普段ならそのままラウンジで話してもよかったのだろうが、直近でいくらか粗相をしている。し、会話の内容もやや、他人に聞かれるのは好ましくないと思えた。
ゆえに、改めて男の子と、スマートフォンのスピーカー機能をオンにし、大人数で語らえる環境で話を詰めようと、男の宿泊する部屋にて、再度、仕切り直した。
「改めて詳細を頼めるか? クロ」
男は準備を終え、そう切り出した。さきほど聞いた事実を否定する言葉を、期待して。
『…………』
しかし、電話口の男の子は言葉を濁した。声こそ発しないものの、どこか戸惑うような、苛立つような雰囲気だけが伝わってくる。
「……どうした?」
男は問い質す。ゆえに、やや前傾になる。聞き耳を立てるように。
それに倣い、他の者たちも少しだけ身を屈めた。メイドに、僧侶、そして、優男。ちなみに幼女は寝室で眠っているはずである。リビングルームからはドアを一枚隔てているので、ある程度騒いでも大丈夫なはずである。
『…………。……バルトロメイさん。あんた、なにやってんだ?』
長い沈黙の後、男の子の甲高い声が響いた。問うた男へではなく、メイドへ向けて。やや辛辣に。
「ふえっ?」
珍しく間の抜けた声を上げる。EBNAでの一件が落着してから、どうにもメイドはときおり、いやに呆けることが多くなった。
『……あの、すみませんが、タギー・バクルド氏、ゼノ・クリスラッド氏も、少しだけ席を――』
「ああ、これは失礼を」
言うが早いか、僧侶と優男は一時、部屋の外へ出た。それをしっかと十二分に待ってから、男の子はひとつ、ため息を吐いた。
『あんたら、ヤフユさんが『本の虫』に接触しているの、忘れてんだろ。そのうえ、帰ってこないってのも、『本の虫』の施設からだ。ハクさん。あんた、いくらか『本の虫』と繋がりがあるみたいだけれど、最終的には敵になるんじゃないのか? 彼らが所有する『異本』も蒐集対象のはずだけれど?』
「こ、これは失念しておりました! さすがはクロ様!」
メイドは男の子の言葉を聞くにつれ、焦りで表情を曇らせ、すぐに謝った。
男はやや遅れたが、それでもさすがに、最終的には気付き、ふと、かいた汗を軽く拭う。
「悪い。動揺してた。確かにあいつらにヤフユと俺らが関係者だとバレるのはよくねえ。……なんとかこのまま、帰ってもらうか」
『それはそれで勘繰られる。幸い、ヤフユさんは『本の虫』に偽名を名乗っているはずだし、適当にぼかして話すから、話を合わせてくれ』
的確に男の子は指示を出した。まだ六歳の男の子が、である。
彼のこの、規格外の聡明さだけ、先にネタばらしをしておこう。
彼、白雷クロは、少女や紳士に拾われてから一年と少しの間で、少女から、彼女の頭にある『シェヘラザードの遺言』を語り聞かされ、その一部を少女と同様に、自身の頭の中で『異本』とまでに昇華させた、生きる『異本』とも言うべき存在なのである。
さすがにそんな伝言ゲームのような伝授では、そのすべての性能を発揮することはできなかったが、フィジカルな強化はできずとも、頭脳の発達に関しては、少女と同等くらいにまで強化されている。と、そういうことである。
*
改めて『本の虫』の両氏を交えて、男の子の報告を聞くことになった。彼らの意見をもうかがうために。
『では改めまして。まずはご挨拶が遅れたこと、謝罪します。俺は白雷クロ。今回失踪した白雷夜冬の弟です。今回、俺とヤフユは、ハクさんたちのサポートに手を貸しているのですが、その一環で、情報収集や必要物資集めに出ていたヤフユが、予定日になっても帰らず、また連絡も途絶えている。と、そういう現況なのです』
男の子は、隠しきれないソプラノボイス以外は、そこそこ成熟した男児のように偽装して、語った。
「クロさん。まず、気になっているのですが、ヤフユさんはいったいどこへ、なにをしに行ったのですか?」
僧侶が問う。いきなりの問いだ。男の子が誤魔化すべき、本筋について。
『残念ながら、どこへ向かったか、なにをしに行ったのかは、具体的にはなにも……。ただ、今回の件について、ヤフユ独自のつてがあったようで、とりあえず任せたらこんなことに、という次第です』
解らない、という条件は、確かに有効だ。そのための理屈付けもとりあえず筋が通る。そもそも本当に、男たちは紳士が、『本の虫』の施設にいる『本の虫』の誰かに知恵を借りに行った、としか知らない。
そして、『本の虫』のふたりも、問題なく、その言に対しては違和感を受けなかったようである。
「しかし、彼の身元は心配ですが、そんなあやふやな協力内容では、帰ってこなくとも問題ないのでは? ……いや、失礼。彼自身が心配であるのは変わりないのですが、さきほどのコオリモリの驚愕具合からしては、今回の件に関して、ヤフユ氏が重要な役割を担っているように受け取れたもので」
優男が口を挟んだ。確かにその通りだ。事実、彼に関して重要なのは今回、情報よりもその役割にある。
「それは、あいつが――」
あらゆる『異本』を扱える『箱庭百貨店』を受け継いだから。という言葉を、男は紡ごうとした。
『大きな声では言えませんが、裏社会との繋がりが少々あります』
男の先の言葉を防ぐため、男の子はやや、大きな声で言った。
『ゆえに、そこから得られる情報も、信憑性はなくとも有益になると期待していたのです。特に、今回の相手は、まさしく裏の人間ですし』
男はこっそりとメイドと目配せ、小さく頷いた。ここは男の子に任せよう。あまり余計なことはしゃべらない方がいい、と。
よくよく考えれば、『箱庭百貨店』の名を出すのは相当にリスキーだった。いや、名を出さずとも、その力をほのめかすだけで、『箱庭百貨店』に至る可能性はあった。
そして、『箱庭百貨店』という――シリーズ名を大々的に冠するこの『異本』を、紳士が持っているとなれば、それはもう、男との深い関わりを示唆することとなってしまうのである。
現状、男と『ヤフユ』は、協力関係にこそあれど、深く繋がってはいない。せいぜいが利害関係。その程度にとどめておいた方がいい。実際に紳士は『本の虫』に出向いているのだ。偽名を名乗っているとはいえ、いつ『本の虫』に、『彼』が『ヤフユ』であると見破られるか解ったものではないのだから。
「……ヤフユ氏がどこへ――誰の元へ向かったか、本当に心当たりはないのですか?」
沈黙が続いた後、念を押すように僧侶が、同じような質問を繰り返した。
『本当に具体的なことはなにも。……しかし、裏の世界に詳しい識者の元へ向かったとは思っています』
男たちが口を挟む隙すらないほどに的確に、男の子は即答した。この頭の回転、さすがは少女と同等ほどにまで頭脳を発達させたというだけはある。
そして、この場合の彼の思惑とは……?
「……なるほど。……では、ハクくん」
少しの逡巡の後、僧侶はひとつ、提案をした。
「『本の虫』の信仰対象。我々の女神さまにお会いしてみるというのは、どうでしょうか?」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!