おかしい。
変だ。
異常だ。
一体いつから?
さっきまで教室には駄弁ってる奴らや体操着に着替え中の奴が居たはずだ。
仮にもう部活に行ったり下校していたんだとしても静か過ぎる。
いつも遠くから流れてくる吹奏楽部の楽器の音色すら聞こえない。
「ユウ!グラウンドにも人が居ないっ!」
この異常事態によっぽど焦っているのか、灯花のしゃべりも普通になっていた。
「とりあえず下駄箱に行こう!なんかココにいたらダメな気がする!」
灯花の手を引いて、いつもよりずっと長く感じる廊下を走った。
こんな状況なのに、私はワクワクしている。
いつだったか、夜中に一人で学校に忍び込んだ時、普段は人で溢れている学校が、まるで巨大な怪物みたいに見えてゾクゾクした。
でも、今はまだ夕方になる前の時間帯。
学校に人が居て当然の時間なのに誰も居ない。
――――――――私とユウを除いて。
そして今、ユウは私の手を引いて走っている。
得体の知れない恐怖から私を助けようとしてくれているのか、ユウ自身がその恐怖に耐える為の無意識の行動なのか。
(どっちでも嬉しいな……)
ユウには悪いけど、もう少しこの時間が続けばいいなって私は思ってしまった。
あれからどのくらい走ったのか。
いつもならとっくに学校の外に出てないとおかしい。
「ユウ氏、ちょっと待つでござる」
灯花が急に立ち止まる。
「なんかおかしいとは思わないでござるか?」
……言われてみれば確かにおかしい。
「なんでお前は汗もかかずに息切れもしてないんだ?」
僕は走りっぱなしでかなりキツいんだけどな。
「そこ?いまそこがそんなに大事でござるか?」
大事じゃないけどさ……こう、なんと言うか悔しいんだよ。
「まぁ、それはさておき。同じ方向にかれこれ十五分ほど走り続けているのに、いつまで経っても下駄箱に着かないのでござるが……」
「……ござるが?」
「確認の為に、今一度同じ方向に進んでみても良いでござる?」
「何か考えがあるんだよな?」
「もちろん。まず、このシャーペンをここに置いてでござるな……」
灯花は胸ポケットから取り出したシャーペンをおもむろに床に置く。
「それでは行くでござるよ!」
そう言うと、灯花は再び廊下を走りだした。
「……おいおい、待てって!」
――――――――――――――――1分後。
「やはり……」
「…………はぁ、はぁ…………ちょっと待って」
ゴメン、マジ無理。キツい。
切れた息が戻るまで、大きく深呼吸をする。
「もう良いでござるか?」
「……なに?」
呼吸を整えて灯花の話を聞く。
「今、同じ方向に軽くダッシュしたでござるが……アレを見るでござるよ」
灯花の指差した方向を見ると、そこにはさっきのシャーペンが落ちていた。
「ゲームなんかでよくある"無限ループ"ってやつでござるな」
灯花は置いてたシャーペンを拾う。
「こういうのは同じ方向に進んでもずっと繰り返すゆえ、どうにかして正解の道を探さなければダメなのでござる」
「へぇ~」
「先ほど、走り回っている最中に見えた壁の汚れが、一定の距離を走るたびに繰り返していたのに気づいたのでござるが……試してみて正解でござったな」
こんな状況でいやに余裕があるな。
「そうだったのか……。それで、どうしてあんなに急いで走ったんだ?」
「あれに特に意味は無いでござる」
コイツあとでしばこう。
「これしきの距離で息が上がるなんて、ユウ氏はだらしないでござるなぁ」
ホントにおぼえとけよ。
「灯花って100m走のタイム、いくつだった?」
「11秒フラットでござるっ!!」
「なん……だと……?」
なんで男子より速いタイムで走れるんだ?
「まぁそんなことはさておき、正解の道を探そうではござらんか」
灯花は来た道を戻り始めた。
「戻るのか?」
「こういうのは大抵、無限ループする方向以外に進むのが定石なのでござるよ」
ゲームだったら……と話す灯花は、気のせいか少し楽しげだ。
「なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」
明らかに異常なこの状況で、灯花は冷静どころか楽しそうに見える。
「逆に、ユウ氏は何をそんなにビビっているのでござるか?ゲーム同然のシチュでござるぞ!」
「なんでテンション上がってんだよ、バイトの時間まであと三十分なんだぞ?」
働かせてもらっている身としては、早くバイトに行きたい気持ちでいっぱいいっぱいなんだが。
「もうすぐさっき居た教室だけど……」
戻るだけ戻って、結局なにもありませんでしたじゃ話が進まない。
「ゲームなら、教室に戻る途中か到着の時点で何かイベントが起こるのでござるが……」
またゲーム発想か。
「僕も戻りながら他の教室や通路を見てたけど、変なところはひとつも無かったぞ?」
「うむむ……」
次の角を曲がれば教室に着く……という場所に差し掛かった時。
「ちょっと待つでござる」
灯花がこっちの動きを手で制した。
「何か聞こえてこないでござるか?」
「何か?」
言われてみれば、ポーンポーンとボールが跳ねるような音が聞こえる。
「教室の方から聞こえてくるな……。見に行くか?」
誰か居るかも知れないし。
「うぅ……音で"これ以上近づいたらイベントが起きるぞ"って知らせるホラーゲームを思い出してしまったでござるぅ……」
知るか。さっきまでの元気はどうした。
「じゃあ、僕だけで見てくるから待ってろよ」
「ま、待つでござる!一人にしないでほしいでござるよぉ!!」
うわ、めんどくせぇ。
「だったらどうする?僕もココでじっとしてりゃ良いのか?あと二十分しか無いぞ?」
「う……わ、わかったでござるよ……でも、先頭はユウ氏に譲るので拙者は後方をカバーするでござるからして……」
「もう行くわ」
全部聞いてたらただでさえ少ない残り時間が無くなる。
どうやら音は教室の中からするようだ。
ポーンポーンポーンポーンポーンポーン。
一定のリズムを保ちながら、音は繰り返されている。
「妙でござるな」
「僕もそう思う」
単純に落ちて跳ねてるだけなら、音はだんだんと短くなって最後は床に転がるはず。
音が一定のリズムを保っているなら、ボールをついてる誰かが居る事になる。
「ふふふ……怪奇現象でないと判ればこの稲代灯花、恐れるものなど無いでござる!」
「いや、まだ正体が判ったわけじゃ……」
言い終わる前に灯花が扉に突っ込んだ。
「総員突撃ぃ!」
勢い良く扉を開けた灯花は、室内の光景を見て固まった。
ポーンポーンと跳ねていたのは、バスケットボール大の銀色に鈍く光る玉だった。
恐らく灯花が固まった理由は、誰かがボールをついていると思っていたのに、実際には玉が誰の手も借りずに跳ね続けていたからだろう。
「ゆゆゆゆ、コレ夢?夢コレ?あ、あのボールに触る権利をユウにやろう」
「落ち着けって。触りたくないに決まってるだろうあんなの」
今、目にしている光景の意味がわからない。
とりあえず、気付かれてなさそうだからこっそり一度教室から出て……。
「ま、待ってユウ!!」
「バカ、声がでかい!気づかれたらどうするんだよ!」
「こ、腰が抜けて動けないぃ……!」
いつの間にか灯花は床にへたり込んで泣きそうになっていた。
「手ぇ貸せっ!引っ張っていくから!」
伸ばされた灯花の手を掴んで教室の出入り口に引っ張って行こうと後ろに振り返ると。
「……マジかよ」
扉が消えて、背後の一面がまっさらなコンクリートの壁になっていた。
「だったら窓から……!」
と思った時にはもう遅く、窓もコンクリートの壁に変化していった。
そして――――――――
ポーンポーンポーンポーン
教室の前で跳ねていた玉は、だんだんとこちらに近付いてきていた。
「クソッ!逃げ場無しかよ!」
「ユウ!私を置いて逃げて!」
んなことできるかっ!という言葉を飲み込んで、灯花を引きずり少しでも球から離れようと教室の隅へ行く。
「あー、無理だこれ、詰みだ」
逃げ場がない今の状態で灯花を連れて……仮に自分一人だけだったとしても逃げられる手が思いつかない。
「……バイト、完璧に遅刻だな」
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