わざわざ数える気はないが、二つ目の部屋には、敵がいた。
「ようこそおいでくださいました。ハク様。ノラ様」
うやうやしく一礼するメイド。というよりは、メイド服姿の幼女、と言った方が、少なくとも男からしてみれば正当な表現だった。
青い――澄んだスカイブルーの髪。それを纏めもせず伸ばしている。しかし、悪い気はしない。それはまるで、静かに流れ落ちる滝のように美しかったから。背丈は少女ほど。つまり具体的には、一般的な成人女性と比べて、だいぶ低い。それもそのはず。澄ました表情からは完全に読み取ることはできないが、少なくとも幼女は、『成人女性』と表現するほどの年齢にはとうてい、達していないはずだから。
そんな幼女――幼メイドが、真冬だというのに半袖で、胸元を露出した膝丈のメイド服を寒そうに着こなし、それでもそんな肌寒さなど感じさせない凛とした無表情で、男と少女を迎えた。
「私はEBNA、第九世代暫定首席、ラグナ・ハートスートでございます。……当施設のご見学でしたら、案内をするようにとの、主の命を承ってお待ち申し上げておりました」
凛とした面持ちは変わらない。言葉遣いも完璧だ。しかし、どうしても残ってしまう、幼女としてのあどけなさが、男には痛々しく感じられた。
そんな幼メイドが、三つ目の部屋へ通じる扉へ、半身を引いて誘う。だから、男は狐に抓まれたような気持ちで、一歩を踏み出した。
「うげえっ」
しかし、半歩で後ろに引き倒される。それでも、文句を言う気力はなかった。
「これは、子どものすることじゃないわ」
男の襟を引いた張本人である少女が、逆の手を空に伸ばし、力を込めた。すると、見えないなにかが割れた音。砕けて、コンクリートの床に散らばるなにかを見て、男はようやっと、それを見ることができた。
「私はなにもしておりません。ただ、お二人をご案内差し上げるようにと言いつけられているだけでございます」
再度、一礼。気持ちの悪いほどに素っ気ない、感情のない、動き。
『ある』と解って目を凝らせば、なんとか視認できる。極限まで透明な、ガラスかなにかでできた針。それが、二つ目の部屋の奥半分に、所狭しに縦横無尽と、鋭く伸びていた。
*
パキン。……パキンパキンパキンパキン!
それは、ほぼ同時に、鳴り響いた。そして、完全に密封された地下の一室に、風が吹いたように、男は感じた。
「かは……けほ、けほ……」
嗚咽。首を掴まれ、壁に背を。両足は浮き、ただぶらりと垂れる。
そんな状態になっても、その幼メイドは抵抗しなかった。自由が利く両手で、自らの首を絞める少女の手を、掴みさえしない。浮いた足で蹴ったり、視線を鋭く尖らせることすらせず、ただただ、生理的反応としての嗚咽を漏らす。
「あなたじゃないなら、誰? これも極玉の力? いったいなんの生物の力なの?」
「けほ……ご、くひ、じこうで――」
「そう? じゃあ次の質問。ルシア――ここに捉われた者の収容施設はある? 最近連れ込まれた子は?」
「けほ……けほ……」
幼メイドは少し眠そうに、目を細めた。なにかを言わんとするが、声が出ない様相である。
「おい、ノラ」
だから見かねて、男は少女に歩み寄った。
「近寄らないで!!」
少女は声を上げる。必要以上の大声で。それに彼女は、自ら驚き、ほんの少し力を抜いた。
「ご――」
その隙に、幼メイドが言葉を紡ごうとする。だからやはり、男はそれが不憫で、痛々しく感じた。
「――くひ、じこ」
「いいから喋るな」
少女の言葉に驚いた男だったが、胸の痛みに、すぐ足は動いた。少女の、幼メイドを掴み上げる腕に優しく触れて、力を抜かせる。そうしながらも、幼メイドに優しい声を向けて、労わった。
*
少女は不満だった。男の前で少しやりすぎたかとは思っていた。それでも、自分は間違ったことはしていない。幼メイドが手を下したかはともかく、敵意は先に向けられているのだ。そのうえ、この施設自体が敵地なのだから、相手が幼いからといって、気を抜いている余裕はないのである。
「悪かったな。こいつが」
男は不満そうな少女の頭を揺らし、幼メイドをなだめるように言った。立ち上がろうとする彼女を座らせ、自らも腰を降ろし、視線を合わせて。
「……ふん」
少女はさらに不機嫌をこじらせて、男の手から逃れた。そして、少し離れたところに腰を降ろす。
「いえ、お気になさらないでください。私はハク様、ノラ様のお世話も仰せつかっております。この場では、ろくなおもてなしも致しかねますが、可能な限り、お力にならせていただきますので」
言いながら、幼メイドは立ち上がろうとした。それに警戒し、少女も腰を浮かしかける。しかし、それ以前に、男が別の理由で、幼メイドを制止した。
「とにかく座ってろ。話をしよう。……えっと――」
「ラグナでございます。ハク様」
「ラグナな。……とりあえずその、『ハク様』をやめようか。ハクでいい」
「そんな……」
そこではじめて、幼メイドは表情を歪めた。困ったような、怒ったような。
「子どもを困らせてどうするのよ。その子たちはその方がやりやすいんでしょ」
「こっちがやりにくいんだよ。それともそれも、主人に禁止されてんのか?」
前半は少女へ、後半は幼メイドへ向けて、男は言った。
「ハ……あ、あの……」
まるで首を絞められているように、幼メイドは言葉を閊えさせた。困ったのか、怒ったのか。感情までは読み取れなかったが、申し訳なさを含んでいるのか、やや目を伏せ、頬を赤らめる。
「も、申し訳ございません。私……あの……」
声を荒げたりはしなかったが、幼メイドは、二割増しくらいの勢いで頭を下げた。
だから、男は嘆息する。こんなことで、目的が達せられるのかと思い、自分自身に呆れて。
「いいよ。少しずつで」
少女を相手にするような無遠慮で、男は、幼メイドの頭を掴み、乱暴に揺らした。
*
幼メイドの案内で、三つ目の部屋へ。の、前に、二つ目の部屋からは枝分かれし、左右にも部屋があったので、そちらも覗いてから。とはいえ、それら部屋にはなにもなかったのだが。
「入口近辺の部屋は、予備の部屋として基本、手付かずでございます。お客様がいらっしゃることも稀な施設ですので、少々散らかっておりまして、お目汚し失礼致します」
凛とした表情、仕草、言葉で、幼メイドは案内を始めた。というか、本当に案内をしてくれている。質問にもちゃんと答えてくれるし。
「で、ルシアはどこに?」
「極秘事項でございます」
「メイ――アルゴ・バルトロメイはどこにいるか知らねえか? 用があんだけどよ」
「極秘事項でございます」
「じゃあ、この施設の長である、スマイルって野郎は?」
「極秘事項でございます」
うむ、完璧な受け答えである。収穫はなかったが。
「ハク、ハク」
先頭を歩く幼メイド。それに付いて行く男。そして、最後尾の少女。その少女が、前を歩く男のコートを掴み、小声で言った。
「『極秘事項』ってことは、知ってはいるんじゃない? 締め上げる?」
さらっと怖いことを言う少女だった。その、『締め上げる』ジェスチャが可愛らしいだけに、余計に恐ろしい。
それに対し、感情のままに否定してもよかったのだが、できる限りの理屈とともに、男は答えることにした。
「こいつらは死んでも、主の命に従うだろ。それに、嘘を言わないとも限らねえ」
「私は、嘘など申しません」
やや食い気味に、幼メイドは言った。表情は変わらない、無表情に凛としているが、男は振り向くその彼女に、なぜだか強い意思を感じた。
「申し上げられないことは『申し上げられません』、『極秘事項でございます』と言うしかございませんが、私は、決してハク様に嘘など申しません」
「ふうん? ……わたしには?」
少女は細かな言葉を捕まえて、意地悪そうに問い質した。
それに、幼メイドはほんの少し、眉尻を上げて、答える。
「……もちろん、ノラ様へも、嘘など申しません」
その微細な眉の吊り上りは、言葉を言い終えるころには、元に戻っていた。
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