"洗礼"
聖法使いが最初に受ける儀式で、言わば聖法使いの入口。
清浄な水に聖王樹の灰を混ぜた液体を飲むと、その者は眠るように意識を失い少しずつ身体が冷たくなっていく。
このまま何もせずにいると死んでしまうため、意識を失った後は誰かが何らかの方法で身体を暖めないといけない。
と、ここまでがカガリから聞いた説明。
「薬を飲んで力に目覚めて、死なないように周りが対処する……。よくある話でござるな」
灯花は何かを思い浮かべているようだ。
「意識ってどのくらい失ったままなの?」
カガリに尋ねる。
「早い人で四時間くらい。今まで聞いたことのある一番長い人で半日かな……」
今から夜の間に儀式を終えれば、どんなに遅くても明日の昼前には起きるって事か。
「とりあえず水を作ろう」
カガリはリュックから木で出来た筒と赤茶色の急須のような物を取り出した。
「灯花ちゃん、これに泉の水を汲んできてくれる?」
「了解でござる!」
灯花は急須を受け取ると泉の方へと走っていった。
カガリは懐から取り出した短刀で枯れ枝を器用に薄くスライスしていく。
「僕は何をすればいい?」
ただ待つだけでは怠けてるみたいで少し気まずい。
「じゃぁ、この枯れ枝を燃えやすいように積み上げてくれるかな」
カガリに枯れ枝を十本ほど渡された。
「これだけでいいの?」
「水を沸かすだけだからね」
燃えやすいように枝を組む……。そういえば昔、キャンプに行った時に教えてもらったな。
(灯花と遊んでて遭難しかけたっけ)
僕は太い枝から順に選び、縦と横に二本ずつ……漢字の『井』の形で交互に組み上げていく。
「これでよし」
サイズは小さいものの、組み木……もとい、組み枝が完成した。
「お?キャンプファイヤーでもするのでござるか?」
そこに灯花が戻ってくる。
「変わった組み方だね。ユウ君の国ではこうするの?」
「うん。僕の国だともっと大きい丸太を使って組むんだ」
へぇ~と言いつつ、もの珍しいのかカガリはしばらく色んな角度から眺めていた。
その後、カガリは薄くスライスした枝を組み枝の中に入れて火打ち石で火を着ける。
「早く燃やすならコレであおぐでござるよ」
灯花はカバンから取り出した教科書で組み枝の中へ風を送る。
「なにそれ?本?」
教科書が珍しいのか、カガリは興味津々で灯花に尋ねた。
「これは"教科書"と言って、拙者達が学校で勉強をする際に使う書物でござる!」
またもや何故かドヤ顔の灯花。
僕は自分のカバンからも教科書を取り出してカガリに渡す。
「ん~、見た事ない文字だ……。なんて書いてあるのか全然わからない」
カガリはパラパラと半分ほどページを捲ったものの、どうやら僕達の世界の文字はわからないようだった。
「あっ!これすごいね!」
開いたページの一部を指差して表情を明るくする。
「この絵、まるで人をそっくりそのまま描いたみたい!」
カガリは英語の教科書に載っている色んな国の子供たちの写真を指差していた。
「えっと……。それは写真で、絵じゃないんだ」
カガリは首を傾げる。
「絵じゃなくてシャシン……?どういうこと?」
多分、この世界には写真が存在しないのだろう。
写真の原理を知らない僕は答えに困った。
「ユウ氏、ここは拙者にお任せあれでござる」
そう言うと、灯花はポケットからスマホを取り出す。
「拙者達の世界には"カメラ"と呼ばれる写真を作り出す道具があるでござる。拙者が持っているのは、そのカメラの機能が付いた道具にござるよ」
説明しながら、灯花はカメラを起動した。
「これを撮影したい方向に向けて……はい、チーズ!」
パシャッ
「これを見るでござるよ」
カガリにスマホを渡す。
「えっ……なに?これってどうなってるの!?」
スマホの画面には焚き火の炎に照らされたカガリの顔が写し出されている。
「これがあればどんな景色も一瞬で保存できる、摩訶不思議なアイテムなのでござるよ」
先ほどよりもずっとドヤ顔成分の強いドヤ顔である。
「……よくわかんないけどとりあえず、これは二人の居た世界では珍しくない技術なんだね?」
カガリは僕達が外の世界から来たと聞いた時と同じ表情を見せていた。
「こんな道具、今まで見たことないよ……」
パッチリ開いた金色の大きな瞳はスマホを眺め続けている。
「火も大きくなってきたでござるし、そろそろ良いのではないでござるか?」
焚き火はパチパチと音を鳴らし始め、火も大きくなっていた。
「あぁ、ちょっと待ってね」
カガリはスマホを灯花に返すと、リュックの中から薄い網の付いた三脚のような道具を取り出した。
「理科の実験で見たことがあるような……」
「奇遇ですなユウ氏、拙者もそう思っていたところでござる」
三脚の脚の長さを調節し、網に火の頂点が届くくらいの高さに合わせる。
「それじゃ、水差しを網の上に置いてくれるかな」
カガリは急須を火にかけるように指示する。
「沸いた水はこの筒に入 れて、こっちの容器に移す……と」
さっきリュックから取り出していた木の筒とコップを横に置く。
「……よし、沸いたね」
カガリは手袋を着けて急須の持ち手を掴むと、筒にゆっくりとお湯を入れる。
入れて十数秒後、下の注ぎ口から少しずつ水が出てきた。
「見た感じ、ろ過装置のようなものでごさるな」
灯花が溜まっていく水滴を見つめる。
「この水が溜まったら、この瓶の中の"聖王樹の灰"を入れてしっかり混ぜ合わせる……」
その名前通りの灰色の粉を、カガリはコップの中に入れた。
なにか特殊な色の変化でも起こるんじゃないかと戦々恐々していたが、見た目はただの黒ゴマスープだ。
「コレどんな味がするの?」
覚悟を決めるため、僕は飲む前にカガリに聞いてみる。
「ん~、なんと言うか……この世のものとは思えない味?」
何の参考にもならなかった。
「不味いのが嫌なら、一気に全部飲み干すと良いよ。そしたら味を感じる前に意識が無くなるから」
一気に飲み干すか……。
確かに喉は乾いている。
(勢いに任せればいけるか?)
コップの中の液体の匂いを嗅ぐ。水に少し果物の香りが着いたようなほんのり甘い匂い……これならイケそう?
コップを口につけ、液体を唇に触れさせる。
唇の隙間を少しずつ開けて、それを中へと受け入れる。
受け入れられた液体が舌に触れた瞬間。
(ここは何処……?)
気付いたとき、僕は森の中の大きな……巨大な?
とんでもなく高い樹の目の前に居た。
「高過ぎててっぺんが見えないな」
何か大事なことを忘れているような気がしたが、よく思い出せない。
見えない何かに導かれるように、足は樹の根を辿って近くに見えていたはずの大樹へと進んでいく。
不思議と疲れは感じずに足取りは軽いままだ。
「……扉?」
大樹の根元に着いて目に入ってきたのは、まるで中に入って来いと言わんばかりに設置された両開きの扉だった。
「鍵は掛かってない……か」
深く考えずに触れたドアノブは施錠されておらず、抵抗無く回すことが出来た。
「…………」
何も考えずに開き、先に進む。
扉の先に続く道は暗く長い。
それでも僕は歩いた。
数分間……或いは数時間?
自分でもよくわからない時間の中、歩き続けていた気がする。
そして、歩き続けて……。
まだまだ歩くのかと思い始めた頃……いきなり周囲が明るくなった。
暗闇から急に明るくなったせいで何も見えない。
段々と目が慣れてきたので周りを見回す。
今まで歩いた暗く長い道が嘘だったかのように、目の前には自然豊かな美しい景色が広がっていた。
溢れんばかりに流れる水、燦々と降り注ぐ太陽の光、生い茂った緑の中には色彩豊かなたくさんの果実が連なり、遠くには人影も見える。
僕はいつの間にか走りだしていた。
光を反射して金色に輝く湖に飛び込み、体の火照りが取れれば冷たい湧き水を飲んで乾いた喉を潤す。
喉が潤うと、次は色とりどりの果実に手を…………。
手を伸ばそうとしたところで、暖かな陽光に眠気を誘われ……ユウはそのまま、まどろみの中に意識を手放した。
寝ているのに地面が小刻みに揺れている。
揺れに合わせて何かが地面を叩く音が聞こえる。
「…………?」
目を開けた時、眼前には葉をつけた木の枝と青空が広がっていた。
ガバッ
身体を起こす。
「カガリ君!ユウの目が覚めたっ!!」
灯花の声が聞こえる。
「どうっ!どうっ!」
地面を叩く音と揺れが止まった。
「ユウ君!良かった、もう目が覚めないんじゃないかって心配で心配で……」
そう話すカガリの目の下にはクマができている。
よく見ると、灯花の目も赤く腫れているようだった。
「もう昼間ってことは……半日くらい寝続けてたってこと?」
たしか、長くて半日とか言ってたのを思い出す。
(それなら心配で心配で仕方なかっただろうな……)
申し訳ない気持ちになっていた僕に、カガリは信じられない言葉を伝えた。
「半日なんてものじゃないよ……。ユウ君はかれこれ二日以上も眠り続けてたんだから」
僕は固まった。
「半日を過ぎても起きないから、街に急ごうって徹夜で馬を走らせていたんだからっ!」
言われてみれば身体が重い……。上半身は起こせたが、立ち上がろうとすると脚に力が入らなかった。
「あ、まだ動いちゃダメっ!寝てる間は何も食べてないんだから、いきなり動くと倒れちゃう!」
灯花の言う通り、空腹が限界を通り越していると体が訴えている気がする。
「水を口に含んで少しずつゆっくり飲むんだ」
カガリから水筒を受け取って、水を口に入れる。
一気にたくさん飲みたくなる気持ちを我慢して、頬が少し膨らむまで水を含み……ゆっくりと飲み込んだ。
水を飲み干してから、僕は大切なことを思い出した。
「そう言えば、儀式はどうなったの!?」
口に液体を含んだ所から先の記憶が無い。
もし失敗したのなら……。
僕の脳裏には"最悪"の二文字が浮かび上がった。
「いや、こうやって目を覚ましたから儀式に関しては大丈夫だよ……」
カガリはそれほど気にしてないように見える。
「口を付けたと思ったら、一瞬で飲み干してしまったでござるからな。よほど喉が渇いていたのでござろう」
"飲み干した"という言葉と、元に戻った灯花の口調に僕は安堵した。
「もう少しで街が見えてくる頃だから、それまで二人は休んでていいよ。街に着いたらすぐに補給をしよう」
そう言うと、カガリは馬に鞭を入れて走らせた。
僕は身体を寝かせて枕に頭を預ける。
「ユウ氏……もしかして、また眠るのでござるか?」
声の方に目を向けると、灯花は不安と心配の入り混じったような表情をしていた。
「少し変な気分なんだ。たくさん寝たんだろうけど、身体はずっと歩き続けたみたいに疲れてて……」
話しながら、僕は自分がまた眠ろうとしているのだと思った。
「正直、寝ないで欲しいのでござるが……もし眠るのなら一つだけ約束してもらえるでござるか?」
「うん?」
灯花は僕の右手を両手で包む。
「今度、私が起こした時は……絶対、すぐに起きてね」
「……うん」
今まで生きてきた中でも珍しい、灯花の"お願い"に頷いて、僕はまた眠りについた。
「二人とも寝ちゃったか……。街が見えてきたけど……少しゆっくり走ろうかな」
三人を乗せた馬車は遂に木の根が露出した森の道を抜け、綺麗に舗装された街道へと出た。
日光が照らす道の上を、馬車はゆっくりと進んで行く。
【第一章 完】
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