佳麗な双女を両腕に引き連れ、そのメイドは歩いていた。一見には、使用人が親代わりに子どもたちを誘い、遊びにでも連れ立っているようにも見えるが、よく観察すれば、その異常さに目が行くかもしれない。
メイドは、クラシカルなメイド服に身を包んだ、正統派の格好をしていた。特段に目立つ特徴はないかもしれない。だが、腰まで伸ばした艶やかな黒髪は、その一本一本に至るまですべてが潤いに煌めいている。目鼻立ちも作られたように整っており、前言を撤回するなら、その凛とした姿すべてでもって、どれもが特徴的に美形だから、総じて特徴を失っているかのような完成度だった。
彼女が左手に引き連れる佳人は、メイドとは対照的な、ぼさぼさの長い髪を、メイドよりもよほど長くまで伸ばしっぱなしにしていた。やはりメイドとは対照的に手入れがされておらず、そのせいか、元来黒髪であったらしいそれは、色褪せて暗褐色にくすんでいる。着込むのは、その髪よりかやや明るい色の、赤茶色をしたパンツスーツ。しかし、きりっと体のラインを浮かび上がらせるようなフォーマルではなく、どちらかというとカジュアルに、ワンサイズ上のものをダボっと着ている印象である。
また、メイドの右手には、佳人と同じ背丈の、麗人が。彼女はメイドと同じ、腰ほどまでの黒髪を、こちらはしっかと手入れしているらしいと解る艶やかさで揺らしていた。それは、うしろでひとくくりにされているがゆえに、まさしく揺れている。佳人と対になったような濃紺のパンツスーツ姿だが、彼女は正しく、自身に合ったタイトなサイズで着こなしているようだ。濃い青のフレームをした眼鏡を凛々しくかけているので、やり手のキャリアウーマンのようにも見える。
「おい」
佳人が立ち止まり、ドスのきいた声を上げた。
先行するメイドは、彼女のそんな行動を予期していたように、ほぼ同タイミングで立ち止まる。だが、麗人にとっては予想外だったのだろう。先を行くメイドに並ぶほどまで進んで、そののちにようやっと、立ち止まった。立ち止まって、三つ子の姉を振り向く。
「どしたの、ハルカ」
朝食に、台湾式おにぎり『飯團』をほおばりながら。
肉田麩、卵焼き、切り干し大根に漬物。さらには、台湾式揚げパンである『油條』までもを包んだ、具沢山おにぎりだ。おにぎりの具にパンを包むというのは意外だが、サクサクとした触感が癖になり、よく合うのである。
ちなみに、台湾は外食文化が盛んで、朝からそこかしこで飲食店がオープンしている。『飯團』は台湾の伝統的朝食でもあり、小柄な麗人のげんこつよりも大きなそれを食べ歩きする様は、ちらほらと散見された。
「どしたの、じゃねえだろ」
食べ終えた『飯團』の包装を握り潰し、佳人はわなわなと震える。そこでようやく、メイドも彼女を振り返った。両腕が塞がっている彼女は、特段になにも食べていない様子である。
「ガキじゃねえんだ! 手ぇ引っ張んじゃねえ!」
繋がれた手を、叩きつけるようにほどいた。振りほどかれた左腕を気遣いながら、メイドは佳人を見下ろす。
「急いでいましたので」
短く端的に、メイドは釈明した。が、佳人に向けるその目には、謝意など微塵も、こもっていない。
「だぁから、あたしらを放って、先に行けって言ってるだろ! 心配しなくても、おとなしくしてるよ!」
「この程度のことで冷静さを欠くような者のことを、信用できるとお思いですか?」
「この程度ってレベルじゃねえ! このひと月、どんだけ耐えたと思ってんだ!」
「だからこそ、最後までしっかりと、耐えていただかねばなりません。それだけ鬱憤が溜まった状態でしたら、ほんのひと突きのハプニングでも、ともすればハルカ様は、暴走しかねませんから」
「人を聞き分けのねえガキ扱いすんな!」
「事実、その通りじゃないですか」
「ああ!?」
ふたりのやり取りを、麗人は黙って見守っていた。もぐもぐと、飯團を食べながら。
「おいカナタ、とろとろ飯食ってねえで、おまえもなんか言え。ずっと軟禁され続けて、おまえもイラついてんだろ?」
ふと、自分に話題を振られて、麗人は焦り、急いで口の中身を飲み下した。咀嚼の足りなかった米が、胸に詰まる。二三度、彼女は胸を叩いて落ち着いた。
「いや、私は楽しんでるけど。こういうのも、『家族』って感じで、ほっこりする」
にへへぇ。と、凛とした身なりとは対極に、だらしなく笑う。口元に米粒を引っ付けたまま。
だから、佳人も毒気を抜かれる。まだ文句は次々に湧いてくるけれど、そんなものをぶつけてしまう方が虚しい気さえした。暖簾に腕押すようなものである。
「まあま、ずっと気負ってても仕方ないし。メイちゃんも、おにぎり食べよ? あ、タピオカミルクティーある! 私、ちょっと買ってくる!」
日本で一時期はやったタピオカミルクティーは、台湾発祥だ。
それはともあれ、甘味に目がない女子のように走りゆく彼女を見送り、メイドと佳人は、ただ立ち尽くした。
「まだ食うのか、あいつ」
佳人が言う。実のところ、麗人はああ見えて大食いで、佳人はこう見えて小食だった。
*
はむっ。と、一口をほおばり、咀嚼し嚥下してから、メイドは改めて歩き出す。もはや両手に女子たちを連れてはいない。その手にはいまは、飯團とタピオカミルクティーが握られているからだ。
「それで、シュウ様はいつ合流されるのですか?」
台北のランドマーク、『台北101』を見上げ、従順についてくる彼女らに問うた。
女子ばかりの部屋で寝泊まりするのに肩身が狭かったのか、かの丁年は、パリの麗人の部屋に、けっきょく一度として宿泊しなかった。何度か顔を出しはしていたが、それも、ここ半月以上は見てもいない。さきほどの佳人の言でもないが、もうガキじゃないのだ。過度に心配することもないが、ちゃんとこの地に、予定通りに合流するかは疑問にも思う。
「あたしらが知るわけないだろ。あいつ、電話に出もしねえ」
タピオカミルクティーのストローを噛みながら、佳人は言った。本当にお腹が膨れているのだろう。その内容物は、ほとんど減っていなかった。
「でも、今回WBOにアポとったの、シュウだって聞いてるよ。だから日時は把握してると思うけど」
実のところ、麗人は丁年と連絡を取っていた。丁年が言うところによると、「ハルカはうるさいからめんどくさい」そうで、連絡を取っていることも、黙っておいてほしいということだった。だから、麗人はそれを律儀に守り、人づてに聞いた、というていで話した。
「あいつのことだから、アポだけ取ってあとは人任せってのも、ありそうでムカつくな。ちっ。もし来なかったら、ぶん殴ってやる」
本気で憤慨しているのだろう。佳人は、タピオカミルクティーの入ったプラスチック容器を軽くへこませ、その内用液をストローの先から、少しだけ漏れさせた。さすがに慌てて、力を抜く。それをごまかすように、タピオカミルクティーを大きく啜る。
「ハルカ様がそのように言うのでしたら、きっと来られるでしょう。殴られたくはないでしょうから」
冗談のようなことを本気そうな目で、メイドは言った。いつの間にか飯團は食べ終え、いまはタピオカミルクティーを啜っている。
「たぶん、大丈夫だよ」
ずずず。と、最後のミルクティーを飲み干し、麗人は言った。名残惜しそうに、その、空の容器を見下ろす。
その視線は、タピオカミルクティーに向けたものではない。いま話題に上がっている、丁年へ向けたものだ。ふらふらとしているが、彼は彼で、ちゃんと今回のことを考えている。だから、ちゃんと、来る。そう思う。
それゆえに、麗人は複雑な気持ちを抱えた。
怒りは、悲しみは、本物だ。それはきっと、三つ子のみなで共通した感情である。しかし、復讐、という手段には、やはり疑問も残る。殺したいほどに憎い。それは、麗人も感じる。それでも、それが人道に反するのは、それもそれで正しい。
麗人は、極めて普通の女性である。極めて普通の、一般的な常識の、持ち主である。だから彼女は、復讐に疑問を残すし、また、多数決にも逆らえない。
三つ子のうちの、ふたりが望むことなら、抗えない。
だから彼女は、ここにいる。三人の中で、実は最も、葛藤を抱えたままで。それでも、やるべきことへ注力して。最後は、それに納得できるように。
心の安寧を、図る。まだまだ、この先も、『普通』であるために。
「あ……」
ふと、メイドが立ち止まり、呆けた声を上げた。空になったタピオカミルクティーの容器を、思わず取りこぼしている。が、そんなことにはお構いなしに、彼女は唐突に、駆け出した。
彼女が落としたゴミを拾い、麗人はその行く先を、見据える。
嬉々として駆けて行くメイドの視線には、どうやらもう、彼しか映っていない様子であった。
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