2026年、十二月。日本、大阪。
暗雲立ち込め、いまにもどしゃ降りに空が泣きそうな夜。真冬の寒風も湿度を孕み、どこか生ぬるい。
とはいえ、生足にホットパンツという彼女の服装で寒くないというほどではないはずであるが。
「……なにしに来たん? めっちゃ久しぶりやけど」
ビルの屋上にて仁王立ち。ただ空を眺めていた女傑が、ふと迫った背後の気配に、そう声をかけた。
「そうやなあ。こっちに来たんはほんに、久しぶりやわあ」
懐かしむような口調で、訪問者は言葉を返す。女傑と同じように寒そうなショートパンツ。とはいえ、まるでメイド服を模したようにフリルがあしらわれており、ほんのわずかに厚みがある。防寒性能には一般的なそれよりも、やや優れているのかもしれない。また、両太腿に取り付けたホルスターや、ハイソックスでほとんど肌の露出はなくなっている。とはいえ、結論として、寒くはないとは言い切れないのだが。
そんな、そばかすをたくわえたメイドが丸メガネを重そうに両手で持ち上げ、女傑に答えた。その言葉に、女傑は長い前髪にて半分を隠した表情を向ける。キッ、と、隻眼にて睨みを利かせて。
「あんたと世間話をする気はないねん。それとも、この右目の復讐、させてもろてもええんかな?」
「あらあら、ほんまパラちゃんは怖いわあ。……心配せんでも、こっちに来たんはお仕事や。やから、ちぃーっと、協力してもろてええやろか?」
「財務報告書は提出したばっかやん。なんの仕事やねん」
女傑の言葉に、そばかすメイドは笑う。普段の、彼女が本来仕える者のそばでは決して見せない、凄絶な笑みで。
「この戦争に、幕を引く、……な?」
解るやろ? という表情で、顔を向ける。
同時に、輝く毛並みがそっと、足元から夜空へ飛翔し、舞い降りた。
*
神々しく、宵闇に線を引き、九本の尾を靡かせる、黄金の毛並み。だがそれは瞬間で、まるで幻のように、消えてなくなる。
そうして残ったのは、全身に皺が寄った、初老の男。赤黒い肌に、灰色の毛髪。皺に潰された双眸と、額に横一文字に入った、大きな刀傷。その姿はまるで、三つ目の怪人。
まさしく、妖怪、といった姿である。
「……フルーア。なんてやつを連れて来てくれたん?」
「逆や、逆。あん者がここに襲撃しよるって情報が入っとうから、わざわざわっちが来てやったんや」
女傑とそばかすメイドはそう会話した。それを見て、その妖怪は頭を掻く。
「何人かはいて然るべきと思っていたが、よもやこんなお嬢ちゃんが二人っきりとはねぇ。まあ、じじいも楽できて、文句はねえが」
潰れた瞼を少し広げて、妖怪は言う。表情がわずかに歪むから、額にある刀傷も少し動いて、なんならそこも瞼のように、いまにも開きそうな異形さがある。
それでも、そばかすメイドは笑う。暗雲立ち込める暗がりの中、その笑みは、眼前の妖怪に勝るとも劣らないおぞましさを備えていた。
「パラちゃんには周囲を頼んわ。『白鬼夜行』99冊。33冊の『異本』をも含めて、そのすべてを完全に理解したあん者は、それらすべてを限定的であれど、行使しよる」
「……面倒事に巻き込まんで欲しいわ」
「勘違いせんで。ここにあん者が来たんはわっちのせいやない。むしろ結果としてはわっちのほうがあんさんらに助太刀したろ、いうとんや。まあ、この天気に合わせてあん者が来るように、すこおし情報をいじったくらいはしようが」
その言葉に女傑は舌打ちをして、了解の合図とした。確かにいい天気だ。いまにも雷が降りそうな、いい天気。
そう判断して、女傑は屋上のさらに高所、給水タンクの上にまで登り始めた。
「さあて、お待たせしたなあ。ブヴォーム・ラージャン」
その名を呼ぶ。『本の虫』の実質的トップ。教祖の、その名を。
「本名で呼んで欲しくないんだがねぇ。……『白溶裔』」
教祖の言葉とともに、十数メートルものぼろい布きれのようなものが、龍のように空へ駆けた。そんなものに、そばかすメイドは目を向けない。代わりに跳躍し、腕を――銃口のようにした人差し指を向けたのは、女傑。
「『降繋 弐式』!」
パリ――。と、響く。そうして、暗雲に溜まった静電気が放電。端的に言うところの、落雷。それが、操られたように都合よく、そのぼろ布の龍を穿った。
「ほう……」
それを見て、教祖は息を吐いた。しかして、焦りは微塵もない。
「確かに、数十人分の力はあるみたいだねぇ。どうやら気は抜けないようだ」
「やったら、そろそろ見せてくれへん? 『白鬼夜行』最強の一冊、『滑瓢之書』。『啓筆』序列十一位の力を、なあ?」
侮ってなどいない。その力は、十二分に恐れている。それでも――それゆえに、そばかすメイドは凄絶に笑い、双銃を抜き、構えた。
*
ガン=カタ。
二挺拳銃を用いた近接格闘術のひとつであるが、その実は二十一世紀公開の映画中で披露された架空のものである。が、そのスタイリッシュなアクションスタイルからか、後の他作品でもオマージュされ、空想ではあるものの、いまでは世界中で知らぬものなどいないほどの有名な格闘術とも言えるものとなっている。
彼女――そばかすメイド、フルーア・メーウィンは、そのガン=カタを独学で身に着け、実戦にまで用いるまでに洗練させた、空想の体現者である。
加えて、彼女がEBNAから賜った極玉、『スカジ』。狩猟やスキーの女神であるその特性は、身体強化として特に、足腰を強化し、視力と指先の精密さを底上げする。また、特質強化として、傾斜や寒冷地帯に強くなる。
次に、宝弾『ガーランド』。これは、正確には弾そのものではなく、その作成方法を指して『宝創』のひとつとされる。彼女はその製造に精通し、また、撃ち方によって数十種類もの特異な効果を生じさせるその手法も完全に使いこなす。
爆発する弾。分散する弾。軌道を変える弾。跳弾性能を引き上げた弾……。戦闘において多様に有効となろう数々の特性を発揮し、あるいは、あえて殺傷性能を下げるような使い方にも用いることができる、銃弾。基本的な効果を発動させるだけでも数か月の訓練が必要なこの『宝創』を、彼女は完全に扱いきれる。
ちなみにこの『ガーランド』。金属をまったく用いず特殊な樹脂等で製造するゆえに、金属検査に引っかからない。それに合わせて、彼女は真っ白で、おもちゃのようなプラスチック製の拳銃を用いるのである。
そして、男へ譲渡したものとは別に支給された、『異本』がある。『ジャック・クラフト』ほどの強力な一冊ではないが、総合性能Cの、『潜影』の『異本』、『ブールーダの鉄面形』。古代アステカ文明にて祭祀用に用いられたとされる鉄製のマスク。そこに刻まれた、解読不能な文字や図形。そういった『異本』であるが、その性能は、影に潜ることにある。その『異本』に、適応こそしないものの、彼女は適性者として使いこなせる。
以上から、彼女はあらゆる力やアイテムを使いこなす、相当に熟練した戦士とお解りいただけただろう。こと戦闘力だけで推し量るなら、EBNAでも最強にもなりうるかもしれない。現段階の彼女と互角以上に戦えるEBNAの執事やメイドといえば、故人とはいえEBNAの最強のメイド、ダフネ・メイクイーンか、実質のナンバー2、アナン・ギル・ンジャイ。あるいは、EBNAの最終兵器、ムウくらいである。
そして、彼ら三人であったとて、勝負は時の運。十分に敗北を喫する可能性がある。その可能性に辿り着くくらいに、彼女、EBNA第八世代首席、フルーア・メーウィンは、戦闘力に特化した強者なのである。
……そのはず、だった。
*
鮮血が、大阪の街中、そのひとつのビルディングの屋上を染めた。
『滑瓢之書』。その主たる性能は、全『異本』中、『ユグドラシルの切株』に次ぐ二番目の、身体強化性能。
その強化要素は、『老練』。そう表現するのが、もっとも近い。少女が『シェヘラザードの遺言』により手に入れた、肉体や頭脳の発達。それにはわずかに及ばないものの、観察眼、洞察眼、そして、経験蓄積の性能においてずば抜けた強化を及ぼす。
それに加え、『白鬼夜行』シリーズに記されたあらゆる妖怪を、短時間であるが呼び出し、使役できる。それらは今回、女傑が相手をしていたが、その数、そして単純な力が強力すぎ、女傑ひとりの手に負えるものではなかった。
鬼。天狗。雪女。猫又。九尾の狐。鎌鼬。犬神。白溶裔。鵺。轆轤首。餓者髑髏。大蝦蟇。黒手。簡単に挙げるだけでもこれだけの妖怪が、現れては消え、消えては現れ。そして多種多様に攻撃を仕掛ける。際限など、なく。それはまさしく、一国の――いや、ひとつの星をも征服しうる、暴力。
ただでさえ教祖の強化された動きに翻弄されていたそばかすメイドが、それほどの妖怪たちなどさばけるはずもなく、こうして、地に伏した。そこへ、最後のトドメとばかりに、まさしく百鬼夜行のごとく、妖怪たちが――。
「『流繋』!」
その間に割り入り、肉体に溜めた電力を放電しつつ、女傑が叫んだ。そうして瞬間、教祖と妖怪たちを怯ませ、その隙にそばかすメイドを抱え、跳ぶ。十数階を数える高層ビルディングの屋上であったが、ためらいなく跳び下り、ビルの壁に足を着ける。
「『霊操』……!」
体に流れる電気信号に集中する。して、踏み込んだ両足を、突発的に、瞬間的に駆動。尋常以上に高速に、強力に、一気に蹴り跳び、向かいにある、やや低いビルの屋上へ転がり、静止する。
呼吸を整えつつ、もといた屋上を見上げる。多くの妖怪を従え、女傑たちを見下ろす、教祖。彼の身体能力ならひと跳びに追ってこられるだろう。しかし、彼は、妖怪たちを消し、自らも消えるように、どこかへ行ってしまった。
おそらく、ここに来た目的を果たしに行ったのだろう。女傑は考えが及ばなかったが、そばかすメイドは知っていた。WBO日本支部の大阪出張所。WBOにとって、日本支部どころか全国的にも重要な、財務調達の拠点。つまり、WBOにとっての大蔵省だ。ここを落とすということは、WBOの財布に大穴を空けるようなもの。
「くそっ!」
そばかすメイドにしては珍しく、声を上げて地面を叩いた。
「足らん……! こんままじゃ、あん方に着いて行くには、全然、足らん――!」
唇を噛み締め、片腕で視界を覆う。
その姿に、女傑はいつかのメイドを重ねてしまう。それでも、彼女にとってはどちらでもいいことだ。WBOと『本の虫』、どちらが勝ち、どちらに『異本』が集まろうと。結局は勝ち残った方を、潰せばいいだけなのだから。
「……傷、焼いて止血するで」
しかしいまは、彼女はここにいる。WBOの一員として、仲間へ声をかけた。
その優しい言葉に、そばかすメイドは黙っていたが、やがて、にこりと笑って、口を開いた。
「なんや、優しいなあ。……頼んわ」
その笑みもつかの間に消えてしまうけれど、それでも、まだ、命は繋いでいる。
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