ぼくの中のあの娘。

〜ぼくが自殺をした後で〜
篠宮 亜希
篠宮 亜希

葉子の存在。

公開日時: 2020年9月15日(火) 19:05
文字数:3,893



 葉子が、それまで口に出さなかった家族のことを言ったのは、事故から一ヶ月たったある日のことだった。 

 会いたい。 

 そう、ぽつりと。 

 ぼくは、そのときはじめて、葉子が、葉子の人生が現実のものとして、感じた。感じられた。 

 それまでのぼくは、葉子をひとりの人間として、意識していなかったのかも知れない。葉子がどんな気持ちでいるのかなんて、思いやってあげるだけの余裕がなかった、のだ。 

 ――会いに行こう、葉子 

 ぼくは反射的に、そう言っていた。 

「この身体で、どんな顔して会えっていうの!」 

 ――どんなって……、顔を見るだけでも、いいじゃない 

「会ったら、会ったら、あたし……。なにもかも、言っちゃうかも、知れない……でも」 

 ――葉子が、言いたいなら、それでも…… 

「浅田葉子は死んだのよ! いまのあたしは……少なくともあの人たちの娘の葉子じゃない……。この身体の、どこをとったって、あの人たちの血は一滴だって流れていない……。ううん、違う……。信じてもらえなかったときが、受け入れて貰えなかったときが、怖いの、悲しいの、そう……」 

 葉子はこの一カ月、きわめて明るく振る舞っていた、けれど……。ぼくは女ってのは……、なんて考えていたけど……。ほんとはこんなに悲しい気持ちを、隠し持っていたんだ……。そう考えると、葉子がかわいそうに、思えて。なにも言えなかった。 

 ぼくの、そんな気持ちが通じたみたいで、しばらくして、 

「ごめん、直くん。ありがとう。あたし、会いに行く。あたしを殺した犯人ってのを、確かめてやる、わ」  

 そう言って、葉子が笑った、のが判った。 


 ――葉子のお母さんの話をまとめると―― ぼくはそう、葉子に語りかけた。 

 問題の車の所有者は、当日タクシーで会社の宴会に出掛けていて、帰ってきたのは午前二時。これは裏付けも取れている、と。 

 この人は、車のキーをいつも二つ持ち歩いていて、たまにひとつ、車の中に忘れることがあった。この日も車に置き忘れていて、それで盗まれたんだ、と主張しているらしい。 

 まあ、ドアだけだったら、キーなしでも開けられないこともない。エンジンの直結なんてしてたら、だれかに見とがめられる危険もあるだろうし……。犯人は、キーが車内にあるのを知って――フロントガラス越しにでも――これ幸いに、と、犯行に及んだと考えられる。もしくは、普段からよくキーが置き忘れていることを知っていたか、だ。 

 車は翌日近所の空き地に乗り捨てられている処を本人が見つけて、どこかにぶつけた後があったから警察に届けた。で、すぐに葉子の轢き逃げに使われた車だって判ったのだけれど。 

 警察は、たまたまこの車を盗んだ犯人が葉子を撥ねてしまって、怖くなって乗り捨てた、という線がひとつ――この場合は免許も持ってないような未成年のいたずら、ということなんだろうけど――あと、一応、可能性は低いとしても、葉子に対する恨みからの計画的犯行、の線で、捜査を進めているらしい。 

 ただ、一向に進展していない、ということだ。 

「あたし、人から恨まれるような覚え、ない」 

 ――警察もそこの処が、判らないんだろうね。 

「だけど、そんな、偶然ってのも、すごく癪にさわるし……」 

 ――手掛かりもないらしいし、指紋ひとつ、残してなかったって、言うから…… 

 それも、指紋どころか髪の毛一本、遺留品といえるものは何一つ、残っていなかったという。指紋にいたっては、後で拭き消したのではなくあらかじめ手袋をしていたのだろう、という程の念の入れようだったのだ。 

 しかし車を盗んで乗り回す、などという迂闊な犯人が、そこまでするものだろうか。だいたい所有者本人がすぐに気がつけば、現行犯で逮捕される危険もあったのだ。それでなくともそんな犯人が法規を守って運転するとは思えない。 

 当然、違反で捕まることだってある。そうすれば盗難車であることは判るだろう。そんなとき、あらかじめ手袋をしていたってどうしょうもない。 

 これほど迂闊、としかいえない犯罪を行った犯人が、こうまで用意周到な遺留品隠しを行った、という事が、逆に、その犯行の計画性を示していたのだ。 

 警察ではその点で、怨恨による計画的な犯罪という線を捨てきれずにいるのだろう。まあ、物理的に無理な部分も多いのではあるが。 

「学校、行ってみようかな……」 

 ――え? 

「あたしの、葉子の通ってた学校。あけみに会って話をすれば、もしかしたらなんか、判るかも……。あたしが知らないうちに、あたしを恨んでいる人がいたかもって、あんまり気持ちのいいもんじゃないから……。もしほんとに、そんな人がいるんなら、知っておきたいし……」 

 ――学校って、女子校だろ。どうやって潜り込むのさ。それに…… 

 ぼくは、悪い予感がして……。女子校は、避けたい。 

 ――あけみさんに会うのなら、なにも学校じゃなくっても…… 

「だめよ。あけみの家、なかなか厳しいの。おじいさんがね、男からの電話はみんな切っちゃって……、取り次いでもくれないわ」 

 ――じゃあ、どっかで待ち伏せるとか 

「怪しまれて、まともに話なんか聞いて貰えないわよ」 

 ――それなら学校に潜り込んだって、一緒じゃない? 

「あのね、学校に潜り込むったって、泥棒さんのまね事をするわけじゃないんだから。堂々と生徒の振りして行くのよ。同じ生徒同志なら、そんなに怪しまずに話を聞いてくれるでしょ」 

 ――どうやって? 女子校だろ 

「ばかね。女の子の振りして行くに決まってるじゃない」 

 …………。 

「大丈夫だって。うちの学校、私服だし、大学もついてるマンモス校だから、紛れ込んだってばれやしないって」 

 ――そういう問題じゃ、ない 

「あはは、女の子のカッコするのがやなんだ。もう、そんな大したことじゃないじゃない。それに直くんならちゃんと女の子になれるよ。華奢だし、顔もすべすべだし、声変わりだってしたのか分からないぐらいだもん」 

 ――わるかったな、男らしくなくって 

「それがいいんじゃない。でもまあ、女物の服とか、揃えないとまずいけどね」 

 ――いやだぞ。女物なんか買う処、もし誰かに見られたら…… 

「そっか。そういうコトね。ようは直くんだってわかんなきゃいいんでしょ。まっかせなさい」 

 そう言って、葉子は胸をトンと叩いて。 

 もう。なんてこった。 


 翌日。 

 ぼくは学校をサボって、それも両親や亜紀にばれないよう途中から引き返してきて、家にいた。 

「今が九時だから……お店の開く十時には行かなくちゃね。時間がもったいないもんね」 

 葉子は何故か、はしゃいでいる。 

 厚手のチェックのシャツにスリムのジーンズを履いて、亜紀の白のジャケットを羽織って。前髪を後ろに流しておでこをだして、これまた亜紀のカチューシャをつけてそこから数本の前髪が垂れるようにして。極めつきは色つきリップにサングラス。 

「これで直くんだって、判らないよ」 

 鏡を見ながら、葉子がそう言った。 

 まあ、確かに、ぼくだとは、判らないかも知れない……。これじゃあ、ほんと、女の子、だろうな。 

 ――これなら、なにも、買い物に行かなくても…… 

 このままでも充分じゃないか? 

「なに言ってんの。いくら私服可だからって、サングラスしてていいわけないじゃん。サングラスなしじゃ、このカッコで長時間だまし続ける自信ないよ。それに亜紀ちゃん帰ってきたらどうすんの。まさか、女装するために借りました、なんてこと、言うわけにいかないでしょう」 

 ――確かに…… 

「やっぱりね、体の線が決め手よ。胸が少しぐらいあれば、女の子に見えるわよ」 

 ……じゃ、あ、ブ、ブ、ブラジャー、も、か、買うのか? 

「当たり前じゃない。あと、ヘアピースかウイッグも、ね。ばれたくないでしょ、直くん」 

 ――そりゃあ…… 

「じゃあぐだぐだ言わない。わかった?」 

 …………。 

 ぼくはもう、なにも口出すことができなかった。 


「やっぱり男の子ねえ。75じゃあアンダー少しきつかったかな」とブラジャーをとめながら葉子。一緒に買って来たストッキングをまるめて詰めて、女の子の胸のできあがり。 

 さすがに試着するわけにもいかず、「これぐらいでいいかなあ」とか言いながら、適当に75のBって表示してあるのを選んできた。「もとの身体は65で充分だったのになあ」って、愚痴をこぼして。 黒のミニスカートを買ったときには、さすがに、 

 ――ミニスカートかよー 

 とちょっと非難をこめて、口に、というか、心に出していた。でも、 

「あのね、直くん。普通のストッキングだったら、さすがに男の足だってばれるよ。すね毛を完璧に脱毛していいならべつだけど。厚めの黒のタイツならそんな足も隠せるし、ちょっとゴツゴツした膝も丸みを持ったように見えるってもの、よ。で、タイツを履くなら、やっぱりミニの方がかっこいいじゃない」 

 と、言いくるめられて。 

 ――で、でも、あ、あれ、どうすんだよ 

 男の証し、は、隠せないじゃないか。 

「そんな大したもんじゃない、でしょ。こんなのガードル二枚履きで充分よ」 

 と。傷ついた。思いっきり。 

 着替えがすんだのは、もう十二時をまわった頃だった。 

「お昼休みには、もう間に合わないわね。ちょっと作戦変更、かな」 

 そう言いながら鏡の前に立つその姿は……。 

 ストレートのロングヘアーに白のブラウス、黒のミニスカート。胸元にはやっぱり黒のタンクトップが透けて見えて、ちょっぴりかわいらしい膨らみがわかる。唇はほんのりピンク色で、どこからみてもコケティッシュな美少女だった。 

 顔もおもいっきりニコニコ、笑顔が浮かんでいて。とてもうれしそうで。 

(これは……葉子なんだな。ぼくじゃなくって) 

 ぼくには、こんな表情はできない。ほんとに、ここにいるのは女の子の葉子、なんだ。 

 そう、素直に思えた。 


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