第二ゲーム。挑戦者はメイド。
ここがこの『試練』の明暗を分ける。……はずだったのだが。
「申し訳ございません。敗北致しました」
相変わらずのうやうやしさで、特段申し訳なくもなさそうに、また、彼女自身悔しくもなさそうに帰ってきた。たったの一勝負で敗北して。
「どうしたのだわ!? メイちゃん!?」
驚愕する女児。
そして、それほど態度に出るわけではないが、若者も驚いていた。
いくら運が大きく左右するゲームだとはいえ、いやにあっさり負けすぎている。しかも、自分が負ければこの『試練』自体、勝利するのが困難になると解っていながら。それは彼女の優秀さを考えると、どこか腑に落ちない感情を、女児や若者に与えた。
「意外と使えないものだね。わざわざこのぼくの手を煩わせるとは」
とりあえず皮肉を言っておく。別段どうでもいい。負けるなら負けるで、帰ることができるし、たった一勝負で負けてくれたのも時間の短縮だ。どうでもいいというよりむしろ、若者にとって都合がいい。……いや、よすぎる。
「申し訳ございません、ジン様」
さらに深々と頭を下げるメイド。まるで相手の腹底まで覗き込むような、達観した煽りだ。
「まあいい。さっさと終わらせて、帰るとしようか」
若者は言って、最後のゲームへと歩を進める。
眉根を寄せた乙女と目が合った。
*
最終ゲーム。挑戦者は若者、ジン。
「さあ、とっとと始めて、とっとと終わらそう。卑弥呼」
席に着くなり、諸手を広げて、若者は言った。
「……勝つ気もない者と手合せする、こちらの身にもなってほしいが――」
乙女は言いながらも手を叩き、札を混ぜ合わせた。卓の中央に、『山札』が置かれる。
「……まあよい。始めよう」
少しだけ目を光らせる。
「後手だ」
淡白に若者は笑い、宣言する。そして、『山札』の一番上の一枚を脇に降ろし、さらにもう一枚、最上の一枚を、先に降ろした札の上に重ねた。最後に、残りの『山札』をすべてまとめて、その上から重ねる。
不可思議な動作だが、若者なりのシャッフルだろう。乙女が言った、如何様対策のシャッフル。
それが終わるのを見届け、先手である乙女が札を引いた。若者もそれに続く。
「どうせなら有意義に過ごしたいものだ。……卑弥呼。きみのことを聞きたい」
若者はつまらなそうに『手札』を見ながら、言った。その手札は『五』と『八』。ちなみに最初に引いた札が『八』だ。
「……なんだ? 我に興味があるのか? 言っておくが我は西洋人に興味などない。その高い鼻っ柱を、へし折ってやりたいくらいだ」
本気か冗談か解らない変化のなさで、淡々と乙女は言った。言いつつ、『中札』を出す。それは『三』であった。そして『山札』から一枚、札を補充。
「なにもしていないのに嫌われているものだね。西洋人に恨みでもあるのかい?」
若者も相変わらずの素っ気なさで、どうでもよさそうに言った。言いつつ、『中札』を出す。『手札』の片側が『八』であるので当然と、出すのは『五』だ。どうやら勝つ気がなくとも、わざと負ける気でもないらしい。
その後、『手札』を補充する。それは『七』だった。
「……否。……ただ我は、倭の国に生まれたことを誇りに思っておる。それだけだ」
鼻を鳴らし息を吐き、吐き捨てるように乙女は言った。そして『端札』を裏向きに出す。
「なるほど」
小さく言い、若者も『端札』を出す。もちろん裏向きだが、それは『八』であった。
そして、『端札』を置き、若者は動きを止めた。正確には、『端札』を置き、そのまま、『端札』の上に手を置いたまま、止まった。
「正しい史実が伝わらないというのは、存外、気が滅入るもののようだ」
ぼそり。と、若者が言う。
「……なんだと?」
耳聡く、乙女はそれを拾った。
*
「ここで、約束をしないか?」
若者が、今度ははっきりと、そう言った。
「……言ってみろ」
さきほどの一言はなかったもののように、会話は成立した。
「この勝負。賭け金を二枚以上にして欲しい」
「……つまり、どちらかが一度目と二度目の勝負を連勝した場合、それだけで決着が着くようにしたいと、そういう意味だな」
聡い言葉に、若者は薄ら笑み、頷いた。
「……仮にそれを了承したとして、我になにか利点があるのか?」
「きみにとって利点となるかは解らないけれど、この勝負、ぼくは一度目の勝負の結果いかんに関わらず、二度目の勝負を行おう」
その言葉に、乙女は静かに目を閉じ、考え込んだようだった。
このゲーム、『一八巡り』は、読者諸賢お気付きの通り、一度目よりも二度目の勝負の方が圧倒的に重要だ。そのうえ、二度目の勝負時にはかなり多くの札が公開されており、自身が二度目の勝負において、勝てるか否か、それを判断するのは容易である。そこそこ多くの場合において、確実に勝てるor負けるということを知ることすら、できる場合が割とあり得る。
だから、二度目の勝負を行うか否か、先手であれば、それを受けるか否か。この選択が重要なのだ。その選択権を放棄するとは、勝つ気がないとしか思えない。……いや、実際その通りなのだろうが。
「……いいだろう。おもしろい。……そちの策に嵌ってみよう」
逆に、一度目の勝負においては、まだまだ情報が足りなすぎる。もちろん、賭けの段階に入った時点で、本来なら、自分自身が『役』を完成させているかどうかは確実に解る。『山札』は開かれており、自身の『端札』は知っているのだから。
しかし、それでも、相手の『役』が完成しているかどうかはそうそう解らない。もちろん、自身の『手札』やその他、場の札次第でははっきりと解ることもあるが、それでも、相手の『役』の完成まで予測できるのは、せいぜい二回に一回だ。
確率的には、一度目の勝負で札を読むより、二度目の勝負で札を読むほうが容易だ。言い換えれば、一度目の勝負の方が運要素が高い。どちらにしても運次第なら、賭け金の制限くらい受け入れても、相手の方が利益は少ないはず。
乙女は堅実に、そう判断した。そしてなにより、そんな状況で若者が、どういう策を巡らしたのかに興味があった。
そうして乙女は、早々と二枚の硬貨を場に出した。まだ『山札』が開かれる、その前に。
「では、一度目の勝負といこうか」
若者も笑い、硬貨を出す。出してから、『山札』を開いた。
*
開かれた『山札』は『一』であった。この時点で、若者の『役』は完成となる。まだ『端札』は伏せられたままなので、その事実に乙女は気付いていないはずであるが。
「ぼくは生まれつき、運が悪くてね」
わずかに片眉を持ち上げた乙女を見て、若者は言う。
「そういえばチュートリアルのときも、初手は『一』と『八』だったな」
若者は思い出したかのように言った。
その仕草に、乙女も思い出す。この勝負の開始時、若者が行ったシャッフルを。あの不可思議な混ぜ合わせ。ここに現れた『山札』は若者のシャッフルがなかった場合、若者が最初に引いたはずの一枚だ。
「さて、どうする? こここそが本来の賭けの時間だ。これ以上賭け金を上乗せするなら、するといい」
若者は乙女を見て、笑み、言った。
「……いや、この枚数でいい」
乙女は言い、率先して『端札』を開く。それは『二』であり、乙女は『役』の、未完成を示した。
「きみもたいがい運が悪い。……だが少しは救われただろう。運の悪さだけなら、ぼくの方が上だったみたいだ」
言って、若者も『端札』を開く。当然と『役』は成り、一度目の勝負、若者が勝利した。
*
さて、この段階で、若者から見て右から、若者の『端札』である『八』、『中札』である『五』、『山札』の『一』、乙女の『中札』である『三』、『端札』である『二』。こういう並びとなった。残りの札は、『四』、『六』、『七』。若者の『手札』が『七』であるので、最後の『山札』が『四』であれば、二度目の勝負、若者の『役』は完成する。『山札』が『六』なら、『役』の未完成だ。まだ、確実に勝てるかは解らない。
しかし、乙女の『手札』と最後の『山札』。これはそれぞれ、『四』と『六』であるのは確定なので、その間に、乙女の『中札』である『三』は含まれない。つまり、確実に乙女は『役』が完成しない。
「では、二度目の勝負といこう」
そこまでしっかりと把握し、若者は約束通り、二度目の勝負に移行する。これに勝利すれば――つまり、若者の『役』が完成すれば、一気に『試練』の突破となる。
あとは野と成れ山と成れ。勝負の行く先は、神のみぞ知る。
「では、……勝負だ」
若者が言い、『山札』をひっくり返す。これが『四』なら、若者の勝利。『六』ならゲームの続行だ。
開かれる寸前、乙女は寄せた眉根を解き、安らかに一度、嘆息した。
「……我の、敗北である」
場を見もせず、乙女は言う。
そして、その言の通り、開かれた『山札』は、『四』だった。
*
「……見事。……とでも言っておけばよいのか? 確かに、最後まで我も騙されたが。よもや、勝つ気がないということ自体がはったりだったとは」
とはいえ、心底どうでもよさそうに伏せ目で、乙女は言った。
「いや、うちの使用人には気付かれていたようだから、誇れる演技でもなかったようだ。きみももう少しぼくを観察すれば気付いていただろう。だから、最初の勝負で勝てなければ、どうなっていたか解らない」
しかして、そのような綱渡りをやってのけたとは思えぬ気軽さで、若者は気障に肩をすくめた。
「メイちゃんは気付いていたのですか?」
そんな対戦者の後ろ、女児がメイドに、小さく耳打ちした。
「気付いていた……とは言い難いですけれど。ただ、私は信じただけです。ジン様が、私のことをいくばくかは理解してくださっていると。私のことを、あの程度の言葉で追い詰められるはずがない……ということくらい、ジン様ならお解りのはず、と。そう思ってから、ジン様の行動への見方を変えた。それだけのことです」
まず、初戦を女児にやらせる。女児はその段階ではまだ、ルールも攻略法もさほど理解していないだろう。それを差し引いても、最年少の女児には、二番手三番手などのプレッシャーを与えるよりかはまだ、一番手の方が気軽に、のびのびとプレイさせることができる。
二番手はメイド。彼女へのプレッシャーを与えるような言葉も、どうせさほどの効果は及ぼさないだろう。それを理解したうえで、若者はブラフを張った。何度でも「勝つ気がないこと」を明言して、さもそれが本当であるかのように。
そして、三番手に若者が挑戦する。これまでの二戦でのデータを有効活用し、可能な限り勝率を上げた。まだ勝つ気がないことを乙女に印象付けしつつ、それを利用して、相手を油断させた。
いや、油断ではない。乙女はその程度で油断などしていなかった。ただ、視野が狭くさせられていただけだ。若者からの賭け金の提案。その意味を履き違えさせ、提案を受け入れやすくさせた。
そんなことをしなくても、乙女は提案を受け入れたかもしれない。いや、どちらかというと乙女に利が多い提案だ。受け入れた可能性はもとより高かったろう。その上、その提案が通ったとて、うまく勝負に勝てるかどうかはどちらにしても、運次第だった。
だから、結局は運次第だ。しかし、だからこそ、勝ったときは格好いい。それが若者の美学である。
「ぼくは本当に運が悪くてね。その中でも特段に最悪なのが、あんな姉のもと、ずっと生活してきたことだ。あいつは、言い出したら聞かない。目的の達成に必要な才能自体がぼくらに備わっていないことそのものを、そもそも許さない。だから、負けたときの言い訳も通じないし、……ぼくらは、勝つしかなかったんだ」
乙女に語るような視線で、しかし、乙女には解るはずのないことを、若者は言った。嘆息して、だけどどこか、楽しそうに。誰かを誇りにするかのように、語った。
「……どうやら、そちも苦労しているようだ」
乙女はぼそりと小さく言った。それに若者が言葉を発する前に、続ける。
「……では、とっとと送ってしまおう」
言って、諸手を面倒そうに持ち上げ、叩く。
すると、乙女の背後に流れる滝が、二つに割れた。
*
若者を地下世界へ。女児とメイドをもとの世界へ。乙女は送り、一息つく。なにやら若者が去り際に、メイドへなにかを耳打ちしたようだが、それは、この時間座標ではまだ、さしたる影響もない別の物語だ。
乙女は諸手を上げ、打ち鳴らす。すると、ふわりと椅子ごと少し空へ浮き、半回転。乙女は背を向けていた滝へ、正面から向き合った。
「……これでよいのだろう?」
滝へ――ではなく、そこにいるであろう彼へ、乙女は言った。
「うん。ありがとう、卑弥呼。すまなかったね、如何様までさせて」
その者はいつからいたのか、いつの間にか乙女の背後に立ち、彼女の頭を撫でながら、答えた。
「……仕方あるまい。我々の『運』に人の子が勝つには、それほどの施しがなくては」
不機嫌に頭を振り、その者の手を振り払ってから、乙女は言った。
「理解してくれて助かるよ」
その者は乙女の座る椅子の背もたれに、振り払われた腕を乗せ、やや前傾し、彼女の頭部に向けて、言った。まだ撫で足りないと抗議するように。
「……次はどこだ?」
乙女が問う。
「ん……。まあいろいろ考えてはいるんだけど、ちょっとまだ決まってなくてね。もう少しここで待っていてくれるかい?」
苦笑いを浮かべて、その者は言った。
「……好きにしろ」
乙女が言うと、その空間には、すでに何者もいなくなっていた。相変わらず、自由なやつだ。乙女はそう思い、自身の運の悪さを痛感した。
「……まったく『――』になど、なるものではないな」
独り言つ。その言葉の一部は、強めの風にかき消され、もはや誰にも聞こえなかった。
その風に乗って、八枚の札が飛ぶ。行き先も、解らぬままに。
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