不思議ね。
と、少女は思って、余裕たっぷりに、笑った。
たしかに、いくらか渡り合えている。しかし、少女の慧眼は、その程度、焼け石に水でしかないことをよく理解していた。
百ある戦力の、なんなら、一すら削れていない。戦闘力として強力な、天狗、鵺、鬼たちは当然としても、ただ数を揃えただけの雑兵にも見える餓者髑髏たちでさえ、相当な硬さだ。ほとんど戦闘技術などない、機械的な攻撃ゆえに、いなすのも容易いが、倒そうと思えばその防御力に、かなりの面倒がある。一反木綿や轆轤首たちはそれほど頑丈ではなさそうだが、逆にゆらゆらと揺蕩い、切りにくい。接近戦が苦手そうな雪女などは後方支援に徹し、手が届かない。全体的な陣形としても、よく整った軍勢だった。
だから、それらをすべて討伐し尽くすには、本当に少女といえど、無謀でしかなかった。そう、少女自身が理解している。それでも……不思議なほどに、もう、負ける気がしない。
力だけでなく、頭も、本当に頼りない男であるのに。その口から出る言葉も、結局、他力本願であるのに、彼が「なんとかする」と言えば、本当になんとかなりそうな気がして、勇気が湧いてくる。力が溢れてくる。本当に理屈なんかない。理屈などつけようもない。だから、不思議ね。と、少女は笑うのだった。
その不敵な笑みを見て、高座にふんぞり返る妖怪は――その大将、ブヴォーム・ラージャンは、わずかに苛立った。
少女と同じく身体強化系として成長した彼の洞察眼によっても、戦局は圧倒的に、自らに有利だと理解していた。そのうえ、少女自身も、自らと同じ評価を、この戦況に関して抱いている、ということも理解できる。だからこそ、この絶望的な状況に抗おうとし、あまつさえ笑っているのが、妖怪の気に障ったのだ。
まあ、あくまでわずかに、だけれど。
どんなに余裕をかまそうが、状況はなんら改善していないのだ。少女には――現状でどれだけ健闘していようが――最終的に負ける未来しかない。そう、妖怪は理解している。ゆえに、苛立ちも、瞬間で鎮火する。どうせ未来のない者どもの強がりだ。そう、遥かなる余裕から、許すことができるから。
とは、いえ。とも、思う。
さすがにそろそろ、目障りだねえ。と。
少女は再度、天狗との交戦に入った。単純に戦うなら、少女に分があるだろう。それでも一合や二合で退かせるのは困難だ。ましてや、他の化物たちへの警戒も、実質的な対応もしながらである。そして、精神干渉が効かないと見るや、化物たちの最大戦力、九尾が、その巨体の――巨椀でもって、物理的な攻撃にも打って出た。
九尾の剛腕。それでも、少女には躱されるだろうし、あるいは、受け止め、受け流されることもあるだろう。しかし、それでも十分だ。
そう、妖怪は判断。十分に視覚は奪えた、と。
(死ね!)
と、当然と声など発さずに、九尾の巨椀に隠れ、少女に近付く。十分に近付いたところで鎌鼬の目に見えない鎌を生み出し、死角から、突く!
狙うは、心臓。一点だ。どうやらこの少女、身体強化――いや、身体操作でもって、即死ダメージ以外では、ものすごい再生速度で傷を修復してしまう。だから、人体急所、心臓。それを、刈り落とす。おそらく、いくら急所の心臓と言えど、相当の大規模な破損を齎さねば即座に回復するだろう。そう、妖怪は自身の『老練』により理解したから。
その、完全なる死を齎し得る一撃に、少女は反応しない。気付いていないのか、あるいは、他への対応で対処ができないのか、攻撃の見切りが甘くて、即死はしないと見定めているのか――理由は解らないが、反応はしなかった。
刃が少女に到達するまで、あと、一瞬。
*
ほんのわずかに、綻んだ。その少女の口元を見て、妖怪は、我に返った。
我に返った、のだ。期せずして集中しすぎていた。たかが、少女ひとりのために!
「『霊操。〝神速〟』」
あれ――声が――遅れて――聞こえた?
「見え……てるよ!」
強がりだ。見えていない。
声すらも置き去りにした高速移動に気付けたのは、勘――『老練』された、戦闘勘だった。
それでも、少女にばかり注力せずに、しっかと周囲の注意ができていれば、問題なく見えただろう。身体強化としてはそこそこ。ただ、数多くの化物たちを使役できるのがメインの『白鬼夜行 滑瓢之書』。――とはいえ、さすがに、『啓筆』だ。おまけ程度の身体強化であれど、十二分に強力なものとなっている。音速をいくらか超えている程度の速度、捉えられてしかるべきだった。
が、前述の通り、妖怪は少女に注力しすぎており、その結果、その女傑の攻撃に対する防御が、ギリギリになってしまったのだ。
「なんや。苦戦しとるやん、ノラ」
視線を外し、余裕を見せる、女傑。妖怪は、自身も、この年齢であるうちは、そこそこ身長も高いと自負していたが、彼女は、それ以上に高い。その、高身長ゆえによほど長い美脚でもって、蹴りかかってきた。妖怪はそれを、ギリギリで受ける。
が、そこからさらに女傑は、体を空中で身軽に回転させ、二撃目を放った。まるで妖怪のことなど歯牙にもかけないように、ただそこを歩いて――跨いで行くかのように、初撃とは反対の足のかかとを、妖怪の後頭部に叩き落す。
だが、妖怪も徐々に、集中を取り戻している。不意を突かれた初撃とは違い、余裕をもって二撃目に対処。ただ防ぐだけでなく、カウンターに拳をぶつけ、その足を砕いた――。
――おや? と、認識する。手応えが、なかった。……なるほどねえ。と、即座に理解。どうやら、電気だ。肉体が、人体でありながら雷の性質を持つ。荒唐無稽なはずのその体質に、冷静に診断を下す。どんな意外性にも精神を揺さぶらせない。それこそが『老練』の真骨頂ともいえた。むしろその長所を生かしきれなかったからこそ、さきほど、『女神さまとの踊り場』での一戦では、あんなモブキャラに後れを取ったのである。
そのことから、妖怪は改めてしっかと、自制していた。自省して、自制し直した。もはや感情は揺らさない。すべてを冷静に、危難にも泰然と、的確に対処する。そのように思い直している。
だから、瞬間、電気に変わった体が、妖怪のカウンターを通過したのち、すぐ、受肉して、改めて物理的なダメージに変わっても、無理矢理体を捻り、攻撃を受け流すことに成功した。
「遅いのよ、パラちゃん」
少女が笑う。
どうやらそちらも、問題なく化物たちを凌いでいた。ただの化物たちだけならともかく、九尾もいるってのに、たいしたものだ。そう、瞬間、思う。
少女の頭上を、吹き飛びながら、思った。その先は、少女が守って、妖怪たちを進ませまいとしていた通路。であるなら、見えはしなかったがおそらく、女傑が現れたのはそこからだろう。
そして、妖怪たちが進もうとしていた方向へ、わざわざその当人を吹き飛ばす理由は……と、考えれば、すぐに次への対応も、理解できた。
「次はおまえかい? カイラギ」
女傑への対処で手放した鎌鼬を、再度生成し、持つ。予想通りに、通路を塞ぐほどの巨体を持つ大男へ、それを振り降ろすために。
「いいや。次は貴様だ」
そう言うと、大男は、巨木のようなその両腕を無防備に広げ、拳を力強く、握った。
大男の瞬発力は知っている。確かに、彼は見た目ほど鈍くはないし、なんなら速すぎる攻撃速度を発揮する。しかし、それを差し引いても、自分の方が速い。そう、妖怪は判断した。見間違えることなどあり得ない、『老練』の目で、判断した。
が、しかし――がっ、と、ふと、なにかが妖怪の足を、掴み、わずかに、動きを鈍らせる。
「うん?」
まだ攻撃の途中だ。さほどの余裕もない。しかし、予期せぬ妨害に、妖怪は少し、足元を見た。
「ひゃっはあ! 掴まえたぜ! 教祖さま!」
大男の股下に――その影に身を潜めるように寝転がり、なんか、……誰か知らねえ悪人顔が、妖怪の足を、掴んでいた。
「積年の恨み! 思い知れ! 俺は前から、おまえが嫌いだったんだ!」
「そうかい」
瞬間で判断。この程度の拘束、鎌鼬を向けるまでもなく、掴まれていない方の足で蹴り飛ばせば外せる。なんの問題にもならない。その程度の時間のロスを含めても、大男の攻撃より前に、まだ、こちらの攻撃は到達する。
――はずだった。それだけだったなら、まだ。
「ちなみに、私もあなたが嫌いでしたよ」
まるでスーパーボールのように、今度は大男の後ろから、廊下の壁を蹴り、跳ね、妖怪の足元を狙ってくる、もうひとつの影が現れた。悪人顔が掴んだものとは別の、まさにその、悪人顔の拘束を解こうと蹴り出した足を狙って、その優男は合わせて、蹴りでもってそれを防ごうと向かってくる。
ぶつかる直前まで、妖怪は、ただの人間の脚力なら、おれの足を弾けるはずがない、と考えていた。が、インパクトの瞬間、あまりに肥大したその足を見て、冷や汗をかく。
ああ、弾かれるねえ。と、判断。そしてそこから逆算して、もう、大男の攻撃に、間に合わないと理解する。
そこからは、後手後手だ。
攻撃が先に到達しないなら、こちらからの攻撃は無意味だ。大男の巨椀にかかれば、その威力だけで、こちらの攻撃は無力化されるだろう。であれば、攻撃から一転、防御に力を割いた方がいい。と、妖怪は鎌鼬を手放し、ガードする。
それでも、大男渾身の両腕だ。それを思い切り、左右から同時に、押し潰すように叩き付けられれば、いくら妖怪とはいえ、ひとたまりもない。
だが、最低限の防御を行ったおかげで、即死は免れた。身体回復機能にはあまり自信がない妖怪だったが、それでも、『滑瓢』の身体強化で、なんとか――時間をかければ、回復させることはできるだろう。
しかし、それで終わりじゃないことも、妖怪はとうに気付いていた。
「『降繋。〝神罰〟』」
妖怪の背後で、まだ空に浮いたままの女傑が、言った。妖怪からは見えていないが、電気で――しかも、とてつもなく強大な電力でもって、こちらに狙いを定めている。子どものように、人差し指を立てて、銃口を向けるように構えて――。
「ばああああぁぁんん!!」
ゴオオオオォォンン――――!! という、その雷鳴に負けないように、女傑は叫んだ。が、それでも、その轟きは、あらゆる音を掻き消し、稲光は、すべての視界を眩ませ、そのエネルギーは、すべて妖怪を、黒焦げに染めるために、収束したのだった。
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