箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

子らへ伸ばす腕

公開日時: 2022年3月25日(金) 18:00
文字数:3,336

 ……………………。


 沈黙が、続いた。そして沈黙が続くごとに、少女のいたたまれなさは増していく。やがて、少女は女傑から、目を逸らした。


「……なぁんや、ノラ。いつもより、えろう可愛いなっとるやん」


 くっくっく。と、空気をつまらせるような音で、女傑は笑った。少女の邪魔が入っても、彼女が前に立ち塞がっても、そんなことなどお構いなしに――むしろ、気迫を募らせて。


「知らなかったの、パラちゃん。わたしはね、それはそれは可愛いの。もうほんと、めっちゃ可愛い……」


 くっ……! と、少女は言葉につまり、膝をついた。どうやら今回ばかりは、その設定に自ら、足を掬われたらしい。


 たしかに、少女は可愛い。しかし、彼女だって完璧ではない。見る者の庇護欲をくすぐるような弱さは失われてしまったし、達観したゆえの超越的な態度は、年齢以上に大人びてしまって、それらが可愛さという点においては、マイナス要素ともとることができてしまう。

 そして、だからこそ、彼女は自らを「可愛い」と呼称して、定義して、ちょうどよかったのだ。鼻につかない程度に、均されていた。もしも本当に完璧で可愛い少女が自らを「可愛い」などと言ってしまおうものなら、それ自体が彼女の『可愛い』を毀損して、ただの性格の悪い少女に格下げされてしまうだろう。


 つまり、少女はほどよく可愛かったのだ。自らを可愛いと言ってしまって差し支えないくらいに、本当にちょうどよく、可愛かったのである。


 それが、今回ばかりは可愛すぎた。普段、シンプルで飾り気のない衣服を纏っているからこそ、素材だけで程度の良い『可愛い』を演出してきたというのに、その衣装を華美に派手に、ポップにキュートに一新してしまえば、もはや非の打ちどころのない『可愛い』に成ってしまう。そしてその自分を、普段と同じように「可愛い」などと言ってしまうと、まさに的を得すぎて、鼻につくのだ。その滑稽さを当然と、賢い少女は理解してしまったから、こうして、くずおれたのである。


「……阿呆あほうやっとらんで、はよ立てや」


 少女の葛藤をすべて理解したうえで、女傑は言った。『本の虫シミ』のメンバー、僧侶や優男、あるいは機械生命体が彼女を警戒し、徐々に囲い、寄ってきても、悠長に。


 ちなみに大男は娘たちを連れ、彼女らを守るために距離を取る。そして悪人顔は状況を把握するのに時間を要して、まだ動けずにいた。


「乗らないわよ。馬鹿じゃないの?」


 少女は言った。言われた通りに立ち上がりながら。立ち上がって、衣装についた砂を払い落し、その弾みで目についてしまったフリフリ衣装に、改めて頬を引き攣らせながら。


「あの子らを――あるいはカイラギさんを? 襲う気なら、わたしのことなんて放っておいて、むしろ隙をついて、そっちを攻撃してたでしょ。それをしなかったってことは、あなたに――」


 その程度の読みで……。と、女傑は思った。少女らしくない。女傑は、やるならやる。少女をおびき寄せるために、一番狙いやすい相手を狙ったけれど、もとより外すつもりでなどやりはしない。し、おびき寄せた程度で、攻撃をやめもしない。本気でなければ、意味がないから。


 その程度やと、死ぬで? と、女傑は思った。まだ、大男や、彼の匿う娘たちへの。少女たちより先に、地上に出ていた。だから、準備は万端だ。そこかしこに電気の球を浮かせている。自身から発する雷撃に指向を持たせるための、『的』を。


流繋りゅうけい 〝あまね〟』。目視できないほどの微弱な電気を、数多のルートから同時に駆けさせ、目的にまで集約させる。とはいえ、いくら集約させるとしても、ひとつひとつが、少女にすら気取らせないようにするため、あまりに微弱に設定してある。ゆえに、その威力は女傑の編み出した技の中でも最弱だ。しかし、それでも人間の一人や二人や三人、絶命させるに不足はない――。


「――?」


 ふっ……と、わずかに風が、女傑の頬を撫でた。


 少女は、わずかも言葉をためらわせず、流暢に語り尽くした。そんなことを言い終わるまでに、とうにの電撃は、

 無理矢理、吹き飛ばされた。そう、理解した。おそらく、誰にも見えていない。彼女が――可愛すぎる彼女が唯一、姿に似合わず剣呑に持っている刀で、語気すら乱さず一刀のもとに、切り伏せたのだ。


 おそろしく速い一刀、うちやなかったら見逃しとるで。そう、女傑は思った。そして、あえてそれだけの速度で刀を振るった理由は――言うまでもない、あくまでここを、穏便に済ますためだ。


「冗談だものね? さっきの攻撃も、当たらないようにしてたものね? ……そうよね、パラちゃん?」


 優しい声で、少女は続けた。まっすぐ女傑を睨み上げて。


 面倒やな。と、女傑は判断した。だから、あえてみよがしに突き付けていた、指先の銃口を、そっと降ろす。べつにまだ、なんとでもなる。しかし、いま、この場では、やめとこか。面倒やし。と、女傑は諦めたのだ。


「……まあ、それでええわ」


 力強い少女の視線に、同質のそれをぶつけて、互いの心を読み合える者同士で、言葉を交わさず、約束する。


 、と。


        *


 女傑は、そのまま去った。


「おい、パララ」


 男が声をかけるも、


「仕事あんねん。始末書や、こんなんやったら。……近いうち顔出すさかい」


 顔を合わせずに行ってしまった。




「おまえら、どうすんだ?」


 ようやっと、ギャルの喪失から立ち直りかけた男である。だが、また、いま、少女と女傑のやりとりで、どっと疲れたところだ。地べたに腰を預けたまま、『本の虫シミ』のメンバーに問う。


 女神さまの退場は、少女と別れたのちに、全員に伝えてある。一人残した少女のもとへ戻るため、男が東奔西走、あの場のメンバーを纏めていたときだ。また、最後の拠点だったこの場も潰れている。まだ彼らは健在だ。『異本』だって奪われてはいない。しかし、このありさまで、この後、どうするのか? それを男は、問う。


「私の意見は言わないでおきましょう。どちらにしても、私は『本の虫シミ』を抜けさせていただくつもりですし。少しひとりで、旅でもしたい」


 優男は言った。そして、組織の意向も聞かぬまま、その手にある『異本』、『白鬼夜行びゃっきやこう 大蝦蟇之書』を、男のそばに置く。約束通り。


「それも回収です」


 そのまま悪人顔の元へも行き、彼の持つ『不知火』も回収する。悪人顔は、やけに素直にそれを、渡した。


「やけに素直ですね」


 優男は言う。


「そんなもんなくても、俺は俺だからな」


 あっけらかんと、悪人顔は言った。優男が到達するのに、多分の時間を要したその答えを、いとも簡単に紡いで。

 その悪人顔は、状況を理解しきっていないのか、特段になにも、未来への展望を語らなかった。不思議な男である。不思議な馬鹿である。


「……潮時、ですかね」


 僧侶が言う。真っ黒なローブの、フードを目深にかぶり、表情を隠した。


「年甲斐もなく、未練たらしく居場所にしがみついていたのかもしれない。それがこの結果だというなら、もう、『本の虫シミ』など、…………解散した方がいい」


 最後の一言には、長い間を要した。年甲斐がなくとも、未練たらたらでも、みっともなくしがみついていた居場所だとしても、結局、彼はその場所が好きだったのだ。その気持ちだけは、どうしても拭えない。そういうこと、だった。


「教祖も、女神さまもいないいま、僭越ながら私が宣言させていただきます。今日、このときをもって、『本の虫シミ』は――」


「待てっ!!」


 空間を震わせるほどの一声が、僧侶の言葉を遮った。声の主は、大男、カイラギ・オールドレーンである。


それがしは認めんぞっ! メロディアの仇を取るまでは、某はひとりでも戦い続ける! こんな……こんな結末でっ! メロディアの――この子たちの母親の魂は、どう救われるというのだっ!!」


 大男は、渾身の声を上げた。コルカタの街、全域にまで響いたかもしれない。それだけの、怒声。だが、その両腕に囲うふたりの娘には、陶器に触れるように優しい力加減だった。不器用な彼が、あまりにも器用に。――いつしか、ようやっと慣れた、親のごとき優しさで。


 そんな彼の、あまりに極端な力加減に震える、その肩に、触れる手が、ひとつ――。



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