ぼくの中のあの娘。

〜ぼくが自殺をした後で〜
篠宮 亜希
篠宮 亜希

学校へ。

公開日時: 2020年9月17日(木) 21:38
文字数:3,936



 清新女子大学付属高等学校。 

 わりあい自然に囲まれた田園風景の中に真っ白な建物が幾つも並んでいる。 

 大学も短大も高校までも、一緒くたに一つのキャンバスに押し込んである。 

 マンモス校だ、と葉子が言うのも判る気がする。 

 ほんと、建物はすべて白が基調で、結構きれいだった。 

 いま、昼時はとっくにすんだ筈なのに、大勢人が歩いている。あちらこちら、おのおの違う目的で。 

 ――これなら、ばれない、ってのも判るな…… 

 ぼくは思わず、そう葉子に言っていた。 

 たぶん大学生ばっかりだろうけど、誰も他人のことなんかに興味が無いみたいだ。 

「で、しょう。まあ高等部はね、ちょっと注意がいるんだけどさ」 

 葉子はけらけら笑いながら、正面から向かって左奥にある建物を目指している。あれが高等部なのだろう。さすがにこっちの方に歩いている人は少なかった。 

 時計を見る。 

「そろそろ、五時限目がおわるから……。ちょうどいいかな」 

 ――どうするつもりなの? 

 それを聞いていなかった。昼休みじゃないのだから、そんなに時間はない、筈。そんな短い時間でどうしようっていうんだろう。 

「うん。しょうがないから放課後呼び出すの」 

 ――じゃあ放課後に行けばいいんじゃあ 

「部活に行っちゃったりして、すれ違ったらいやでしょう。万全を期すの」 

 葉子はそう言って、なにか、建物全体を懐かしむような、そんな目で見ながら、それでも極めて堂々と、高等部の入り口から入って行った。 

 これは……。結局家が厳しい、とか、怪しまれる、とかいうのは、やっぱりただの口実なんだろうな。葉子は、何だかんだ言って、ここに、学校に来たかったんだ。で、こんな格好をしたのも、女の子の自分が懐かしくて、だろう、たぶん。 

 そう思い当たってみると、なんだか優しい気分になれた。 

 いつも、家でも学校でも、ぼく、倉本直紀にならなければいけなかった葉子。 

 今日、いや、この格好をしている時だけでも、本当に女の子の葉子に戻してあげよう。少なくとも、葉子の好きなようにさせてあげよう。そう思った。 


 階段を上がって三階に、二年生の教室があった。このあたりはあんまりうちの学校と変わらない。正直言って、ちょっと安心していた。女子校って言っても、そんな大して違わないって。まあ、建物が同じようだっていうのは、べつに当たり前のことなのかも知れないけど、さ。 

 葉子は目当ての教室までやって来たようだ。入り口から、中を覗いて。 

 教室の中はざわざわと落ち着きの無い様子だった。もう少しおとなしい様子を想像していたけど、そんなことない、ごく普通の学校風景だ。 

 葉子が入り口近くにいた女生徒に、「牧野さん、呼んでほしいんだけど」と声を掛けた。牧野あけみって名前なんだ、って、あらためて納得していた。 

 すぐ、ちょっと不思議そうな顔をした娘が、こちらに近づいて来た。あけみさんだろう。 

「あの……、用事って……?」 

 そう彼女が聞いてきた。 

「浅田葉子さんの事で話があるの。放課後シャルルで待ってるわ」 

 葉子はそれだけ言うと、きょとんとしているあけみさんを残して、元来た道を戻って行った。 

 ――あれだけ? 

 ぼくは少し非難めいたニュアンスをこめて、そう言った。 

「大丈夫だって。あけみは絶対来るから」 

 葉子はそう、さらっと言ってのけた。 


 高等部の建物を出て、建物ぞいの小道に沿って歩きながら、葉子がいろいろ説明してくれた。 

 敷地の中央にあるそこだけオレンジ色のレンガ造りの建物は、図書館。この学園内の人間なら誰でも自由に利用できるらしい。もっとも学生証が身分証になっていて、入館の際にチェックされるから、迂闊に入れないってことだ。 

 高等部と短大の間にあるのが第二食堂。学食は全部で三つあって、どこで食べてもいいことになっている。まあ、高等部の子はあんまり時間がないこともあって、この近場の第二食堂ですませるか、購買のパンもしくはお弁当の線がほとんど、という。ぼくにしてみれば学食があるだけでも羨ましいことだ、と思うけどね。やっぱり私立は違う、って改めて感心してしまった。 

 短大の向こうにはでっかい体育館が見えた。葉子の話ではこっちは大学生用で、高校用は高等部の裏手にあるそうだ。体育館まで二つもあるのかよーってぼくが思わず口にすると、葉子が、「ほかにも講堂でしょ、格技場でしょ、グランドなんか何面あるか数えたこともないわ」とさらっと言った。そのほかにも温水プールつきのトレーニングジムまであるらしい。普通のプールももちろんあるそうだ。 

 短大の建物を越えたところで、広い通りに出た。目の前には芝生に囲まれた池があって、その向こうが大学のキャンパスになっているってことだけど、そっちには用がないみたい。通りに沿って歩いて行くと二階建ての建物があって、その一階が『シャルル』っていう喫茶店になっていた。喫茶店もここだけではなくて、あと三軒あるという。 

 葉子はシャルルに入ると、窓際の二人掛けの席に座って、アイスコーヒーを頼んだ。ここならこの店に入る客を見渡せる。あと一時間は最低ここで待たなければならないのだ。ぼくはちょっと気が滅入った。 

 しばらくして、女の人が店から出て行った。 

「せんせい……。涼子先生いたんだ……」 

 葉子がそう、呟いた。 

 ――知ってる人? 

 知った顔があっても、それは当たり前のことなんだけど……。葉子の様子が少し違ったふうだったので、思わずそう聞いていた。 

「あたしの担任だったのよ。お堅い雰囲気で、蜘蛛の巣バージンなんてあだながあったぐらいなんだけど、いつも一生懸命でさ。あたしは好きだったな」 

 確かにひっつめ髪にメガネかけて、年は二十代後半に見えるけど、男には縁がないって雰囲気を醸し出している。 

「でもあれでも彼氏いたのよ。知ってるのはあたしとあけみぐらいだと思うけど」 

 ――なんで。みんなに教えてあげれば良かったじゃない。そしたらそんなあだな、なくなったろうに 

「口止めされてたのよ。先生に」 

 ――どうして? 

「たぶんその彼ってのが、あんまりかっこよくない中年男性だったからなのかなあ」 

 ――もしかして不倫だったとか 

「その可能性は充分ね。ほんと、愛人って雰囲気だったもの」 

 葉子はアイスコーヒーの氷をストローで掻き混ぜながら、続けた。 

「あれはあたしの事故の一週間前だったと思うけど、隣町でのバレーの試合の帰りだった。あけみとふたりで、ちょっと寄り道しようかって話になって。その日はあけみはあたしのうちに泊まりに来ることになっていたから、ほら、あけみのうち厳しいって言ってたでしょ。そういう口実でもなけりゃ羽伸ばせないから。ウインドゥショッピングなんかして、ちょっと遅くなって、そろそろ帰ろうかって頃、涼子先生とその男の人が腕組んで歩いてる処に出くわしたのね。涼子先生、いつもと別人みたいに化粧して、すっごく綺麗でさ。最初はほんと別人かと思ったけど、おもいきって声を掛けてみたのよ。そしたら涼子先生すごくびっくりしたみたいで、あわててこそこそっと『黙ってて、誰にも言わないで』って言うから、あたしたちもピンときて、内緒にするって約束して、その場は別れたの」 

 ――フーン。じゃあやっぱり 

「そうだと思うけど。でも……。今日の先生、ちょっと元気がなかったな。悩み事でもあるみたいに……」 

 ――そのひととうまくいってない、とか 

「かも知れないね。でも、もっといい人見つければいいと、思う。あんなに美人になれるんだから、普段からああだったらきっとモテるよ、先生」 

葉子は小声で喋っている。周りから見たら独り言にしか見えないから当然だけど。幸い葉子に注意を向ける人はいなかった。ほんと、ここの人達は無関心なのばっかだなって、ちょっと感心してしまった。 

 カラン、と音がして、あけみさんが喫茶店の扉を開けた。入り口でちょっとキョロキョロと周りを見渡している。さすがに一度会っただけの今の葉子は判らないみたいだ。葉子が手を振ると、やっと気づいたようで、こちらに近づいて来た。 

「葉子の話って何?」 

 あけみさんは怒っていた。表情も堅く、つっけんどんにそう言った。 

「ねえ、座って。落ち着いて話を聞いてほしいの。お願い」 

 葉子の方は顔に笑みまで浮かべて、ちょっと大仰に手を合わせて。あけみさんはまだ怒ったままだったけど、とりあえず座ってくれた。葉子は、 

「アイスコーヒーでいい?」 

 と、聞くと、あけみさんが答えるまで待たずにウエイトレスに頼んでいる。 

 ぼくだけが、おろおろしていた。 

「ねえ、落ち着いて聞いてね。あたし、葉子なの」 

 葉子はいきなりそう切り出した。 

「ふざけないで!」 

 あけみさんはテーブルを、ドン、と叩いて、 

「葉子は……、死んだのよ。わたしのせいで……」 

 涙声になって、そう言った。 

 でも、わたしのせいって、どういうことだろう? 

「だから、あたしは死んだのよ。で、今はこの身体、倉本直っていう女の子の身体に乗り移って、あなたと話をしているの」 

 女の子って、何だよ。それにそれじゃあまるで幽霊みたいな言い方じゃないか。……まあ厳密に言えば、その幽霊ってのは間違っちゃあいないのかも知れないけどさ。 

「そんな……。信じられない……」 

 あけみさんは、涙目のまま、じっと葉子の顔を凝視した。 

「でも事実なの」 

 葉子は笑顔でそう答えた。 

「からかわないで」 

 うーん。信じられないのも無理はない。葉子ももっと真剣味を出して言えばいいのに。 

「あのさ、あけみとあたししか知らないこと言えば、信じてもらえるかなあ」 

 葉子はあくまで笑顔でそう言って。 

「あたしが事故に会った夜は、あけみとカラオケに行く筈だった」 

 そこまで言ったとき、あけみさんはもっと酷く泣き出した。 

「わたしが葉子を呼び出したりしなければ、葉子は死ななかった。わたしのせいで――」 

 そう、泣き臥せった。 


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