「この……ッ!」
めまぐるしく昼と夜が入れ替わる母さんの領域。
それはとんでもない寒暖の差を生み出して、辺り一帯の大気に渦を巻き始める。
そんな中でもエリカさんは蒼い炎を母さん目掛けて叩き付けるけど――――駄目だ。母さんの周囲に到達する前に、エリカさんの炎はその炎よりももっと強い灼熱に〝焼き尽くされて〟しまう。
「自身の無力を自覚しながら、それでもまだ〝意気〟を保つ……見事と褒め称えるべきでしょうか。それとも、愚かと蔑むべきでしょうか?」
エリカさんの蒼い炎を焼き尽くしながら母さんが嗤う。
昔なら、僕は母さんのその笑顔を見るだけで笑顔になれた。
母さんにずっと笑顔でいて欲しいって、七夕の笹飾りに書いたことだってある。
でも、今の母さんの笑顔から伝わるのは恐怖だけ。
どこまでも僕の心を掴んで放さない、底のない絶望だけだった。
そしてその笑顔の後ろ。
立ち並ぶ石造りの寺院を焼き尽くしながら、いくつもの小さな太陽が現れる。
それはその場に現れただけで僕たちの周囲に生える草木までも焼き尽くし、灼熱の高熱が波紋に守られた僕とエリカさんの肌までも焼いた。
「な、なんて熱……っ! 私の炎じゃ……届かないの……っ?」
「待ってエリカさんっ! まだ諦めちゃ駄目だっ! 僕に考えがある――――!」
「っ……小貫さんっ!」
「フフ…………」
瞬間。僕はその熱気に怯むエリカさんの手をとると、すぐさま生成した波紋を滑らせて一気に加速。その場から空へと飛び上がって母さんから距離を取る。
僕の波紋疾走は、最高で音速の二倍くらいまで加速できる。
僕は波紋に乗り慣れていないエリカさんを抱き寄せて更に加速。空気抵抗を波紋で完全に無効化しながら、一瞬で最高速まで到達する。
「いきなりごめんっ! 少し我慢してっ!」
「い、いえ……っ! でも考えがあるって、どんなっ?」
「この〝領域〟を出るんだっ! 母さんは、ここ以外では〝全力を出せない〟っ!」
母さんの持つ〝सूर्य〟様の力――――それは〝太陽を操る力〟だ。
そうは言っても、流石に本当の太陽を操ってるわけじゃない。
母さんが力を使うときには、まず必ず擬似的な太陽を作り出す。
そしてその太陽が持つ凄いエネルギーを使って、とんでもない熱や寒さ。他にも色んな訳の分からない現象を母さんは繰り出せる。今僕たちがいるこの空間もその力だ。
でも母さんは別にこんな空間を作らなくても、さっきみたいな熱は生み出せる。それなのに、どうして僕たちをわざわざこんな場所に移動させたのかっていうと――――。
「そんなっ!? なら小貫さんのお母様は、これでもまだ私たちに〝手加減〟していると……っ!?」
「そう! 母さんは力を使うとき、無関係な人たちを〝絶対に巻き込まない〟……っ! この領域を維持しているのも、僕たち以外の人たちに被害を出さないためなんだ!」
「まさか、〝九曜の日〟がそれほどだなんて……っ」
夜と昼が入れ替わり続ける空の中。
エリカさんは僕のその話に言葉を失ったようだった。
「だから、僕たちがこの領域から外に出れば、母さんはもう――――」
「……っ!? 待って下さい! 〝熱〟が来ますっ!」
けどそこまで言った僕の周囲に、まるで空間から染み出るようにして幾つもの太陽が飛び出してくる。軽く数十キロメートルは距離を取ってる筈なのに、その熱はさっき感じた力から少しも弱まっていなかった。
「波よ――――ッ!」
僕は一段とエリカさんを強く抱きしめて速度を上げる。さらに現れた太陽それぞれに今の僕が出せる全力の波紋を叩き付け、僕たち目掛けて迫る灼熱の到達を安全な方向に受け流して――――っ!?
「くッ!?」
お、重い――――ッ!
熱が、〝力の重さ〟が桁違いで……僕の波が、支えきれない――――っ!
それはまるで何千トンもの鉄の塊が燃えているような感覚。
ただの炎とは全然違う、とんでもない質量を持った熱源。
い、一個ならまだしも――――それをこんな同時に受け流すなんて、今の僕じゃっ!?
〝潰れる〟
僕がそう覚悟した瞬間。
弱気になった僕を励ますように、僕の腕の中で蒼い炎が灯ったんだ。
「小貫さん――――っ!」
エリカさんが震える僕の手を握りしめて、僕の力が流れ込む波に自分の力を――――〝炎を操る力〟を乗せた。
〝乗せた〟って――――言葉にすれば簡単だけど、そんなことが出来るなんて僕だって知らなかった。そもそも、僕の使う六業会の力と、円卓の殺し屋だったエリカさんの力は、全然違う力の筈なのに!
だけどエリカさんは確かに僕の波に炎の力を乗せて、僕が支えきれなかった母さんの太陽を、まるで完全に〝支配下に置いた〟みたいに上手に全て逸らして見せたんだ。
「た、助かったぁ――――……っ。でも今の……あれもエリカさんの力!?」
「い、いえ……っ。でも、もう小貫さんの〝力の波長は掴んでいた〟ので……小貫さんが私の炎にしてくれたように、出来るかもと……」
「ええええっ!? そ、そういうものなのっ!?」
波長ってどういうこと!?
もしかして、エリカさんの方が〝波使いの僕〟より詳しい!?
「まだですっ! 前っ!」
「ひゃいっ!」
驚く僕を余所に、エリカさんは前を向いて僕の手を握りしめてくれた。
な、なんて心強いんだろう……っ!
襲いかかる太陽。それを錐もみに飛んで躱し、エリカさんと合わせた力で受け流し、やり過ごす。
逃げる。
それは、ただ逃げているだけ。
ここまでやっても、僕とエリカさんは母さんの力の前に何一つ反撃できてない。
でもそれでいい。
逃げられれば、生きていれば。
今の僕がやるべきことは、絶対にエリカさんを守り抜くことなんだから――――!
「ここだ――――っ! エリカさん、僕と一緒に!」
「はいっ!」
どれくらい母さんから離れただろう。実際なら太平洋を飛び越えて、アメリカまで着いてるんじゃないかってくらい飛んだ先。
あの時。
六業会の闇を知ってしまったあの日。
あの時の僕もこうして母さんの領域に捕らわれて、どうしようもなくなっていた。
でもそれでも……僕はあの時助けようとした〝あの子〟を抱いて――――今のエリカさんと同じように、腕の中に抱えて――――。
こうして、母さんの領域を越えることが出来たんだッ!
「波よ――――ッ! 永久に続く終わりなき破砕をここに――――ッ!」
「合わせます――――っ!」
まるで岸壁に押し寄せる波のように。
僕の波とエリカさんの蒼い炎が雲一つ無い虚空めがけて突き刺さり、そこからこの領域全てに伝わる大きな波紋を起こす。
これで壊せる。
あの時は、これで母さんの領域を越えることが出来たんだ――――!
今度もこれで――――っ!
「〝可哀想な鈴太郎〟――――太極様の元から離れれば離れるほど、私の日差しから離れれば離れるほど。貴方の輝きは減るばかり……」
え――――っ?
その声は後ろから。
でも僕の視線は目の前で何も壊せずに〝消えていく波紋〟に釘付けになっていて。
僕とエリカさんの一撃は、母さんの領域を壊せなかった。
「かつての貴方なら越えられた壁も、今の〝弱り切った貴方〟では越えられない。そう――――貴方はかつてより、〝弱くなっている〟のです」
「いつのまにここまで……っ!?」
嘘だ。
確かに〝前は壊せた〟のに。
僕一人の力でも壊せたのに。
今は、そこにエリカさんの力も加わってるのに。
「聞こえますよ鈴太郎……貴方の辛く苦しむ声が、貴方の深い絶望が。さあ……母の元へいらっしゃい……その全てを癒やしてあげましょう」
「そ……そんな……っ」
「小貫さんっ! しっかりして下さいっ!」
母さんの領域に傷一つ付けずに消えた僕の波。
目の前に突きつけられた現実。
愕然とする僕にエリカさんは必死に呼びかけてくれて。
でも、僕はそこで一瞬心が折れそうになってしまって。
駄目だ、ここで折れちゃ駄目だ。
エリカさんを守るんだ。
立て直せ、次の手を考えて。
次の手……でも、どうやって……!?
「終わりです。これから先も、貴方の声は〝誰にも届かない〟。届くのは私だけ……私だけが貴方の声を理解していれば、それで良い――――」
絶望が迫ってくる。
僕の犯した罪が、今の僕を刈り取ろうと迫ってくる。
どうする。
どうする。
どうすればいい……!?
でも。
でもそうして近づく母さんの力が、僕たちの元に到達する直前。
〝もう一つの太陽〟が、その場に現れたんだ。
『ハッ! 悪いが、鈴太郎の泣き声は俺も聞き慣れてんだよ――――ッ!』
「っ? ――――まさか?」
一瞬だった。
僕とエリカさん、そして母さんが浮かぶ空中の、まさにその場所が一気に砕ける。
そして広がる夜の闇と立ち並ぶ住宅街。
そしてそこには、〝輝く太陽と放射状に広がる陽光〟そして〝Lord Fist〟の文字が刻まれた聖像が、目も眩むほどに燃え上がっていたんだ。
「あ、あああ……ああああ!? ゆ、ゆうせええええぇぇぇぇ……っ!?」
「マスターっ!」
「待たせたな二人とも。さっきの〝お前の波〟でようやく場所が掴めた。こっからは――――!」
「――――私達夫婦がお相手しますよっ! ふんすっ!」
そしてもう一人。
悠生の太陽とと並ぶようにして現れる、〝死した女神とそれを見下ろす新たな女神〟の姿を描いた聖像と、〝Avatar〟という文字――――。
それはもう何度も……何度もこうやって僕を助けてくれた、僕の大切な友達の悠生と、その奥さんである永久さんだった。
「六業会の〝太陽〟か――――こいつはまた大物が釣れたもんだ」
「フフ……王であろうと神であろうと……私の鈴太郎にたかる蛆虫であることには変わりありませんね……? フフフ……フフフフフ……ッ! アハハハハハハハハハハハハハハッッ!」
夜の闇に輝く二つの強大な聖像の前。
その光に照らされた母さんは、とても嬉しそうな笑い声を上げていた――――。
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