手短に状況を聞き、女傑は「はあん」と、淡白に息を吐いた。思考を巡らすように、長めのまばたきをひとつ、挟む。
「どうした? なんなら余が手を貸そうか?」
「あん? ……いや、ええ、ええ。うちひとりで十分や。ただ――」
女流へ、幼女へ、順に目をやり、再度、長いまばたき。
「なんや、仕組まれとる気ぃしてな」
とはいえ。と、悩みを打ち捨てたように、一度、大きく息を吐いた。
「『本の虫』の生き残りに、脱走した教祖まで……ハクやノラも来とるんか……」
くっくっく。と、堪えるように笑う。長く、ボリュームのある前髪の隙間から、ほんのわずかに右目が――それがあるはずの表情が、見えた。平和に生きる者には、ぞっとするような、傷口が。
「さて、どっから行こかな」
凄絶に、隻眼を開く。それはまるで、嘲笑のような表情だった。
*
すれ違う女傑を、幼い手が止める。
「……なんや、ワレェ」
極玉の力ではない。ただの腕力で、止めた。もちろん、そんな華奢な力で彼女を止めることはできない。しかし女傑も、幼子を力任せに振り払うほど無慈悲ではなかった。
「あなたは、ハクの敵、ですか?」
幼女は、端的に問う。
「ちゃうわ。どっちかといえば、味方やねん」
「どっちかといえば……? いえ、それならどうして、WBOに?」
幼女は警戒を怠らず、女傑からも手を離さない。いついつでも、返答によっては、動きを止められるように。
「WBOに所属しとることと、ハクの味方でおることは矛盾せんと思うけど」
「いいえ」
強く、幼女は首を振った。
「WBOは、ハクの敵です」
「敵?」
すれ違いざまだった姿勢を変えて、女傑は幼女に、向き合う。
「そんな話は聞いとらん。むしろ友好的な関係を築いとるって、うちはそういう認識や。あのクソ――フルーア・メーウィンが、ハクと取り引きしとるはずやし、それに――」
「そうだのう。ラグナ。確かこの女は、かつてあの馬鹿とともに行動をしておったはずである。余の試練を受けに来たときも、ノラとこやつと、あともうひとりを連れて来ておったしのう」
ふと女流が、ワンテンポ遅れた話題に関して、過去の記憶を、幼女に告げた。女傑の言葉を遮って。
「ハクと一緒に……? どういうことですか?」
女流の言葉に対しての疑問を、女傑に向ける。
「どうもこうも、当時はうちが拾われたころやねん。それからハクが地下世界に行くまでは、ずっと一緒におったわけやし――」
「ちょっと待って、拾われたって? ずっと一緒って……?」
幼女は畳みかける。人間関係がうまく頭になじまなかった。
「……ノラのことは知っとるねんな? ハクに拾われたことも?」
呆れるように確認する女傑に、幼女は小さく、頷いて応えた。
「そんな感じや。うちはノラより数年あとに、ハクに拾われた」
「それって、つまり――」
幼女は、確認することを怖れながらも、まっすぐ、女傑を見上げる。
「まあ、娘みたいなもんやな」
罪悪感があるように、視線を背けて、女傑は、言った。
*
「な……な……なっ……」
幼女は動揺していた。
「……なんやねん」
「わっ、」
女傑の言葉が、幼女の引金を引く。
「私の方が娘なんですからねっ!」
その結果、言葉は崩壊していた。暴発である。
自らの言葉を反芻して、そのわけの解らなさに赤面していると、女傑が、そんな幼女に顔を近付けた。両手をライダースのジャケットに突っ込んだまま、視線を合わせるためにしゃがみこんで。
「なんや。まあたハクが、女の子を拾ってきたんか」
あいつにとっては、そんな長い期間が経ってるわけやないはずやけどな。と、女傑は思い、苦笑した。感情に合わせるように、長く持ち上がったアホ毛が、ぴょこんと揺れる。
「じゃ、うちにとっても妹みたいなもんやんけ。仲ようしてや。えっと――」
「ラグナです。ラグナ・ハートスート。……名乗りはしますが、仲良くなんてしません!」
「おー、うち、なんか気に障ること言ったやろか?」
そっぽを向いた幼女の頭を、楽しそうに女傑は撫でまわした。
「……パララさん。どうしてWBOに? ……WBOは、ハクの敵です。いいえ、いまは友好的でも、いつかは敵になる。『異本』を集める組織。それに、ハクのお兄さんを、殺したって……」
実のところそれが、幼女の心にいちばん深く、引っかかっていた。
氷守薄の義兄、稲雷塵。彼と直接の面識はないが、その関係性には強く、引かれるものがある。『兄弟』、『家族』。物心ついたときからEBNAにて生活していた幼女にとって、それは、深い憧憬の対象でもあり、いつかは一度、諦めた関係だった。
だが、いまは違う。男という『父』がいて、少女という『姉』がいて、その『家族』たちの一員にもなり始めている。そうだ、なり始めているいまだからこそ、もっともその関係性に強く、固執していた。
男も、少女も、そして眼前にいる女傑も、決していまだに失ってはおらず、その気持ちは持っているだろう。それでも、『家族』を得てから長く時を過ごし、いつしかそれも、あたりまえになっていく。だからその死に向き合おうと、それを強く悲しみ、悼もうと、そこにはどこか、諦めのような『慣れ』が介在する。
その『慣れ』に、まだ幼女は『慣れ』ていない。だから、遠い親戚のような若者にも、こうして強く感情を抱けるのだ。
「……ジンさんのことは、ランスロット――WBO内の個人が勝手にやったことや、組織の意向やない」
「でも、組織は、その事実を隠蔽してますよね?」
「せやな……組織のトップ、リュウ・ヨウユェもその点、把握しとる。それに関しては、『組織の意向』と言うべきやろな」
「だったら――!」
「うちの目で見る限り」
ヒートアップする幼女の言葉に、女傑は、鋭く言葉を挟み込んだ。さらに少しだけ威圧的に睨んで、言葉を遮る。
「……少なくとも、リュウ・ヨウユェに悪意はない。苦渋の決断やった思うで。あいつは――」
数日前、彼と、その右腕である若人、あるいは彼の秘書であるそばかすメイドと連れ立って一杯やった。そのときに彼とは、その話をしたのである。しかし、それを告げる彼の様子は、その表情は、あまりに多くの悔恨を含んだそれだった。まさしく、眼前の幼女のような。そう、女傑は思った。
しかし、それでもそのように決断した。それは決して、組織の人間を庇うためでもなく、なにかもっと、大きな目的のために決定した。そのように、女傑の目には映ったのである。
そしてその表情は、女傑にとって、よく知っているものに、よく似ていた。だから、少なくとも女傑は、彼を悪人だとは思っていなかった。WBO最高責任者、リュウ・ヨウユェ。あの、壮年のことを。
「いや、……それに、少なくとも言っとったで。WBO全構成員に対して、『氷守薄には、手を出すな』と」
「……え? それは、どういう――」
「解らへん。……やけど、それについても、直接会ったときに聞いてみたんや。そしたら――」
――あの男が、私の元へ到達することができるか、試すためだ。
そのように、壮年は言った。らしい。
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