「ハァ……ハァ……ッ!」
二人は夕陽が差し込み、オレンジ色に染まる森の中を走っていた。
「ふぅ~。……ユウ氏、大丈夫でござるか?」
長い距離を逃げ続けたせいか、流石の灯花も少し肩を上下させている。
「あいつら……来てるかな?」
灯花以上に疲れている僕は、必要最低限の言葉だけを絞り出した。
どうして僕達は走って逃げているのか?
話は少し前まで遡る。
「"人に襲われた"って、強盗でも居るのか?この森に?」
変な生物だけでも危険なのに、さらに犯罪者だって?
まだ四日間も歩かないといけないのに?
そう考えると、生きて森を出られるのかすら不安になってきた。
「記憶の森は人界でも数少ない、どこの国にも属さない領域でね。そのせいで国と国の間でかかる通行料や、移動時間を惜しむ運送屋が近道に使ったりするんだ」
「そして、それを狙う悪党も居る……でござるか」
カガリが頷く。
「じゃ、じゃあ別にお金なんて持ってない僕達は狙われないんじゃ……?」
今度は首を横に振る。
「お年寄りや腕や足の無い傷病人ならともかく、二人とも若くて元気だからね。捕まえて売り飛ばされる危険は充分にあるよ」
それに……と、カガリは続ける。
「トウカ……さん?は人界では珍しい褐色の肌をしている上に女の子。単純に、奴隷じゃなくてもどこかのお金持ちなんかが珍しがって飼うことだってあり得る」
(灯花が売り飛ばされる?冗談じゃない!)
「くっ……!!拙者の美貌が悪党に狙われる欠点になるとは!!」
「……やっぱりお前、一度売り飛ばされるか?」
「な、何を言うでござるかユウ氏!拙者が金持ちの汚いオッサンに飼われて大変なことになるかも知れないのでござるよ!?エロ同人誌みたいに!!」
読んだこと無いから知らないよ……と思いつつ、森の中で誰かと出くわすのは非常に危険だということはわかった。
(ん?でも待てよ……?)
「カガリはなんでそんな危険な場所を歩いてるんだ?」
この森が危険な場所なら、特別な力を使えるとしても僕達より小さくて腕力も無さそうなカガリだって危険じゃないのか?
「聖法使い一人は鍛えた兵士百人分の戦力。盗賊や樹獣が相手でも危なくなんかないよ」
にわかには信じ難いが、それがもし本当なら安心して森を抜けるための希望になる。
そもそも、カガリ無しで安全に森を抜けられる方法なんて僕達には無いんだけれど。
「それにしても、カガリ氏がそれ程までに強いとは思いませんでしたぞ」
"聖法"が使えるとそこまで強力な戦力になれるというのは知れて良かったと思う。
「……二人は聖法をよく知らないし、いざという時に油断されても困るから先に言っておくけど」
心なしか少し暗い顔でカガリは話した。
「さっきの"百人力"は人魔大戦で聖法を使えない人間から見た、少し誇張された表現だからね。それにボク一人ならともかく、"戦力として数えられない二人を同時に守って戦えるか?"ってなると、そう甘くはないって考えてほしいかな」
だんだん雲行きが怪しくなってきた……。
「つまり、カガリと一緒にいるからって安心は出来ないってこと?」
「可能な限りの事はするけど、安心するのはまだ早いね」
一度上げて落とされた分、僕の胸中にはさっきよりも強い不安が残ってしまった。
「カガリ氏……こう、もし悪者に出会った際の対処法なんかを教えてもらえると助かるのでござるが」
不安になっている僕を案じてか、灯花が尋ねた。
「対処法?そうだねぇ。とりあえず盗賊に出くわした時は音消しと速く走る為の聖法をかけるから、そのあとボクが指差した方に思いっきり逃げればなんとかなるよ」
走って逃げるのは灯花はともかく僕がなぁ……。
「でも、それだとカガリ氏は一人で敵の真っ只中に残るのではござらんか?」
うん、とカガリが首肯する。
「ボク一人だけなら盗賊ぐらいどうとでもなるし」
"足手まといさえ居なければ"みたいなニュアンスも感じられなくはなかったが、カガリが敵を引きつけてくれるなら大丈夫かも。
「それじゃ、先を急ごう。危ない場所からはさっさと抜け出すのが一番だし」
そう言うとカガリは地面に置いていたリュックを背負い直して歩き出す。
「今日は野営地の泉まで進む予定だから、二人共ちゃんと付いて来てね!」
「泉……これは水浴びチャンスでござるな……」
灯花がまた何か良からぬ事を考えていそうな気がする。
なんにせよ、盗賊が出てくるまではしばらく歩……。
「……ん?」
今、何かキラって光ったような……。
ストットッストッストッ
音が聞こえたあと、足元を見るとそこには四本の矢が刺さっていた。
「お前ら、そこを動くなっ!」
前方の樹上から発せられた太くよく通る声は、それだけで僕達の足を止めさせるには充分だった。
「あちゃー、同じ場所で話し込んでたせいで早速出てきたね。二人共、さっき伝えた通りにお願いね」
灯花と僕は顔を見合わせる。
「"影も震えも引き篭れ……隠密の聖法、ムース"」
カガリの指先から出た光が僕と灯花を包む。
「おい!何してやがる!」
光に包まれた僕達を見て、樹上の男は弓に矢を番えて、狙い、放った。
「"肉体は強靭な風となる"……」
唱えているところへ二本の矢が飛びかかる。
……が、カガリはくるりと反転して男に背中を向けた。
ストッストッ
二本の矢はカガリの大きなリュックには刺さったものの、どうやらカガリ自身には当たってないようだ。
「"速身の聖法、シフ"」
指から飛び出した一筋の光が僕と灯花の身体を一瞬のうちに通り過ぎた。
それと同時に、カガリが指を差す。
……男の真下を通る方向に。
「ユウ氏!走るでござるよ!」
僕の戸惑いを感じ取ったのか、灯花が僕の腕を引っ張る。
「お、おうっ!」
灯花に連れられる形で、僕も一目散に走りだした。
「二人共、また後で」
カガリは少し笑いながら手を振っている。
そして一歩、二歩、三歩と踏み込めば踏み込んだだけ想像以上のスピードで加速し――――。
手を振っているカガリの姿が消えてなくなった。
そう思ってしまうくらいに僕と灯花は文字通り”加速度的”な速さで走っていた。
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