箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

世界を正す者

公開日時: 2021年7月21日(水) 18:00
文字数:3,462

 男たちが宿泊するホテルのラウンジにて、仕切り直しだ。


「ほんと、相っ変わらずだな! このハゲ!」


「ハゲじゃないつってんでしょうが! スキンヘーッド!!」


 突き合わせた額を、僧侶の方からぶつけ合った。


「痛っ――てええぇぇ!! ふざけんな、石頭!!」


「その通り! 石頭! 決してハゲてない!」


「貴様! ハク様によくも! 育毛剤かけんぞ、このハゲ!」


「使用人のしつけがなってねえですね、コオリモリ。ハゲさんにハゲって言っちゃ、ダメでしょうに」


 四者四様にうるさい。それを見咎め、ホテルのスタッフが申し訳なさそうに注意に来た。


「「「「ごめんなさい!!」」」」


 全員で謝った。ちなみに、この場にいない幼女は部屋で寝かせてある。


「……で、頼んだもんは持って来てるんだろうな?」


 男が再度、仕切り直す。


「持って来てるけどぉ……ハゲって言う人には、あげましぇーん」


 両手を後頭部で組みそっぽを向いて、口笛を吹きながら僧侶は言った。態度悪く、足まで組んで。


「おい、メイ。育毛剤かけろ」


「お任せを! ハク様!」


 なぜ持っていたかは解らないが、メイドはどこからか育毛剤を取り出し、僧侶に、ためらいなくかけた。


「ぎゃー! やめなさい! 髪が生える! 私の毛根の強さ舐めんなよ! や~め~て~!!」


 もう一度、ホテルマンが現れる。


「「「ごめんなさい!!」」」


 優男以外の三人で謝った。もう次はないそうだ。


        *


 ふう。と、息をつき、小さく笑う。男と、僧侶が。


「本当に、懐かしいな。……積もる話もあるが、まあ、……悪いがいまは、そういう気分じゃねえ」


 男は笑みを消して、少し俯く。


「ええ、聞き及んでいます。ノラちゃん、でしたか? あなたが子育てなど、歳も取るものです」


 男より、十と少し年上の僧侶だ。やや達観して、そのように述べた。


「あいにく、こちらもいまは、戦時中でしてね。戦力をお貸しはできませんが、この『異本』くらいなら……」


 僧侶は、ローブの懐から、言葉通りの一冊を取り出し、テーブルに置く。特徴的な黒い装丁。つまるところが『白鬼夜行びゃっきやこうシリーズ』の、一冊を。


「うちでも扱える者のいない『異本』です。お貸しするのにやぶさかではありません。……しかし、ゆえに案じてもいます。うちで誰も――正確には、教祖を除いて、ですが、それほどに扱える者が少ない『異本』。おそらく、汎用性はD以下。そんな代物を、扱える者が、お仲間にいらっしゃると?」


「ああ」


 男は端的に、自信たっぷりに応えた。紳士に継がれた『異本』、『箱庭百貨店』を想起しながら。

 そのイメージのまま、渋られる前に『異本』を受け取る。自身の懐から白に金文字の入った装丁の『箱庭図書館』を取り出し、とっとと収めてしまった。


「ネロ・ベオリオント・カッツェンタ、ですか」


 いくらか間を空けた後、僧侶がそう、呟いた。


「我々のような日陰者から見れば、彼はまさしく、裏社会のスターだ」


「スター?」


 少し剣幕を増して、男は聞き返す。


「その強さ――噂に聞き及ぶ戦闘力の限りでは、ね。あるいは、強者ばかりを打ち倒してきた、その偉業」


「強えやつにありがちの、戦闘狂ってやつだろ? 自分より強い相手を打ち負かすことに執着する、狂った野郎だ」


「ええ、もちろん、そういう側面もあります」


「ほう……」


 そうじゃない側面――あるいは正面を示唆した言葉に、男はまだ表情を歪めたまま、一度、背もたれにもたれた。


「彼のターゲットは、身体的、戦闘的に強者、というだけの者ばかりではありません。いや、むしろそんな上辺だけの強者は少数派とも言える。……彼の、本当の敵は、いわゆる権力者ですよ」


「はん。それもありがちな話だろ? 力だけに恵まれた社会的弱者が、下剋上を狙って権力者を目の敵にする。……つまり、ネロ・ベオリオント・カッツェンタは、ただのガキだってことだ。世の理不尽が気に喰わねえんだろ。俺にも覚えがあるよ」


 いつか、『先生』に拾われ――居候させてもらうようになる以前は、確かに、すべてを恨んでいたような、そんな気がする。いまとなっては遠い記憶だ。あまりはっきりとは思い出せないが。それでも、いまだに、社会的な強者――権力者階級の者たちには、なんとなく悪印象を持っている男だった。


「さて、そんな浅慮な行動とも思えませんが」


「どういうことだ?」


 その殺戮への規則性に興味を持ってか、あるいは、暗に自身の思想を揶揄されたせいか、男は前屈みに、僧侶に問うた。


        *


「……まあ、決して確証などない――むしろ、なにひとつ証拠も、根拠もない、ひとつのものの見方だと思って聞いてください」


 と、僧侶はやけに念を入れた言い回しを枕に置いた。


「たとえば、数年前にようやっと終戦したある紛争ですが。その過激派二大組織の、片側のトップ、それが、2011年に殺害されていますね? 表向きにはこれは、この紛争を収めるための、ある大国によるものとされていますが、これ、当時六歳の、ネロの仕業です。その人物の死によって、なにが起きました? 彼は過激派二大組織の片側のトップでしたが、逆側にとっても崇拝すべき人物でした。もともとは同じ組織からの分裂ですからね、当然といえば当然です。つまりは、同士討ちですよ。それでも、件のトップが生きてさえいれば、彼の鶴の一声で場は丸く収まったかもしれない。しかし、結果は、全滅です」


「……なにが言いたい?」


 正直、僧侶がいきなりなにを語っていたのか、男はさほど理解していない。それでも、訳知り顔で適当に頷き、先を促してみる。


「二十年弱も紛争を続けるほどの組織です、まがりなりにも。そのトップが、そう簡単に討てるはずがない。なれば、そこには十二分な労力が払われているはずで、そうまでしてトップだけを――少なくとも、トップやその周辺程度だけしか討たずに、あえてお互いを争わせた。そして結果を――全滅という結果を勝ち取っている。……ハクくん。当時の幼いネロとはいえ、少なくともそんなことをやってのける人物なら――あの強力な『異本』に適応した狂人なら、やろうと思えばそもそも個人で、その結果を生み出せたとは思いませんか? いや、できないかもしれない。それでも、彼の性格なら、できないとしてもやたらに特攻する、くらいのことはしそうなものです」


「…………」


 男は腕を組んで、少しだけ唸った。が、言葉は発さない。いやほんとマジで、正直、なにを言っているか、なにを言いたいか、解らなかったからである。


「つまり、ネロは狙って、あえて労力を払ってまで、その二大組織を争わせたってことですよ。解ります? コオリモリ」


 ずずず……。と、優男が、いつの間にか注文したらしいなにか――男からの視点では現状、ホットの飲み物としか解せない――をすすった。


「自らすべてを薙ぎ払えた。にもかかわらず、あえて当事者で争わせた、ということですね。その思惑は、つまり――」


 男の横で、メイドがお膳立てをする。言葉の先を、主人である男へ譲って。


「……つまり?」


 しかし、そのパスをスルーして――というより気付かずに、男はボールを見送った。


「……緻密なコントロールですよ。この事件の要点はふたつ。ひとつ。目的はあくまで、彼らの全滅です。そして、それは見事、達成されている」


 僧侶は、特段の呆れもなく、変わらずの面持ちでボールを受け取った。


「そして、ふたつめ。こちらが問題で、彼のもっとも個性的に、残虐な部分となるのですが」


 少しだけ言い淀んで、僧侶は、この話の枕詞を改めて、念押しになぞった。すなわち、証拠も根拠もない、ひとつのものの見方、だと。


「その二大組織に、自ずと罪をかぶせ、自ら闘争心を培わせ、互いに憎悪と殺意のもとに、死に至らしめた。ということです。そのどす黒い感情を自覚させ、そのうえで、全滅させた。一種の、同士討ちでね」


 ぞくり。とした。あのとき、かの者の殺意に向き合ったものと、その総量は違えど、同質の悪寒を、背中に、感じる。正直、まだ彼らの言葉を完全に理解はしていなくとも。


 ピリリリ、ピリリリ……。ふと、男のスマートフォンが鳴った。嫌な予感を、残したままに。


「あ? なに? ……ちょっと待て、どういう意味だ?」


 その耳に飛び込んでくる言葉を重ねるごとに、男は、全身が痺れていくような気がした。電話口の相手、今回は安全なところで、情報の整理と伝達を一手に担っている、まだ声変わり前の、男の子の声。その、少しだけ耳に障る、甲高い声で、淡々と、悪く言えば冷たく、語られる真実――現実。


「ヤフユが、帰ってこない……?」


 確認というよりは、自分に言い聞かすように、男は、呟いた。



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