箱庭物語

776冊の『異本』を集める旅路
晴羽照尊
晴羽照尊

6th Treasure Vol.2(日本/新潟/8/2020)

公開日時: 2020年9月2日(水) 14:23
文字数:4,972

 敵意は感じられない。だが、歓迎ムードでないことだけは確かだ。


 まあ、それはそうだろう。そもそも、男が推薦したとはいえ、少女が来ることなど、相手方には伝わっていないはずなのだから。

 招かれざる客であり、アポなしの飛び入りなのだ。


「まるでわたしが来るのを知っていたような口ぶりね」


 若者は確かに言った。「やあ、来たみたいだね」と。少女は名乗るより頼むより、まずそれを指摘した。


「きみのことなど知らないね。だけど、誰かが来ることは知っていたから」


 金髪の若者は言う。回転椅子にゆったりと腰かけ、肘掛もふんだんに利用し、不遜な態度で足まで組んで、座っている。


「説明説明! ハルカが説明! シロちゃんが敷地内に侵入したことは、ハルカが一番に見つけたのだわ! えらい!」


 女児の片割れが得意げに薄い胸を張った。


「ふうん。まあ、それはいいけれど。……シロちゃんてなんなの?」


「解説解説! カナタが解説! シロちゃんは白くて可愛いからシロちゃんなのです! 白い!」


 もう一人の方も当然のように少女を『シロちゃん』と呼んだ。やはり薄い胸を張って。


「……あなたたち、その喋り方疲れない?」


 少女は呼ばれ方に関しては無視して、気になっていたことを問う。


 すると二人の女児は顔を見合わせ、少し不機嫌そうに、


「べー」「つー」「「にー」」


 と、声を重ねた。そしてそのままの不機嫌を携えたまま、小走りで部屋を出て行ってしまった。


 なにか悪いことを言ったかしら。と、少女はその後ろ姿を目で追った。その足音が聞こえなくなってから、改めて部屋に目を戻す。


 金髪の若者は変わらずの姿勢で、だが、視線を逸らしていた。その先を辿ると、一人の幼年。おそらくさきほどの二人の女児と同じくらいの年齢の男の子だ。


「……じゃあ、俺も出てくる」


 すると、気まずそうに幼年は言った。気を遣ってくれたのかもしれないし、ただ単純に、この場に居づらくなったのかもしれなかった。


「へえ、きみはいいのかい?」


「なにが?」


「さてね」


 それから若者と幼年は少しの間見つめ合ったが、やがて、幼年の方が目を逸らし、そのまま無言で出て行ってしまった。なんだったのだろう?


「やれやれ、ませてるね、シュウは」


 言って、若者は肩をすくめた。その動作も作られたように気障ったらしいから、目に余る。


        *


 三人の子どもたちが去ると、若者は椅子を回転させ、書き物に戻ってしまった。少女などいないかのような振る舞いである。


「あの、それで、わたし――」


「悪いけど、そこの戸、締めてくれるかい」


 少女の言葉を遮って、若者は言った。少女は振り向く。そういえばあの幼年、扉を閉めずに行ってしまったようだ。少女は言われるまま、扉を閉める。


「あの、それで――」


「やめておいた方がいい」


 若者はまたも遮って、そう言った。書き物をする手を止める。

 わずかに息を吐き、肩を落とした。考えているのか、間を溜める。いや、もしかしたら、それで言葉は終わりなのかもしれない。


「きみは、生かされているだけだ」


「そうね。わたしは、ハクに出会って、救われて。ハクに生かされているだけ」


「そうじゃない」


 若者は大仰に息を吐いて、椅子を回転させた。肩肘をつき、少女を見下すように、見る。


「きみはなぜ、ここに来た」


「だから、あなたに『異本』のことを教えてほしくて」


「どうして? きみが『異本』のことを知って、どうするというんだい?」


「これを、……使えるようになりたいの」


 少女はリュックから一冊の本を取り出す。製本されていない、紙の束。『シェヘラザードの歌』を。

 取り出した瞬間、若者が、彼にしては珍しく俊敏な動作で、それを奪い取った。


「……そうやすやすと取り出さない方がいい。……もしかしたら勘違いをしているのかもしれないが、ぼくはきみの味方でなければ、ハクの味方ですらない」


 そう言って、若者は『シェヘラザードの歌』を少女に返した。


「あいつにどう言われたか知らないけれど、ぼくに師事したところで、きみがそれを扱えるようになるとは限らないよ。また、べつにぼくのところに来なくても、きみはそれを、扱えるようになれるのかもしれない」


「ハクは、自分の知っている限り、あなたが一番『異本』に詳しいと言っていたわ」


「あいつがぼくのなにを知っているというんだ。……きみのことが邪魔になったから、ぼくに押し付けただけじゃないのかい?」


 若者がそう言うと、少女は怒ったような、悲しむような、微妙な表情をした。

 だが、その心は、本人が意外に思うほど揺れなかった。信頼、とは違う。理屈はうまくつけられなかったが、少女の心は、そのように受容した。


「仮に邪魔になっても、ハクはわたしを見捨てないわ。だって、わたしの頭の中には、『異本』が収まっているのだもの」


「……きみは、頭が弱いね。だからそういうことを、おいそれと吹聴するものではないと忠告している」


「だけどあなたは、それを知ってもどうこうするつもりがないようだわ。ご親切に忠告までしてくれる。だからわたしは、あなたを信じる」


『シェヘラザードの歌』を使えるように、わたしに教えてください。少女は素直に、頭を下げた。


        *


 健気な少女を見て、若者はまた、ため息をついた。


 と、そのとき、少女の後ろの戸が開く。


「……ジン、『天振てんしん』の様子だけど」


 少女がわずかに顔を上げて見るに、入ってきたのはあの幽霊のような少年だった。彼は怪訝そうに少女を見たが、特になにも言わず、若者へと話しかける。


「特段目立った動きはないよ。1~2を行ったり来たり」


「そう、解ったよ。ありがとう、ヤフユ」


 若者はわずかに頭を抱えている様子だったが、ただ単に格好をつけているだけのようにも見えなくはない。

 そんな若者の様子にも疑問を抱いた風の少年の表情だったが、余計なことを言わないタイプなのだろうか? なにも言わず、そそくさと去って行った。少年は行儀よく、扉を閉めて出て行く。


 若者は「ふう」と声に出して息を吐き、姿勢を正した。


「きみは、それを使えるようになって、どうしたい? 使えるようになったからといって、なにが変わる?」


「ハクの助けになりたいの。いまのわたしは――」


 頭の中の『シェヘラザードの遺言』を使えないから。という言葉を飲み込んだ。忠告も、三度目となると呆れられるだろう。


「……非力だから」


 自分で言って、自分で落ち込んだ。メイドのようにいろんなことをそつなくこなせれば、幼女のようにすごい力があれば、そんなことを考えてしまう。


 こんなに力が欲しいと思ったことは、いまだかつてなかった。


「きみは力というものについても、『異本』についても、ぼくとは認識のズレたところがあるみたいだ。力があればあいつの助けになれる、『異本』を扱えれば力が得られる。どうしてそういう思考になるのか、ぼくには理解しがたいな。……他にも、ぼくときみの思考には多々ズレがあるが、もういい。どうやらぼくたちは解り合えないらしいからね」


 言うと、若者は椅子を回転させ、物書きに戻ってしまった。

 少女は落胆しかけたが、若者は背を向けたまま、すぐに言葉を発した。


「そうそう、さっきはあんなことを言ったけれど、本当はなにもないってわけでもないんだよ」


 その言葉だけでは、少女は若者がなにを言っているのか解らなかった。


「本だけは、山のようにある。ここに留まるというのなら、好きに読めばいい」


 本は、何者も拒まないからね。若者にしては珍しく、上機嫌に弾んだ口調で、そう言った。


        *


 もうこれ以上は話しかけるな。という雰囲気を感じ取って、少女はその部屋を後にした。少なくとも、ここに留まることは容認されたらしい。ならば、若者からも、山のようにあるという本からも、きっとなにかを学ぶことはできるだろう。そう、少女は期待した。


「あっ」


 扉を開けた瞬間、つい声が漏れた。そこには少年が立っていたのだ。


「えっと……ヤフユくん、だったかしら?」


「呼び捨てで構わないよ。そう変わらない年頃だろうからね」


「わたしはノラ。ノラ・ヴィートエントゥーセン」


「そう。じゃあ、シロでいいかな」


「なんでそうなるの?」


「……みんなもう、そう呼んでいるからね」


 なにか釈然としなかったが、少女は強く訂正する気にもなれなかった。少なくとも、あの二人の女児に呼ばれるのとは違い、目の前の少年に呼ばれるなら悪くはない。気がした。やはり少年の特徴的な声が琴線に触れているのだろうか?


「荷物を預かるよ。まずは、第一の書庫に案内しよう。休む部屋は、たくさん空いているから、好きに使えばいい」


「え? ……あ、うん」


 なんだろう? わたしはもう、ここで本を読む流れになっているのだろうか? 少女は疑問を持ったが、とりあえず成り行きに任せてみることにした。


 また、ダンジョンのような廊下を進む。途中で台所やトイレなどを案内され、第一の書庫とやらに向かう。少年の歩みは淀みなく、しかし、少女の着いて行きやすい速度に保たれていた。気遣ってくれているのか、たまたまなのかは解らなかったが。


の書庫って言ったわよね。つまり、いくつも書庫があるの?」


「本が多くて、一部屋じゃ足りなくてね。いまは、十一番目の書庫が埋まりかけている」


 考えるだに果てしない。一部屋がどれくらいの大きさで、どれだけの本を貯蔵しているか知らないが、本当に山のように本があるらしい。


「着いたよ。ここが、第一の書庫」


「ありがとう。ヤフユ」


 少女は門扉を確認する前に礼を言った。少年がまた、消えてしまわないうちに。


        *


 扉を開けると、眩暈がした。


 小さめの図書館くらいある。左右に整然と並ぶ本棚。見上げると、二階――というか、中二階がある。ところどころから梯子で登れるようだが、当然、中二階にも大量の本棚がそびえていた。


「……こんなのが十一部屋もあるの?」


「ここは特別蔵書量が多いけれど、他の部屋もそこそこ広いね」


 少年はまだそこにいた。隣にいて、一緒に中二階を見上げている。その横顔は、どこか楽しそうだ。


「ヤフユは、本が好きなのね」


 少女が言うと、少年は驚いたように、少女を見た。


「いや、……まだ、好きじゃない」


 不思議な言い回しで、少年は言った。


        *


 呆けていても仕方がない。少女は気合いを入れて、まずは書庫を歩いてみることにした。


 左右に本棚を眺める。頭がクラクラするような蔵書量。背表紙の文字が攻撃的に目に飛び込んでくる。だから少女は気後れして、目を泳がせる。


「……こんなの全部読んでたら、人生がいくつあっても足りないわ」


「そんなことは誰しもが解っていることだよ。だから、わたしたちは選び取るんだ」


 言って、少年は一冊の本を手に取る。ぱらぱらとめくり、すぐに閉じる。選び取らなかったのだろう、本棚に戻した。


 少女も真似て、適当な一冊を引き出してみる。わずかに埃の匂いがする。積もっているようには見えないが、軽く息を吹きかけたら、かすかに埃が舞った。


 中身を検分する。普通の小説のようだ。その物語は、日本を舞台に描かれているにも関わらず、登場人物の名がカタカナ表記だった。たったそれだけのことで、少女の気持ちが冷める。なんとなく、読みたくない。そう感じた。


 ため息をついて、本を閉じ、元に戻す。選び取ると言っても、どう選べばいいのか解らない。


 そういえば、これまで『シェヘラザードの遺言』は何度も読んできたけれど、他の本はほとんど読んだ覚えがない。そう、少女は自分の人生を思い起こした。自分の人生には、さほど本との関わりがなかったと言っていい。


「選び取る、基準みたいなものってあるのかしら」


 少女は言った。ひとり言のようでもあったが、少女自身、少年がなにかを答えてくれればいいなと期待した言葉だった。


「あるのだとは思うよ。ただ、それは人によって違う。あなたの求める本は、あなたにしか解らない」


 誰にでも言えるし、誰に対してだって言える、ふわふわした言葉だった。だが、少年の声がいいからだろうか? その言葉は明瞭に、少女に基準を与えた。


 そうすると不思議なことに、タイトルを見るまでもなく、読むべき本が見つかるものだ。


「これって……」


 少女は数多ある本の中から、一瞬でそのタイトルを見つけ出した。


「『シェヘラザードの物語』……」


 綺麗に製本されたその本を手に取り、少女は胸が高鳴る。


 表紙を撫でる。そこにはわずかに、熱がこもっているようにも感じた。



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