雷閃を、振り払う。メイドのその動作のうちに、敵のふたりは、姿を消した。
瞬間、だけ――。
「ウガアアァァ――!!」
死角から、執事――のような怪物が、黒く煤けた身体を炎に包んで、メイドを襲う。
「禍斗を解放しようが――」
執事の極玉を想起して、それでもメイドは、余裕の笑みを見せた。
「無駄なことですっ!」
襲われかけていたメイド――ではないメイドが、どこからか現れ、執事を蹴り飛ばす。触れるだけで蒸発するような高温の執事に触れ、順当に彼女は、溶けて消えた。だが、その一撃で、執事は転がされる。
その隙に、また別方向から、風を切る音が――。
「……!? 槍っ!?」
元来、執事が持っていたアイテム――『パラスの槍』。いまの執事には扱えない――扱うような理性もなければ、その必要もないそれが飛来し、メイドの腕を掠め、床に突き刺さる。
それを投擲した者が――
「『鳴降』っ!!」
叫ぶ。懸命な声とともに、彼女の蹴りは、メイドの腰を打った。遅れて、逆方向からは雷撃が――!
「はしたないですよ、ガーネット!」
ピンヒールを脱いだらしい。その、あらわになった素足をメイドは掴み――掴み上げ、雷撃へ向かって投げ――
「なりふり構うのは、もうやめたわ」
ようとした。――その腕が痺れて、つい力が緩む。
空に浮いた令嬢は床に刺さった槍の柄を掴み、メイドの手を振りほどいた。身軽に空中で回転し、地に足をつける。そのまま槍を引き抜き、メイドへと薙いだ。
身体に、帯電させている。これでは執事と同様、触れるだけでも感電しかねない。メイドは瞬時に、令嬢の身体に起きていることを理解した。
令嬢が薙ぐ槍と、雷撃が同時に、メイドを襲う。躱そうにも、体勢を立て直した執事が、また迫っている。
なるほど、逃げようはない。
だが、躱す必要は、いまはない。
「本当にまったく、まぶしいですね」
眼前に迫った雷撃を見て、メイドは呟いた。
そしてそのまま、彼女は消える――。
*
――結末は、初めから解っていた。彼も彼女も、きっとそうだ。なのに――。
「どうして抗うのです、ガーネット」
彼女を巡る電流は、もう地に流した。新たに電気を纏うことは、もうできない。なぜなら、とうに彼女は、『異本』を手放しているから。
『死』をこそ克服しても、その肉体は人間だ。両腕をぐちゃぐちゃに潰されれば、それはもう、動かせない。
執事も、禍斗の力を使い果たした。禍斗の力は、使用者を蝕む。であるのに、内なる精神と和解もしないまま解放しては、いずれ全身を焦がし倒れるのは目に見えていた。
ぼろぼろの令嬢の首を絞め、壁に押し当て、持ち上げる。小柄な彼女を、メイドよりも高い視線へ。そのまま、足元でまだあがく執事の頭を、メイドは踏みつけている。
――幾度の、攻防があった。だが、こうなることは目に見えていた。
メイドは現在、『神の力』によって、その存在をあやふやにさせている。幾数もの実体を生み出し、そのうえ、それらが死に類するダメージを受けても、簡単に幻へと消し去ることができる。その能力のすべてを理解できなくとも、彼と彼女には、勝ち目のないことが理解できたはずなのだ。ひどく聡明な、執事と令嬢なら。
であるのに、彼らは抗った。限界まで抗った。こうまでぼろぼろに傷付けなければならないほどに、懸命に抗った。だから、こうなったのだ。
「愚かな夢を抱かなければ、あなたたちは美しいまま、終わることができた。であるのに、どうして抗ったのです、ガーネット」
ほとんど気を失っている――あるいは、いまだ極玉に精神を乗っ取られ、話の通じない状態ともいえる執事を踏みつけて制し、メイドはただ、令嬢にだけ語りかける。両腕は、ゾンビ化している現状でももう、動かせないまでに潰した。まだ足は動かせるかもしれないが、抵抗は無理だろう。
見るからにぼろぼろだ。だがきっとその精神は、それ以上にぼろぼろだ。ぼろぼろな、狂気だ。
メラメラと、いまだ途方もない夢を見るように、眼光を燃やす。唯一の抵抗として彼女は、メイドを、睨みつけている。
「……人間、……だから」
「あなたはもう、人間ではありません」
ようやくひり出した令嬢の答えに、メイドは即、否定を向ける。
「あなたがすべきだったのは、私が来た時点で――せめて、勝てないと悟った時点で、『異本』を渡し、引き下がることでした。残りの時間を、せめて、幸福に。……カルナとともに、過ごすことでした」
「…………」
瞬間だけ、令嬢の目から光が、霞んだ。それでも気丈に、まだメイドを、睨んでいる。
いや、彼女が睨んで――見ているのは、もっとべつの、運命かなにか、なのかもしれない。
「聡いあなたなら理解していたはずです。こうなることが」
メイドの方から一度、目を逸らした。その視線は、令嬢の、ぼろぼろな首から下へ向け
られる。それから、令嬢の目へ視線を戻した。まだ、煌々と燃える、眼光へ。
「……夢を、見たのよ」
「…………」
次は、令嬢が視線を逸らした。さきほどのメイドのように、相手の足元を一瞥する。そこに倒れた、愛する人を、見る。
全身は黒焦げで、理性のないまま、みっともなく暴れている。だがもう力は残っていないのだろう。メイドのひと踏みで、容易に取り押さえられた状態の、彼。
それでも、ずっとずっと愛しむように、優しい目を、向ける。
「あたくしが求め続けた、あたくしのための世界。あたくしの幸福を詰め込んだ、苦しみも、悲しみもない、国。幼いころから焦がれた夢の形が、少し未来に、見えたのよ」
「ですが、その最後の一歩は、届かない。そう、解っていたはずです。なのにどうして、諦めきれなかったのですか」
「人間だからよ」
「…………」
その目に、メイドは、なにも言わなかった。……言えなかった。
「人間だから、焦がれて。人間だから、諦めきれなくて。人間だから、無謀に挑んで。人間だから、破滅したのよ。あたくしは――あたくしたちは、果敢に挑んだ。やれるだけのことはやった――し、まだ、やりますわ。あたくしはあたくしの夢を、死んでも諦めない」
「…………」
強い、目。すべてを見ながら、すべてを諦めない。そんな、人間の愚かさを振り切った、目だ。
理性を超越している。ある種の酩酊状態だ。もうとっくに彼女は――彼と彼女は、正気じゃない。
まるで幼い子どものように、馬鹿でまっすぐで、危うい。
まったくもって人間らしい、『強欲』だ。
「……最期になにか、私にできることはございますか」
「……じゃあ――」
思案するように長いまばたきをして、令嬢は、やはりメイドを、まだ、睨む。
「あたくしたちの結婚を、お姉さまに認めていただきたく、存じますわ」
「…………」
……ふう。と、メイドは息を吐く。令嬢と同様に、思案のような、長いまばたき。
「もう、好きにしなさい」
言って、メイドは、彼女の首から、手を離した。ぼとり、と、死体のようにそれは、無抵抗に床へ、落ちる。
メイドは、彼らに背を向けた。落ちた『異本』を――『鳴降』を回収。どうやら『抗力』はすでに薄らいでいる。もう十分、運べるだろう。
「…………」
去り際、メイドは一度だけ、振り返った。
「本当に、忌々しい」
そして、舌打ちをする。
「もう、……勝手にやってろ」
捨て台詞を吐いて、扉を、閉めた。
WBO本部ビル。地上30階。『応接室30‐2』での面談。
婚姻。成立。
――――――――
「カルナ――」
まだかすかに火種の残る執事に、令嬢は這い寄った。腕はもうぼろぼろだ。ほとんど動かせないし、力すら入らない。足は――少しなら動かせる。だからその足と、上半身のひねりで、少しずつ、彼に寄る。
その、黒焦げの身体に――もう暴れる力もなさそうな、愛する人へ、頬を寄せる。
熱が、じんわりと、身を焦がしていく。
「あなたをひとりにして、ごめんなさいね」
ぱちり。と、瞬間だけ、電流が迸る。ぴくり。と、執事の身体が反応した。
――それから少しずつ、炎は広がった。頬から、襟もとへ。ぼろぼろの真紅のドレスに着火して、全身を包む。ぱちぱちと、細かな火花を散らして、熱は、彼女を覆った。
「愛してるわ。たとえこの身が、燃え尽きても――」
最期に――。
燃える唇で、黒く焦げた彼の口に、触れた――。
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