翌日の正午から行われたオークションを終えて、晴れて『ドールズ・フロンティア』を蒐集した男たちは――というか男は、会場からそそくさと立ち去ろうとする女の首根っこを掴んだ。
「うげえ」
大仰に声を上げて、女は尻もちをついた。よもや男ごときに力負けしたとも思われないので、わざとなのだとは思う。ましてや本当に意表を突かれたわけでもあるまいし。あの、戦闘センスのずば抜けた女なのだから。
「レディの首根っこを掴むとはなにごとなのじゃ! 末弟! 汝はそんなことだから、いつまでたってもロリコンなのじゃ!」
「誰がレディで、誰がロリコンだ! 世間一般では、他人のうちに入るのに二階以上の窓をぶっ壊すような輩を、レディとは呼ばねえんだよ!」
「なかなかいい切り返しをする。いまのは世界を試したのじゃ」
「なにそれ最近のマイブームなの!?」
昨夜も似たようなセリフを聞いた気がする、と、思い、男は突っ込んだ。当の女はなにかをやり切ったかのように胸を張っている。
そんな女の前に出て、なぜだか幼女も胸を張った。
「よくお解りですね、お姉さん。そう。ハクはいつまでたってもロリコンなんです!」
威風堂々とした宣言に、さしもの女も虚を突かれ、絶句した。
こいつは、たぶんなにかを勘違いしている。男はそう思った。
*
ともあれ、こうなった以上、少々の話をするくらいのことには付き合ってくれるということで、女を連れ、男たちは彼らが宿泊するスーパースイートの部屋にまで戻ってきていた。
「心して聞けよ。すげえ大事な話があるんだ」
男は、死んだはずの自分たちの父親、かの老人のことを想起しながら、神妙に切り出した。
「それをいうなら、妾も汝には前から、聞きたいことがあったのじゃ」
男の態度に合わせるように、女もしかつめらしくトーンを落とす。どのように言葉を紡ぐべきか迷っていた男は、先に女の話を聞くことにして、黙った。
女は、そばにいる幼女や女傑、あるいは男の子に聞かれないようにするためだろうか、身をかがめ、男に顔を寄せた。
「いったいどうすれば、汝のように、小さな女の子が寄ってくるようになるのじゃ?」
困惑、した。男はまず、言葉の意味を理解してから困惑し、それから言葉の意味を投げ捨てた。きっと、聞き違いだ。そう瞬間、頭をかすめるが、それがきっと聞き違いでないことを理解できるくらいには、男は女と付き合ってきた。つまり、困惑したのは、正しい感情のひとつだった。
それから、もうひとつの正しい感情として、ふつふつと怒りが湧いてくる。大事な話をしようというのに、なにをくだらないことを言い始めたのかと。そんな怒りを覚えて、拳を握る。だが、それを叩き下ろす前に、男は、ちゃんと、諦められた。
こいつは、こういうやつだ。そう、男は知っている。
「『先生』が、生きてたぞ。まだ、パリにいるはずだ」
女の性格を諦めて――シリアスに語ることを諦めて、男は、ただ小さく、言うべき言葉だけを女に伝えた。軽く持ち上げた拳を、軽く、テーブルに打ち付ける。
その、刹那――。
「妾の聞き違いか。汝の言い間違いか。なにかの間違いなら、妾は、汝を許さんぞ」
男と女を隔てるテーブルを、勢いよく片足で踏みつけ、女は、男の胸倉に掴みかかっていた。諦観で俯けた顔を無理やりに上げさせ、鼻が触れるほどに近くまで、引き寄せる。
おまえの聞き違いの場合、俺が許されないのはおかしいだろ。そう男は思うが、もちろんそんなことを、言葉にしはしない。
「事情は詳しく聞いてねえ。つうか、はぐらかされた。まあ、たぶん『異本』かなんかの力だろ。気になるなら本人に聞け」
特段に後ろ暗いことはないが、男は、女の剣幕に負け、目を逸らしながら伝えた。
「……汝に聞いても、どうやらなにも解らんようじゃの。……パリか。であれば、『世界樹』か?」
「ああ。常にそこにいるとは限らねえが、……現地に行ったら、ルシアに聞け。少なくともあいつは、『世界樹』に勤めてる」
女は淑女と面識はあっただろうか? 男が想起してみるに、その点はたぶん、問題ないと思い起こす。男はちゃんとは知らないけれど、女は淑女と、チチェン・イッツァで出会っている。また、男の記憶としても、具体的な絡みはともかく、ワンガヌイの家でも、ローマの屋敷でも、顔を合わせてはいるはずだった。まあ最悪、面識がなくとも名さえ知っていれば、アポイントメントを取ることくらいできるだろう。
「ふむ。あい解った。とりあえずパリじゃな。早速発つ。情報感謝するぞ、末弟」
冷静ながらも急くように、慌ただしく身支度をし、女は立ち上がった。この女のフットワークは、常に軽い。
「ちょい待て! まだ話は半分だ!」
だから、女以上の忙しなさで、男は彼女に呼びかける。そんなものなど意にも介さず無視を決め込み、「じゃ」、とか片手を上げてすたすたと、女は足早に歩いて行った。
「気持ちは解るが、たまにはかわいい弟の話を、ちゃんと聞けよ! ジンのこともずっと、言いそびれてたことがあんだよ!」
男の兄であり、女の弟でもある若者の死について、語るタイミングはいくつかあったが、それをまだ、男は伝えられていなかった。それは、他に大変な事態が発生していたことももちろんなのだが、このような、女の、嵐のような性格にも一部、起因している。このように彼女と穏やかに(?)話せる機会など、そうないのだ。
男のこのセリフの、どこかに触発されたらしく、女は、足を止め、振り向いた。出て行こうとする歩みと同じくらいの速さで戻り、再度、男に顔を近付ける。
「どぅわぁれがかわいい弟なのじゃ。世のお姉ちゃん大好き弟たちに謝るのじゃ。さあ謝れ。すぐ謝れ。心の底から地に伏して謝るのじゃ!」
「てめえは少しは真面目に話をすることを覚えろ!」
「なにを言っておる! 妾ほど真面目にお姉ちゃんをやっておる者も、そうそうおらんのじゃ!」
「じゃあかわいくなくてもいいから、おまえの弟である俺の話を、おまえの弟であるジンの話を、ちゃんと聞け!」
突き付ける女の顔に、負けじと男も顔を突き付けるから、女は少し、委縮したように目を瞬かせた。
「ジンは……『先生』とは逆だ。あいつは……死んだ」
顔を突き合わせたまま、男は言った。片足を軽く引き、重心を落とす。老人のときみたいに、勢いよく詰め寄られる可能性を考えたからだ。
女は、すぐには動かなかった。その時点で、老人の話をしたときとは異なっている。きょとんと、目を、ぱちくりさせる。その大きな瞳は、かように呆けていると、本当にまるで、小さな女の子のように幼い。
「うん、そうか。いや、まあ、そんなこともあるじゃろ。あの愚弟は、体が弱いからの」
で? というようなほど、あっさりとした反応だった。ともすれば、そんなことなどどうでもいいから、とっとと先を急がせろ、とでも言い出しそうだ。なんだかちょっとそわそわしているし。
「お姉さんひどい! 血なんか繋がってなくても、大事な弟さんなのに!」
幼女が間に割って入った。彼女はいまだに、兄弟姉妹の関係性を大切にすることに憧れを絶やしていないのだ。そういう繋がりを築き始めている、いまとなっても。
「うんうん! ラグナの言う通りなのじゃ! これ、末弟! 大事な家族をないがしろにするとはなにごとじゃ! お姉ちゃんぷんぷんなのじゃ!」
「どんだけ鮮やかな手のひら返しだ! おまえの頭はどうなってんだよ!」
「まあ冗談はともかく」
少なくとも男には、それは冗談には聞こえていなかった。
しかしだからこそ、続く言葉も、冗談ではないのだろう。
「正直、本気でなんとも思わんの。あやつはいつも好きに生きておった。じゃから、いつ死んでも、後悔なんぞないじゃろう。本人が悔やんでもおらんのに、妾たちが勝手に騒ぎ立てるのも迷惑じゃ。騒ごうが怒ろうが悲しもうが……あやつなら、ただ嫌な顔をするだけじゃよ」
それに――。女は自分で言っておきながら、少しだけ悲しそうな――遠くを見るような眼をして、続けた。
「妾たちは幼い時分から、もう、十分すぎるほど話した。互いを知り、尊重し、忌み嫌い合い――その逆をも理解して、もう、一生分、関わった。とうに、関わり終えておる。……いいんじゃよ、こんなんで。四半世紀もともに過ごした『家族』のことなど、笑って見送ればいいのじゃ。騒ぎも、怒りも、悲しみもなく。ただ、……覚えておれば、それでいい」
言葉を終える、その表明のように、女はゆるりと、歩みを再開させた。
すれ違いざまに、男の肩に、片手を預けて。
「じゃ」
軽い一言を残して、颯爽と。
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