箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

40th Memory Vol.49(地下世界/シャンバラ/??/????)

公開日時: 2021年1月4日(月) 22:26
文字数:2,988

 次に手を挙げたのは、意外なことに青年だった。


身共みどもからも聞きたいことがある。よろしいですか?」


 言葉は丁寧だが、その表情はしかつめらしく歪んでいた。まるで敵対するかのように。いや、まあ過去を思えば間違いなく敵対してはいるのだが。


「構わないよ。……どうぞ」


 視線を合わせ、若者が言う。気障に立つのみで構えもせず、つまり、もし戦闘になれば隙だらけの格好で。それでも、その気配は慎重に若者を見据えているように……まあ、見えなくもなかった。


「それで、あなたはその『シャンバラ・ダルマ』を扱えるのですか? 身共たちはもとの……地球へ還れると?」


 青年にしてみれば弱気な発言だった。だが、その言い方は力強く、特段、不安がっているふうには聞こえない。


「さてね……間違いなく総合性能Aランクの一冊。そう簡単に扱える者がいるとは思えないが……なんならきみが試してみるかい? 織紙おりがみ四季しき


 言って、若者は青年へ、その一冊を差し出した。その行動に、男も女もはっとする。男にとっては面と向かうのは初めてだが、それでも、青年の存在くらいは聞いていた。女に関しては言わずもがな。彼らにとって、青年は敵以外のなにものでもないはずなのだ。


「いや、身共に扱えるとは思えない。遠慮しよう」


 特段の興味もなさそうに青年は首を振った。男や女の警戒を気にした……からではないだろう。むしろ青年が警戒しているとすれば、若者の方。


「なら、きみならどうだ? メイリオ・フレースベルグ」


 そんな警戒など気にもしない素振りで、若者は次に、学者へ向き直った。そして同じように、『シャンバラ・ダルマ』を差し出す。


 やはりその無警戒な行動に、男は背筋を冷やしたが、それよりも気になったことが一つあった。メイリオ・フレースベルグ。その名を、彼はどこで知ったのか? しかし、それは男と学者、そしてギャルを交えた三人の会話を、式神などを用いこっそり聞いていたとしても不思議ではない、と、勝手に納得する。


(ふっふっふ。ここで真打の登場ですね! WBO期待の新人『異本』鑑定士。このメイリオ・フレースベルグにお任せを!)


 黙ったまま得意げに、学者は手を伸ばした。そしてあっけなく、それは彼の手に収まる。


        *


 結論から言って、学者に『シャンバラ・ダルマ』は扱えなかった。


(なぜだ! この期待の新人! メイリオ・フレースベルグが! 序列十八位すら扱えないとはああぁぁ!!)


 一言も発することなくうなだれる。だから脇に打ち捨てられた『シャンバラ』を、丁寧に若者は拾った。


 そして、次にギャル。そして、おきな。そうやって順に回して、扱えないことを確認。男と女はそれを手にしたときに一度触っているので、扱えないことは確認済み。『異本』の使用可能性は、触れた瞬間にすぐ解るのだ。


 だから最後に、若者は執事へと、その『異本』を向けた。


「…………」


 向けられたそれを見て、執事は躊躇う。自身の主が、欲した『異本』。それは主が扱うものであるがゆえに、自身で触れることがあろうとは思いもしなかった、そういう、があるアイテムだ。


 そう、、執事は笑う。いまなら解る。これが、感情だ。人間としての、あるべき姿。そう、執事は理解した。考えるのではなく、感じたことを、受け入れる。


「拝借します」


 うやうやしく両手で受け取り、執事は丁重に、ページを繰った。


        *


 ページを繰るにしたがって、驚愕――というよりは、困惑を浮かべて、執事は顔をしかめた。


「……これは――」


「どうだい? それはきみに、扱えるものだったかな?」


 執事の様子に、若者は問うた。危機感のない、柔らかい声音で。


「いいえ、わたくしなどには、扱えるものではないようです」


 執事は首を振った。だが、だというのにまだ、その『異本』を見つめ続けている。


「……私も、ひとつ、聞きたいことができました」


 執事は俯いたまま、言う。「どうぞ」と、端的に若者は促した。少し肩をすくめた、気障な格好で。


「この『異本』――『シャンバラ・ダルマ』。お嬢様が手にしたときと。とはいえ、完全に別物とも思えない。……あなたですか?」


 そこで執事は言葉を切った。だから間が空く。


「さて……どういう意味だろう?」


 若者は沈黙の合間を縫うように、そう言った。確信犯のような、ややにやけた表情で。


「私に――私やお嬢様に幻覚を見せたのは、あなたですか? と、そう問うています」


 執事はその手に槍を握り、若者の首へ突き付ける。そうしてまっすぐ見据え、言った。


 その危機的状況にも若者は動じず、やや俯けた視線で、執事を見つめ返す。


「その推測は正解ではないね。『彩枝垂れ』は『異本』だ。外部干渉系と呼ばれる部類だね。きみに幻覚を見せるとするなら、認識操作系の『異本』ということになる。これらはまったくの別物だ」


「そうですか。よく、解りました」


 言って、執事は槍を振るう。そうして再度、若者の首を斬り刎ねた。大量の血液に推力を得て、その首は美しく飛んだ……ように見えた。

 その場の、誰の目にも。


「おい、ナイト!」


「おかしいとは思っていたのですよ。の首は、私が一度、切り刎ねています。分身の可能性も考えましたが、それにしては、血の匂いがしなかった」


 男の叫びを無視して、執事は語った。この程度ではまだ、死んでいないはずの若者に向かって。


「やれやれ、ただ問答をしていただけなのに、いきなり首を刎ねるとは、しつけのなっていない飼い犬だ」


 首を斬られた若者は空間に融けて消え、その数歩後ろに、同じ姿を現した。相変わらず気障で、余裕綽々しゃくしゃくの立居姿で。

 その姿に、執事は再度、槍を構える。


「おい、ナイト! やめろ! そいつは――」


「理解しています。この場で唯一、『シャンバラ・ダルマ』を扱えるであろう者だとは。そして『シャンバラ』を使わなければ、地球に戻ることはできないということも」


「だったら――」


「ならば!」


 男とのやり取りに、執事は声を荒げ、問答無用と言わんばかりに、叫んだ。


「……ならば、もうひとつだけ、正直に答えてもらいましょう」


 矛先を震わせ、執事は言う。その返答いかんでは、仮に地球に還れなくなろうとも、若者を殺す勢いで。


「この私に、お嬢様の幻覚など、見せてはいないでしょうね?」


 それは、男にほだされていたときに見た幻覚。いつかの令嬢の姿を、幻想の中に見かけた感覚。もしあれすら偽物であったなら、こうして感情を知った執事には、怒りを抑えることはできなさそうだった。


「……さてね。なんの話か解らないが?」


 若者は答えた。執事を抑える言葉を。だが、それが嘘か本当かは本人にしか解らない。


「……本当でしょうね? ……氷守さん?」


 念のため執事は男にも向き直った。若者は言った。『彩枝垂れ』は外部干渉系であり認識操作系ではない、と。つまり、もしあの幻覚が『彩枝垂れ』によるものだとしたら、執事以外にも見えていたはずなのだ。


「ああ、俺にも見当つかねえ。少なくとも『彩枝垂れ』によるものではないはずだ」


 男もそう言った。やはり執事の気を静めるための嘘という可能性もあるが、それでも、そう否定したのだ。

 だから、執事は息を吐き、槍を下ろす。


「……いいでしょう。あなたがそう言うなら――」


 一瞬、執事は視線も落とした。だから、その瞬間を、見逃した。


「ぐはっ……!!」


 若者が、肩から腹部にかけた袈裟切りで、青年に切り裂かれた、その瞬間を。



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