ゲームが終わった後の冒険譚~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~

思いもかけず召喚された新たな世界で、彼等は終わった筈の冒険の続きを夢見る。
蝉の弟子
蝉の弟子

第四十一話 しがらみ

公開日時: 2025年2月23日(日) 14:37
文字数:9,421

「なんで買い取ってくれねーんだよ?」


「なんで俺が、それを買い取ると思ってんだよあんたは? 頭がおかしいのか?

 客じゃないなら向こうに行ってくれ! 商売の邪魔だ!」


 段は菓子売りの屋台で、ジョージの銅板を売ろうとしていた。

 オンラインRPGドラゴン・ザ・ドゥームでは、売却可能アイテムは全ての店舗で買い取りをしてくれていた。ユーザー同士で売買を行うバザーにおいては、一部出品禁止とされる高ランクアイテムは存在したものの、一般店舗で売却不能なアイテムは、一部課金アイテムとイベント交換用アイテムに限られていた。

 まして、アイテムの売却を一切行えない店など、段の想定外であった。


(この銅板は売却制限の掛かった非買品か? なんでどこの店も買い取ろうとしない?

 それともどっか特別なアイテム交換所でないと、使い道のないアイテムなのか?)


 銅板売却に失敗したのは、これで5軒目だった。物思いにふけりながら屋台から立ち去ろうとした段の前を、見覚えのあるつばの広い黄色い帽子が横切ろうとする。


「見つけたぞ! 俺の帽子を返しやがれグリム!」


 手を伸ばし帽子を奪い返した段は、広いつばで隠れていたグリムの半身を見て驚愕する。


「どうしたんだよ、それ?」


「父ちゃんの部屋にあった金で買った」


 振り向いたグリムは、山ほど菓子を抱え、それを頬張っていたのだ。



(ジョージの金じゃねーのか、それ? まぁいいか、元は俺達の金だ)


 段を無視してグリムは、銅板の買い取り拒否した屋台へ向かう。


「この店の菓子、一種類ずつ全部頂戴」


「おい、まだ食うのかよ!?」


 呆れて大声を上げた段に、グリムが振り返る。


「父ちゃんには秘密にしとけよ」


「俺が黙ってたってバレんじゃねーのか、普通は……。

 それより、この銅板を売れる場所を知らねーか、グリム?」


 グリムの注文した菓子を袋に詰めながら、屋台の親父は銅板を手にした段を嘲笑する。


「そんな美術品を買いたがるのは、貴族様くらいのもんだ。下町ではどこへ行ったって売れやしないよ。

 そんなに売りたきゃ、まずは貴族街に出入りする許可を、どうにかして貰うこったな。もっとも、一部の有力商人や聖職者にしか、そんな資格はまず与えられるものではないが」


「俺知ってるよ、売れそうな場所」


 が、グリムは自信ありげに目を輝かせ胸を張っている。


「本当か!?」


「あの菓子を持ってくれたら教えたげる」


「おまえ生意気なガキだな~~~、本当に」


 段に菓子の入った袋を渡す店の親父は、子供の口車に乗せられる情けない大人に、憐れみの目を向けていた。



         ◇      ◇      ◇



 イザネは一人、リラルルの村の門に向かって街道を走っていた。街道を囲む林はギュンギュンと脇を通り過ぎ、昼とも夜ともつかぬ灰色の空が頭上には広がっている。イザネは全力で走る。まだまだダニーやクリスに教えたい事は山ほどある! 一刻も早く教えてやらなければならないのだ!

 けれども、イザネがいくら走っても、なぜか門に着かない。早く二人に会いたいのに、もうとっくに着いていてもおかしくない筈なのに、どうしても着かない。


(早く二人を鍛えてやらないと、村が大変な事になるのに、なんで門に着かないんだよ! なんでっ!)


 そして走りながらイザネの視界は白く染まり、その意識は夢の世界からカイルの家のベットの上へと戻っていた。


「泣いていたのか、俺は……」


 涙を手で拭いながら、イザネは周囲を見回す。

 寝る前は隣に居たカイルの姿はなく、窓から差し込む赤い光が、もう夕方であると知らせている。


(なんだよカイルの奴、付いていてくれるんじゃなかったのか……?)


 イザネは慌てて、自身の考えを否定するかのように首を振った。


(いや、カイルが俺が寝ている最中、ずっと傍を離れないなんてありえないか。泣いてるとこをカイルに見られずに済んで、むしろ良かったな)


 イザネがベットから降りようとすると、タイミングよく部屋のドアが開いて、メアリが顔をのぞかせる。


「おや、イザネちゃん起きたのかい。

 腹がへったろう。今スープを温めてやるから、ちょっとまっててね」


 イザネが返事をする間もなく、メアリはドアから離れていた。


「俺とした事が、とんだ迷惑をかけちまったみたいだな。

 ふあぁっ……」


 ベットに腰かけたまま、あくびをするイザネの耳に、部屋から出たばかりのメアリの話す声が入って来る。


「ほらカイル、イザネちゃんが起きたよ。あんたの恋人なんだから、すぐ傍に行ってやりな」


「うっせーな、違うって言ってんだろ!」


 どなり声と共に、入れ違いにカイルが部屋に入ってくる。


「よう、大丈夫か」


「なんで俺が、お前の恋人なんだよ?!」


 イザネは眉をひそめて悪態をついたが、それでもカイルは、なぜか安堵の表情を浮かべている。


「知らねーよ」


「お前の母親だろ?」


 口をとがらせるイザネを前に、カイルは困ったような顔をしている。


「子の思い通りになんか、親がなる訳ねーだろ」


「そんなもの……なのか?」


 イザネ達のいたドラゴン・ザ・ドゥームという世界では、NPCと呼ばれる特殊な人達以外は家族を持たない。故にイザネが、カイルの親子関係など想像できる筈もなかった。

 キョトンとしているイザネを見て、カイルは困惑の表情を浮かべている。


「なにを悩んでんだよ?」


 突如黙り込んだカイルに、イザネが問う。


「お前等に教えておいた方がいい事があるんだけど、俺も詳しくないからどうしようかって悩んでたんだよ」


「だったら、それに詳しい奴に教えて貰えばいいんじゃないか?」


「詳しい人ねぇ……、俺に姉でも居れば、お前に教えるには便利だったんだけど……」


「本当になにを悩んでるんだよ?」


「いや、本当になにを悩んでるんだろうね、俺は。

 まぁ、かみ砕いて言うと、結婚の事とか、どうやったら家族ができるかとか、おまえらまるで知らないからさ」


 不思議に思って尋ねるイザネに、カイルはなぜか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。



         ◇      ◇      ◇



 段が仕事場で大暴れした後、ジョージはロジャーに追いすがり、地に頭を擦り付けて無礼を謝ったのだが、ロジャーはジョージをなじるばかりで許そうとはしなかった。

 結局、ロジャーは段が直接自分に詫び、東風が目論見通り見世物とならなければ、二度とジョージの作った美術品を買わないと脅して、ジョージを突き放していた。


(なんで俺があんな目に……そもそもジョーダンとかいうあのバカが、ロジャーをあんなに怒らせなければ、丸く収める事だってできたんだ……)


 トボトボと家路に付いたジョージの心中は、決して穏やかなものではなかった。


「今帰ったぞ! ジョーダンはいるか!?」


 家に帰るなりジョージは大声を張り上げる。まるで仕事場でロジャーが自分にそうしたように。


「ジョーダンのおっさんなら出かけてるぜ。あとグリムもいない」


「なんだと!」


 カームの返事を聞いて、ジョージは慌ててグリムの部屋に走る。

 グリムの部屋にはドアがない。目を離していると、グリムはなにをしでかすか分からないため、わざわざ部屋のドアを取り外しているのだ。


「あいつめ……どこに……」


 グリムの不在を確認したジョージは、次に夫婦の寝室に向かい、戸棚の奥にしまっていた箱を取り出す。


(銀貨が一枚足りないっ!)


 錠前を外した箱をジョージが何度覗いてみても、4枚あった筈の銀貨が3枚しか残っていなかった。


(確か昨日の夕方から夜寝る前にかけて、箱に鍵をかけ忘れていたが……そのを隙を見逃さなかったのか、グリムの奴め。

 このところ、暫くおとなしくしていたから、油断したのが間違いだった!)


「なんだよ、またグリムの奴、なにかしたのか?」


「うるさい! お前は黙っていろっ!」


 ジョージは、イザネの部屋から出て来たカイルに語気を荒げ、再び金の入った箱に鍵をかけて、棚の奥にしまった。


「なんだよ、偉く不機嫌じゃねーか親父は。グリムが余計な事をやらかすくらい、いつもの事だろーが」


「さっきジョーダンがロジャーを追っ払っていたから、それもあるんじゃねーの?」


 そのカームの一言で、途端にカイルの顔が緩む。


「なに? ロジャーになにをしたんだよジョーダンの奴は?」


「親父の仕事場に置いてあった汚い皿で、酒を飲ませてた」


「ははははっ! また酒かよ。あいつ好きだよな~、そういうの」


 ジョージの目も気にせず、呑気に笑い合うカイルとカーム。その背後のドアを開けて、今ちょうど家に戻ってきたべべ王が、姿を現す。


「なんじゃ、楽しそうじゃのう。なにか良い事でもあったんか?」


「楽しい事などあるものかっ!

 あんた、あのジョーダンとかいう奴に、ロジャーさんに謝るよう命令してくれっ! あんたの部下なんだろう!」


 家に一歩入った途端、ジョージに怒鳴られ、べべ王が戸惑う。


「いや、わしはリーダーというだけで、別に部下とか上司とか、そういう関係ではないぞ。

 それにジョーダンに言いたい事があれば、直接本人に言えばいいじゃろう?」


 べべ王の指さす窓から外を見ると、段とグリムが楽しそうに話しながら家に向かって歩く姿が、そこにはあった。ジョージが家を飛び出したのは、それを見た次の瞬間だった。


「ジョーダン! 今から俺と一緒に、ロジャーさんに謝りに行くんだ!!」


「まだそんな事を言ってんのかよ」


 呆れたような顔をした段は、ジョージに金属音のする革袋を投げて渡す。


「これは?」


 ジョージが袋を開けると、そこには銀貨が10枚並んでいた。


「お前の代わりに銅板を売ってきてやったんだぜ」


「ど、どこで売ったんだ……ここで美術品をさばこうにも、ロジャーさんに話を通さなければ 商売にはならない筈……しかもこんなに高値で売れる訳がない」


 震える手で銀貨を摘まみながら、ジョージが段に尋ねる。


「教会で売ったんだよ。天使の彫刻だったから、教会で売るには丁度よかったぜ」


「教会だと……どこのだ?」


「どこだって言われてもな……グリム、あの通りは何番だ?」


「6番だよ」


 大事そうに菓子の袋を抱いたグリムが、答える。


「6番通りっ! よりによってヴォエルカーゴ……カーゴ派の教会じゃないか!」


 ジョージは、文字通りその場に崩れ落ちた。

 このゴータルートの街のソールスト教は、アノキッツ派とヴォエルカーゴ派(カーゴ派)の2派に分類される。

 アノキッツ派は、本来のソールスト教の教義を、今は貴族と迎合するために歪めて金儲けに走っている。そしてそれを不満に思った庶民達の支持を受けて、旧来の教義を貫こうとカーゴ派が新たに立ち上げられたのだ。

 貴族は自分達を贔屓するアノキッツ派のために、カーゴ派の排斥を目論む者が殆どであり、逆にカーゴ派の貴族は1割にも満たない。当然、貴族達と付き合いのある大商人達も軒並みアノキッツ派である。

 つまり、カーゴ派の信者になるということは、職人にとって美術品購入者の9割以上を敵に回す事になるのだ。それにカーゴ派のレッテルが貼られるだけで、商人達はその職人を相手にしなくなり、貴族や大商人に商品を流通させる手段が失われてしまう。


「いいじゃないか、ロジャーなんかと商売するより、カーゴ派と商売した方が。金だってこんなに貰えるんだし」


 開けっ放しにしたドアの向こうから口を挟むカイルを、なんとか立ち直ったジョージが睨む。


「バカを言うなカイル!

 この街を治める領主のギャレット様だって、アノキッツ派なのだぞ! カーゴ派などいつ弾圧されてもおかしくない立場なのだ!

 それに商人達もカーゴ派と商売をしていると知れば、どんな嫌がらせをしてくることかっ!」


 ジョージの言った事は、少なくとも一定の理にかなったものである。有力者に睨まれるのを恐れてカーゴ派と距離を置くのは、なにも職人達に限った話ではないのだから。


「それについては問題ありませんよ」


 上から降り注ぐ声に驚き、ジョージが振り返ると、そこにはいつの間にか帰ってきた東風が立っていた。ジョージを見下ろしたまま、東風は言葉を続ける。


「ヴォレウカーコ派は、一般的に愚直に信仰を守る集団とみられていますが、その実態はしたたかです。詳しくはまだ調べておりませんが、弾圧されぬよう裏で策を張り巡らしているようでして、ギャレット候もおいそれと手を出す事はないでしょう。

 それに商人達の嫌がらせならば、我々が防げば良いだけではありませんか」


 東風との見解の違いに、ジョージは困惑していた。

 考えてみれば、今まで自分の耳に届いていたものは、表から見ただけの薄っぺらい世間の評判、そしてロジャーが吹聴しているカーゴ派の悪口だけに過ぎなかった。その事に気づいてしまったジョージは、迷いの渦中をただただ彷徨っていた。


「確かにあなた方ならば、どんな嫌がらせでも跳ね除けてしましそうだが……」


 ジョージは返事を言いよどむ。この時はじめてジョージは、自身を囲んでいる連中のとんでもなさに初めて気づいた。

 今まではこの連中が、カイルに悪影響を与えさえなければいいとしか考えていなかったし、それ以上の興味もなかった。だが自身の立場をいとも容易くひっくり返されて、彼等の破天荒ぶりを、ようやく思い知らされたのだ。

 ジョージの中に今渦巻いているのは、不安。

 ロジャー支配下での生活は、底辺の扱いながらも最低限の収入は保証されていた。が、今は段の手によって、その保証が強制的に外されてしまったのだ。

 そして今自分が手にしている銀貨10枚という金は、ロジャーを裏切った代償の金……もう今から謝ってもロジャーは決して許しはしない。もし自分を許したのなら、ロジャーの職人支配の体制は、瓦解するのだから。


「ただし、ヴォエルカーゴ派との付き合いは、商売だけに留めてください。深入りすれば、何に巻き込まれるかわかったものではありませんから」


 思い悩むジョージを他所に、東風は続けてこう忠告した。


「あ、ああ……そうか……う、うむ注意しよう。

 ありがとう」


 ジョージは形ばかりはその提案を受け入れたものの、考えが頭の中でまとまらぬまま立ち尽くす。もう既に、自分が嵐の中に巻き込まれている感覚に飲まれながら。


「母ちゃんただいまーっ!」


 ジョージが放心する中、場違いに元気な声が響く。声の主であるグリムは、菓子の袋を持ってジョージの脇をすり抜け、家の中へと駆けこんでいた。



         ◇      ◇      ◇



「おかえりーっ!」


 メアリがスープを皿によそいながら、大声でグリムに返事をする。テーブルを挟んで向こう側には、先ほどメアリに連れてこられたイザネが座っていた。


「済まないなメアリさん、世話をかけちまって」


 かしこまるイザネの前に、湯気の立ち昇る皿をメアリが置く。


「いいのよ気にしなくて。

 それよりあなた、言葉遣いが変ね。もっと女の子らしい言葉を使ったらどう?」


「いや、俺はずっとこんなだったし……」


 イザネがそう言いかけた時、台所にグリムが駆け込んで来た。


「母ちゃん、お土産~っ!」


 グリムの差し出した袋の口を広げて、メアリは目を丸くする。


「おまえ、またこんなに菓子ばかり買って! どっから金を持っていったんだい?

 だいたい、菓子なら戸棚の中にまだあるじゃないか!」


「あれもう飽きちゃったよ。それに鍵かかってて箱が開かないし」


「鍵かけなかったら、おまえが全部食っちまうからじゃないか!

 早く父ちゃんに謝ってきな!」


「ふぁ~い」


 明らかに不満そうで、そして明らかに不真面目な返事とともに、グリムは台所を出て行ってしまった。


「恥ずかしいとこ見せちまったね。

 あの子、全然親のいう事聞かないんだよ。カイルも家を飛び出しちまったけど、グリムに比べりゃマシだったかねぇ」


 グリムに呆気にとられ、固まっているイザネに向かってメアリが話しかける。


「いや、そういう事なら、うちのべべ王だって、たいがいだけどな……」


「え? あの爺ちゃんも変わり者だとは思ってたけど、なんかあるのかい?」


 イザネの向かいの椅子に、メアリが腰かける。


「いちいち悪ふざけが過ぎるんだよ。やたらしつこいし」


「はははっ、確かに」


 メアリが声に驚いて振り向くと、いつのまにか東風が、狭い台所に自分の体を畳むようにして座っていた。


「おデブちゃん、あんたどうやってここまで入ってきたんだい? まさか、壁やドアに穴を開けたりしてないだろうね?」


「驚かせて申し訳ありません。

 私はこうみえても忍……いえシーフクラスですので、狭い場所に忍び込む術も心得ているのですよ。

 それより、ジョージさんが呼んでましたよ。仕事場にコップをいくつか持ってきて欲しいそうです」


「コップだって?」


「酒を飲みたいらしいのです。昨日ジョージさんの仕事場に、べべ王さんが土産に持ってきた酒樽を、置き忘れてまして」


「こんな早い時間から酒を飲む気なのかい、あの人は?」


 メアリは立ち上がって、戸棚のコップに手を伸ばしながら、首を傾げる。


「ロジャーさんと商売するのを辞めるので、その景気づけだとか」


「あら、そういう事ならあたしも一杯付き合おうかしらね。

 あたしも前々からロジャーって人は、気に食わなかったんだよ。人を見下してばかりいてさ」


 メアリは上機嫌にコップを抱え、今度はイザネの方を振り返る。


「それじゃ、あたしは行って来るけど、ちゃんと食べて元気になるんだよ」


 イザネにそう告げて、メアリは台所から出て行ってしまった。


「昨日はどこ行ってたんだよ東風?」


 メアリを見送ったイザネが、スープをスプーンですくいながら訪ねる。


「マーガレットさんの息子さん、ロバート牧師に会いに行っていました。

 べべ王さんからは、皆に余計な気を遣わせないよう口止めされていたのですが、イザ姐はマーガレットさんと特に親しかったですし、お話しておきます」


 イザネのスプーンを動かす手が止まった。


「そうか、俺達の冒険者ランクじゃ他の街に入れないから、忍び込めるお前しか会いに行けないのか」


「はい。

 いい人でしたよロバートさんは。冒険者ランクを上げさえすれば、ロバートさんの住むスレエズの街にも入れるようになりますから、いつか皆で会いに行きましょう。

 あの方も、きっと喜んでくださいますよ」


 その明るい口調から察するに、可能なら東風は、今すぐにでもイザネとロバート牧師を会わせたいのだろう。


「俺は会いたくないな。だって合わせる顔がないじゃないか」


 イザネが顔を曇らせるのを見たためだろうか、東風が身を乗り出そうとし、ガタンと天井に頭をぶつけた。


「いえ、会うべきです。

 ロバート牧師はおっしゃっていました、『いくら力を持っていようが神ならぬ人の身ならば、及ばぬ事があるのは仕方がない』と。あの方は、全てを受け止めて下さっていますよ」


 東風は、先ほどより早口になっていた。


「そうか……、なるほど牧師さんらしい考え方だな」


「それにこうもおっしゃっていました『全ては神の思し召しです。神は私達に苦難を与えられたが、同時になにか贈り物を与えてくださる筈です』と。

 私にとってのその”贈り物”がなんだったのか、上手く言葉にできないのがもどかしいですが、確かに前進する事はできました。

 きっとイザ姐だって……」


「ごめん『神の思し召し』なんて言われてもピンと来ないよ俺は。

 けど、俺が落ち込んでても何にもならないのは分かる。ありがとう東風」


 イザネはそう言って笑顔を作り、スープを勢いよく飲み始めた。それがイザネにとって、今自分が見せれる、精一杯のカラ元気であった。



         ◇      ◇      ◇



 豪商ロジャーは幸福というものを知らない、なぜなら彼の心の中には金しかない。

 ロジャーは一度結婚した事もあるのだが、彼は妻との間に愛を育む事もなく、すぐに別れてしまった。彼の考えている事は常に金・金・金、金の力で自分の心を満たす他ない。

 金で豪華な食事、酒、美術品、そして美女とありとあらゆる贅を尽くし、愛情が一切得られず乾ききった自身の心を、なんとか癒す事しか考えられないのだ。


「もっと酒持って来い! 金ならあるんだ金なら!」


 そのため今夜もいつもの高級クラブで、ロジャーは金持ち仲間と共に豪遊していた。類は友を呼ぶと諺にもあるが、ロジャーの金持ち仲間もまた、財はあれど家族関係の冷え切った者ばかりだ。

 貴族街に建てられた広い酒場、金に彩られた装飾、ゆったりとした柔らかいソファー、天井から下がるシャンデリア、綺麗な女性達と彼女達から発する優雅な香水の香り。庶民が味わう事のないあらゆる贅が、そこは溢れている。

 が、それら全てにロジャーは飽いていた。


「今日は荒れてるわねー、どうしたのロジャーさん?」


 接待の女性の一人が、ロジャーの耳元で囁いた。


「なんでもない、なんでもないさ……いつも通りだよ、俺は!」


 ロジャーは柔らかなソファーに自重で深く沈んだまま、ふくよかな胸の女性の肩を抱き、強引に引き寄せ、仲間達と共に飲み笑う。

 けれどロジャーは良く知っていた、この楽しみはすぐに終わる。酒も女も贅沢も、楽しいのはそれを味わっているこの瞬間のみ。それが終われば、空しさしか残さないのだと。

 そしてロジャーは知らない、愛以外の物で満たした心は、すぐにまた渇いてしまうものなのだと。だからロジャーとその仲間達は、いつも心の渇きに苦しみ、それを癒そうと金を貪り続ける餓鬼の群れでしかなかった。

 中でも今夜のロジャーは、ひと際大きい病みを一つ、その心中に抱えていた。


(絶対に許さんぞ! あのハゲ頭め!

 こっちは、ジョージの生活をいつでも人質に取れるんだ! まずは許したフリで油断させ、全てを剥ぎ取って、破滅させてくれる!)


 グラスを傾け誤魔化しの笑みを浮かべるロジャーは、心の中でそう吠え続けていたのだ。酒を飲んで自らを癒すつもりが、酔うごとに屈辱を反芻し、恨みを増殖させていたのだ。奴を決して許さないぞ、と。

 しかしながら、許さないからどうだというのだろう? 彼の許しを得たからといって、いったい何が待っているというのだろう?

 例えばロジャーがジョージに対して求める物は、主に二つ。

 おとなしく搾取を受け入れロジャーにより多くの金を提供する事、そして自分より低い立場である事をその態度で示し”愉悦”を与え続ける事。ロジャーはジョージから得られる”愉悦”をも、心の渇きを潤すのに利用しているのである。

 同様に、ロジャーが段のことを心から許したとしても、その後彼はいったい何を許した相手に求めるであろうか?


「ロジャーさん、使いの方がこれを」


 給仕の娘が酒と一緒に差し出した布を、ロジャーは少なくとも表面上はにこやかに受け取った。が、そこに書かれた汚い文字を一瞥するや否や、すぐに布をグシャリと握り潰す。


「ヴォエルカーゴ派だと? ジョージの野郎、完全に俺を裏切りやがった!」


 顔を赤く染めたロジャーは、もはや、その不愉快を隠そうともしていなかった。

 常日頃からロジャーは、職人達が自分の流通網を見限って、カーゴ派と直接取引する事を恐れていた。そのため、下町の職人達がカーゴ派に接触しないよう、その醜聞を広め、脅しをかけていたのだ。

 当然、これまでジョージの頭の中にあったカーゴ派に対する嫌悪や恐れもまた、ロジャーから吹き込まれたものだ。ロジャーにとって都合のいい事実のみにすっかり目が向いてしまい、今やジョージはそれに気づく事すらできない、いわば洗脳に近い状態だった筈なのだ。

 そしてこれが破れたという事は、もうジョージ一人の問題ではない。ジョージに感化された他の職人達もまた、ロジャーを裏切る可能性だってあるのだから。


(見せしめが必要だな……)


 目を血走らせたロジャーには、もはや酒場の娘達さえも近づくのをためらうほどだった。

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