌を噛み切ってやるって言ってやったわ」


 あっけらかんと少女は言った。


 その言葉に驚いたのは、いたいけな少女がそこまで言ったことについてもそうだが、結局は、男がその言を了承したという事実だった。


 そんな言葉など無視して、一人で生活させてみてもいい。少女を死ねないように監禁してもいい。財産は多く持っていたのだ。あらゆる手は尽くせばいい。だが、男はそうしなかった。


 だから、メイドは男が甘いのだと再確認する。辛い生い立ちから、少女を自分と重ねた部分もあるのだろう。


 だとしても――だからこそ。


 そんな人生を引っさげて、よく他人を気遣えるように成長なさいました。

 メイドは使用人としてより、親のような心境で、男をいたわった。


「そんな甘い主人ですから、わたくしはその分、厳しく、強くなければなりません」


 背後。そして、正面。それぞれに向かって言う。臨戦態勢のため、背負っていたリュックを降ろした。


「驚愕驚愕。ばれちゃった」


 まるで鏡合わせのような二人の女児。だが、油断はしない。


「剣呑剣呑。気を付けよう」


 なぜなら二人の女児は、揃って服の下から、無造作にを取り出したのだから。



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