――地上30階。
いやな気配がしますね。そう、床に這いつくばり、メイドは感じた。ずっと下、ここより30階ほど下に、よくない者が乱入した。彼と対峙したことがあるからこそ、メイドはそれを、直感的に理解する。
「なにを呆けている。アルゴ・バルトロメイ」
声とともに投擲される、槍。そしてそれを投げた執事を、見る。冷たく、それでいてやけに情熱的に闘志を燃やした、かつての教え子。
まるで弟のように接していた、彼を。
「その武器のタネは割れていますっ!」
言って、メイドは伸縮性の警棒で、それを弾いた。その先は、もうひとりの敵がいる方――。
「お嬢様っ!!」
おそろしいほどの速度で、執事は令嬢の方へ駆け寄る。巨大な盾も投げ捨て、敵として対峙するメイドからも視線を外し、ただただ懸命に、最速に。
そうして令嬢に弾かれた槍が到達する直前に、彼はその槍を掴み、止めた。
「お怪我はございませんか!? お嬢様!」
そう言って、執事は令嬢を、その頭頂からつま先まで検分する。繊細な陶器を扱うように。その身体に触れないように、細心の注意を払って。
そのように扱われた令嬢は、不機嫌そうに眉をしかめた。だが、その矛先は――。
「不躾ね」
令嬢を気遣うあまり、執事が完全に視界を外してしまっていた、敵。
「穿ち抜きなさい。『鳴降』」
黒紫色の『異本』を輝かせ、屋内でありながら、天変地異をもたらす。
天上天下、四方八方からの、雷撃。雷、と、呼ぶには、縦横無尽すぎる。しかして、電流と呼ぶには一点集中、一点突破の、集約された力。そららが、暗雲もないままに、上下左右から、メイドを襲った。飛来する、槍のように。
*
これまで様々、散々と、雷や電気による戦闘を描いてきたが、はっきり言って、雷レベルの電流――200万ボルトを超えるほどの電圧が人体にかかろうものなら、普通に人は、死に至る。
即死だ。そうでなくとも、意識は混濁し、昏倒し、脳に障害くらい残るものである。あるいは、全身を駆け巡る電熱による、大火傷。
つまるところが、一般に、基本的な人体は、一撃の雷にすら、耐えられるはずもないのである――。
……うん。まあ、その、なんだ。
例によって例のごとく、これはあくまで『一般的な』人体での話なのだけれど。
*
物理的に――という言葉では語弊があるのだけれど、ともあれメイドは、襲いかかる幾重の雷撃を、すべて的確に払いのけた。細かな理屈は置いておいて、彼女がもたらしたのは、普段からの武器である警棒にて雷撃を受け止め、高速でそれを振り払うことにより、電流の指向を変更――ともあれ、軌道を変えたのだ。
雷撃によるエネルギーは一時、ボラゾン製の警棒に集約される。それはメイドの、警棒を握る手を中心に、いくらか身体を巡っている。だがそれも、わずかなものだ。とはいえ、やはり『一般的な』人体であれば十二分にダメージはあっただろうけれど、やはり彼女は、『一般的』からは外れている。
アルミラージの『極玉』。それは基本的に特異な性能を持たないけれど、その力は、メイド自身の身体強化に大きく貢献している。もっとも大きな力は、脚力の増強による機動力の向上であるが、やはり全体的な身体能力も強化されている。特に今回、彼女を蝕むのは、どうしても払いきれない電熱。とりわけ警棒を握る手のひらを傷め、多少の火傷を負うこととなっていた。
「……素晴らしいわね」
差し向けたすべての雷撃を払いのけられ、令嬢はやや、目を細める。それは、驚愕や警戒よりも、畏敬の念を前頭に出した表情だった。
だから、まだ、その力に挑戦する。
「さらに重ねて、穿ち続けなさい。『鳴降』――!」
さきほどの、ただただ無策に、いたずらに数撃つ雷撃ではない。相手の動きを読み、隙を狙い、いつか追い詰めるための、攻撃。
「まったく――際限は、……ないのですかっ!」
的確にいやなところをついてくる雷撃を、それでも順序よく払いながら――そのたびに手のひらを襲う電熱に眉根を寄せて、メイドは反撃の隙をうかがう。だが、暗雲すら必要としない、常に不意を突かれる雷撃の連撃に、うまく距離を詰められない。
「アルゴ――!」
そのうえ、体勢を立て直した執事が、近接戦闘で槍を振るってくる。さきほどの一撃で、投擲は彼の『お嬢様』を傷付ける可能性もあると判断したのだろう。それでも十二分に、EBMAで武術を――彼の場合は、とりわけ槍術を修めたという経緯もある。むしろ投擲よりもよほどの致傷力を秘めた力で、雷撃とともにメイドを襲った。
だが、その程度ならまだ、いまのメイドなら対処できる。EBNA第六世代以降の誰もがなしえなかった、『神話時代の極玉』と和解した彼女なら――。
「際限なら、ありますわ」
ふと、メイドの意識の、もっとも薄い場所から、もっとも意外な声が、響いた。
「あなたがあたくしたちに、敗北するまで――」
ウエストの絞られた、深紅のゴシックドレス。そのドレスの、ボリュームのあるフリルが揺れる。それは、その内にある凶器を、効果的に隠した。
「――ですわっ!!」
本来なら戦闘向きでない、ただ動きにくいだけのピンヒール。その踵の刺突のような一撃が綺麗に、メイドのみぞおちに入った。
*
けほっ、と、ひとつ、咳き込む。この程度は大過ない。だが、隙はできる。
「カルナ!」
「はい、お嬢様!」
必要最小限の言葉で、令嬢と執事は意思疎通する。瞬間、彼らは同時に、それぞれ別方向へ、メイドから距離を取った。
その行動に即、メイドは悟る。対応を、考える。
「あたくしたちの敵を、穿ち倒しなさい! 『鳴降』――!」
稲光の規模から、威力を推し量る。唯一の救いは、おそらく、一撃きりの雷撃だろう、ということ。だがその威力は、これまでのものとはけた違いだ。
これを振り払い、感電せずに払いのけることはできるでしょうか? ……いいえ。であれば、回避を――。
「…………っ!」
――いや、違う! 間一髪で、メイドは気付いた。
「――忌々、しいっ!」
つい本音を叫んで、メイドは警棒を構えた。超威力の雷撃に相対する。だが、すべてを払いのけることはできないだろう。そして有り余るエネルギーは、容易に、メイドほどに規格外な人体をも、行動不能にする。
だから、彼女を呼ぶ。己が内の、もうひとつの人格と、ともに戦う。
全身が赤く発熱し、怒髪のように、総毛が持ち上がる。額に違和感を覚え、徐々にそこから、鋭い角が伸びた。
――そこで、彼女の姿は、雷光に包まれることとなる。そこまでの雷撃を槍のひと突きとするなら、今度の一撃は、まるで大口の大砲による一発だ。それに穿たれた人体は、その爆発により、その身すべてを焼き焦がされることとなろう。
*
「やっぱり身体が軽いと、動きやすくて楽しいわ」
いつかと違い、余分な贅肉をすべて落とした令嬢は、嬉しそうにそう、笑った。
「お嬢様、あまり前に出られては――」
その傍らに傅く執事。彼の口に人差し指を当て、令嬢は、その言葉を遮る。
「せっかく生き返ったのだもの。少しくらい大目に見なさい。それに――」
執事の口を塞いだ指を、別方向へ曲げる。
「そんなことを言っていられる状況じゃ、やっぱりないわね」
あの、おびただしい熱と光の中に、やはり当然と、彼女は立っている。
それを見て、令嬢は口角を上げた。
楽しいわ。ええ、ちゃんと生きるのは、本当に楽しいわ。と。
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