箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

神は地上に、自身とよく似た存在を創り給うた。

公開日時: 2021年11月1日(月) 18:00
文字数:4,417

 2027年、一月。インド、コルカタ。

 現存最後の『本の虫シミ』の施設。


「主教! どういうことだ!」


 大男が叫ぶ。本人は確かに、ある程度、声は荒げたが、叫んだという意識はなかったにしても、とてもうるさい。


「どうもこうも、そういうことです」


 そのスキンヘッドの僧侶は、頭を抱えてそう言った。頭を抱えたのは癖である。特段、今回の一件が悩ましいことであったというわけではない。


の来訪は、ともすれば『本の虫うち』の窮状を打破できるものとなるかもしれません。カイラギさん。あなたが彼を、裏切り者のように思っていることは知っていますが、それゆえに、共通の敵がいるうちは、手を組むべきです」


 裏切る、という行為は、それ以前の信頼あってのことだ。そういうニュアンスで、僧侶は言った。

 しかし、おそらくそんな機微は伝わっていない。大男は見た目通りの脳筋だ。ゆえに、実にストレートに、自らの感情に流される。


「それに、『女神さま』が不思議なほど、興味をお持ちのようでしてね。それだけでも、彼らを招く理由にはなる」


「『女神さま』だと? いつまであんな者をのさばらせておくつもりだ! 主教!」


「口を慎んでください!」


 やけに強く、僧侶は叫んだ。


「……少なくとも、この場ではね。カイラギさん。信仰心などなくとも、あの方はなんとも思いません。しかし、敵対心には相応に、その御手が――神罰が下されますよ」


「それが、どうした?」


 怒りで体を震わせ、髪を持ち上げ、体を上気させながら、大男はそれでもなんとか、尊敬する僧侶の顔を立て、問い質した。


「どうした? ですか。……そうですね。……私はね、カイラギさん。みなが平穏無事に、生きていてくれればそれでいいんです。虐げられず、飢えることなく、痛みに苛まれず。幸せでなくとも順当に、普通に生きながらえてくれれば、それで」


 グググ――。と、はちきれんばかりに、大男は両腕を握り、膨張させた。シンプルな性格だからこそ、僧侶の言葉を素直に受け入れるから、自らを抑え込むしかない。溜めて、溜めて。溜まっていく。いつか爆発する、火山のように。


        *


「荒れてるねぇ、レンレンはぁ☆」


 ギャルが言った。ウイスキーを傾けて――少し酔っている。緊張感がないのか、なぜだか彼女は、緊迫した場面でこそおちゃらけている。


「エルファのこともありますしね。ラオロン翁のことも。……もう初期からいるのは、我々だけですか」


 寂しそうに、僧侶は遠い目をした。


「解んねえ話してないで、未来の話をしましょうよ、ハゲさん」


 優男が言った。この場では唯一、『初期勢』ではない身として、居心地悪そうに。


「ハゲじゃないんですよ、これ、スキンヘッドっていうんですけどね……」


 気落ちしていた。突っ込みにも、いつもの迫力がない。それでもわずかに、冗談めかしている。


「アリス、あなた、今回どうするつもりなんです?」


 そのしょぼくれたまま、僧侶は酔っぱらったギャルに視線を向けた。僧侶とて、を招くことに、まったくの無警戒というわけではない。旧知の間柄とはいえ、一度は袂を分かったのだから。

 問われたギャルは「んううぅ?」と、上気した頬を艶めかしく揺らして、その視線に相対する。僧侶と同じように、テーブルに上体を預けて。


「あたしはぁ、いまも昔も変わらないよぉ。彼の――」


「それはつまり、裏切るってことで、いいんですよね。アリス」


 言葉を勝手に脚色して、優男は割り込んだ。


「辛辣! 意地悪! ゼノりんのば~か! あんたの髪型、前からきらいだったんだ、にゃ~!」


 鋭く尖らせた指先を向け威嚇して、ギャルは犬歯を剥き出した。冗談のような怒りだったのは確かだけれど、冗談だからこそ優男はカチンとくる。冗談を言っている場合ではないのだから。


「はあ? 格好いいでしょうが、この髪型! 毎日どんだけケアしてると思ってんすか!」


 とはいえ、真面目に抗議しても馬鹿らしい。優男は冗談に冗談で返して、ケンカの様相を継続した。


「毛先整い過ぎてキモいんだよぉ! ヅラ? ねえそれヅラ? 実はそれ取ったらハゲてるんじゃないの~?w」


「てっめえ! 言っちゃいけないことを言いましたね!? ハゲじゃなくてスキンヘッドなんですよ!!」


 なぜだか僧侶の頭を掴んで、ギャルの方へ向けた。上司であるはずの彼の頭を、灰皿でも投げつけるように。


「ふごーーーーっ! ハゲで遊ぶなぁぁぁぁ!!」


 優男の投擲に合わせて、あえてギャルへ向け僧侶は頭突きをかました。しかし、身軽にギャルは翻り、華麗にそれを躱す。右手にウイスキーの入ったグラス、左手にウイスキーの瓶を持っていながら、身軽に。そしてグラスに入った氷を鳴らし、一口咀嚼する。

 そのままどっかにバランスを崩したまま、僧侶は飛んで行った。その騒音と、地に伏した彼の姿に、優男とギャルは腰を落ち着け、着席する。怒りだかなんだかよく解らないものも、いったん置いておくことにして。


        *


 はあ。と、ため息。して、優男は腕を組んだ。


「……私には事情はよく解らないんですがね。その、『女神さま』にご助力いただくわけには、いかないんですか?」


 自分ですっ飛ばしておいて、手も貸さず、ただ優男は僧侶へ、声だけ向けた。


「『女神さま』は、『本の虫シミ』の活動には無頓着ですからね。お耳に入れるだけでもおこがましい。それに――」


「いいよ?」


 ふと、僧侶が身を起こし、テーブルを見ると、は、いた。


「にゃっ!?」「はっ!?」


 いま気付いたように――事実、いま気付いて、ギャルと優男も、遅ればせながら、を見る。すぐ隣にいたというのに、いったい、いつ?――いつから?


 そこに、『女神さま』が?


「今度のお客様は、僕の客でもあるからね。よろこんで手を貸そう」


 テーブルの中央にあるグラスに、うんと手を伸ばし、その細腕は掴んだ。それをテーブルに置き、さらに細い指先で、つんと押す。それはほんのわずかに、ギャルの元へ向けられた。

 意図を汲み取り、ギャルはウイスキーを注ぐ。残念ながら氷は、少し離れた位置の冷蔵庫まで行かなければいけないので、あえて入れたりはしない。それでもそれで満足したように、女神さまはそれを、また指先で自分の元へ引き寄せた。


「あなたが……『女神さま』?」


 初見だった優男は、得も言われぬ不気味さに粟立ちながら、問うた。


「やあ、ゼノ・クリスラッド。初めまして」


 質問には答えていないが、彼女はそう言い、液体の入ったグラスを持ち上げた。天にかざすように。その液体の輝きを、見つめるように。


 狐に、抓まれたようだ。そう優男は眉をしかめる。確かに、不意に現れたり、その居住まいにはただならぬものを感じる。だが、不健康とは言わないが、細身で、とても戦えるようには見えない。全裸で、確かに『異本』等の特別なアイテムを持っていないのは当然だが、その点に関しては常に持ち歩いていないだけというだけで、どこかに保管してある可能性もある。だが、そんなアイテムを駆使すると仮定しても、身体的に普通すぎる。最低限の運動能力があるかも怪しいものだ。で、あるのに、あの僧侶、タギー・バクルドをもってして『勝てるはずがない』と言わしめる存在に、疑問が膨れたのだ。


「んん? なんだい、熱烈に見つめて。……揉む?」


 開けっ広げた胸部を持ち上げ、羞恥心もなく彼女は、見せつけてきた。


「揉むほどないでしょうが」


「失敬な。Cくらいあるさ。男子的には、これくらいがちょうどいいだろう?」


「私は巨乳好きでしてね。あと、年上が好みなんですよ。つまり、完全に真逆ですね、あなたは」


 雑談が成立している。ゆえに、訝しむ気持ちは、さらに加速した。

 はあ。と、わざとらしくため息を吐く女神さま。決して気分を害したというわけではないが、それは、物申す前兆であるように。


「まったく、口を開けばおっぱいおっぱい……。そんなにこの脂肪が好きか? 女子には、他にも柔らかい場所が、いくつもあるんだぞ。この肢体すべてで完成品だ。バランスが大事なんだよ、バランスが」


 女神さまは立ち上がり、両腕を広げてくるりと一回転して見せた。確かに美しく、造詣が整っている、その体を、隈なく見せつけるように。

 だが、美しいゆえに――下世話な話だが――欲情しない。そう、優男は思った。それは彼がロリコンではないから、だけではないのだと、理性的に判断できた。これは、芸術だ。絵画や彫刻に裸婦が用いられたとしても、それを淫靡とは言わないように。彼女の存在は、確かに人類を超越している。


 まるで、神が創り給うた、人間の原型のように。


「ちょっとなに言ってるか解らねえですけどね。……でもまあ、手をお貸しいただけるなら、幸甚に尽きますよ。『女神さま』」


 隣で、ようやっとウイスキーを舐めはじめた女神さまを見下し、優男はいちおう、言っておいた。まだ、彼女の力をどうとも確信してなどいないが。


 一口で、面白いように頬から耳までを赤く染め、その人間らしさにだとか、アルコールに弱いかのようなギャップが、決してロリコンではない優男の心の奥底をも刺激する。宇宙に揺蕩う青い星のように、複雑に煌めく双眸を向けられると、引き込まれる。


 極限までの安心感と、相対して両立している、恐怖。――いったい、この恐怖はどこからくるのだろう? と、思い至ったときに、優男は納得した。これは、『不気味の谷』だ。人間に極限まで近付けたロボットのことを不気味に感じる感情。それの、一次元上の話。




 これは、極限まで『神』に近付けたときの、人間に感じる不気味さ。




 いまだ純真無垢な少女のようであるのに、永遠を達観した『神』のように、完全に計算され尽くしたようでいて、ただの無邪気でいたずらを向けただけのような表情で、笑い、女神さまは応答し、その場をあとにした。


「そろそろ戻るよ。あんまり待たせると、ヤフユが可哀そうだからね」


 そう、言い残して。


 ……ヤフユ? どこかで聞いたような?


 そう、優男は思った。


        *


「ところでさ、下僕くん」


『女神さまの踊り場』に戻り、『女神さま』は『下僕』に向けて、どこか楽しそうに声を張った。


「……なんだ?」


 下僕は応える。彼としては針のむしろだ。とても居心地が悪い。『女神さま』がずっとずっと、他の男――紳士といちゃいちゃしているそばに控えているのだから。


 うんん……。と、安らかな中に一筋の不安を眉にしかませて寝息を立てる紳士。その頭を、愛おしそうに女神さまは撫でて、下僕へ向き直る。


「やっと、会えるね」


「そうだな。……この時間も手間も、俺には理解できないが」


「妬いているのかい?」


 くつくつ、と、人間らしく、女神さまは笑う。


「お――女神さまがそういうやつだってのは、俺が一番、解っている」


「そうだね」


 紳士に向けるとは、また別の、愛おしそうな表情を、ベッドを囲う薄布越しに、モザイクがけて向けた。


「ああ――」


 両腕を広げて、天を包むように、仰ぐ――。




「狭いね。この、箱庭は」


 女神さまは、言った。


「自業自得だな」


 下僕は、答えた。



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