“シモン・ペテロがイエスに言った。『主よ、どこへおいでになるのですか』。イエスは答えられた『あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう』”
『ヨハネによる福音書 13章36節』
鋼と拳。
真正面から対峙する二人の王。
互いの中心点に位置する空間がぐにゃりと歪み、その場に居合わせた全員が、歪んだ空間の周囲に浮かび上がる〝聖書の一節〟を目視する。
高々と掲げられた〝鋼の王〟の左手の甲。
〝燃え盛る高炉の前で聖剣を鍛える男〟の聖像が赤く輝く。そしてその聖像に重なるようにして、〝Lord Steel〟の文字が大気の中に刻まれた。
「さあ、見せたまえ。君の輝きを」
「受けて立つ」
煌々と輝く赤銅色の光に照らされ、スティールが嗤う。それを受けた俺はただ前に進み、普段と変わらず左手と左足を前に出す半身の構え。
突き出された左手が閃熱を帯び、〝輝く太陽と放射状に広がる陽光〟そして〝Lord Fist〟の名がこの戦場に示された。
「眩しいな。いつ、何度見ても。まるで君の魂の有り様を示しているかのようだ」
「お前のはいつ見ても辛気くさいな。〝アイツ〟に頼んで変えて貰ったらどうだ?」
「まさか、私は自らの聖像に誇りを持っているのでね」
「ハッ! よく知ってるさ――――!」
交錯は刹那。その場から影も残さずかき消えた俺は、一瞬にして若々しさを取り戻しつつあるスティールに肉薄。超光速の左拳直打ちを奴の胸板に叩き込む。
弾かれたスティールは弾丸をも上回る速度で後方へと吹っ飛ぶ。その先にある廃工場がぶち抜かれ、さらに先にある山中から低く鈍い振動と爆音が響いた。
すでに俺とスティールの名乗りは終わった。ここからは先手必勝だ。
瞬間。俺の先攻を見て取った周囲の殺し屋たちも一斉に自身の聖像を発現させる。
しかし、このタイミング。どうやらスティールの言った通り、俺とスティールの戦いに〝割り込む気はない〟らしい。
「き、来た……っ! って数が多い!? 凄い多い! 思ったより多いんだけどこれっ!?」
「ぷぷぷ……ッ! 戦う前に名乗るとか……ッ! 〝最近の殺し屋〟は、お行儀が良すぎる……ッ!」
だがなんとサダヨさん。ここで一人だけ円卓殺し屋軍団の名乗りを完全にスルー。手に持った箒をおもむろに振りかぶると、見事な投擲一閃。廃工場の窓枠越しに浮かぶ聖像の一つを貫通。速攻で一人を仕留める。
「クヒ……ッ! クヒヒヒヒ……ッ! 名乗りたいなら名乗ればいい……ッ! アタシはその間に殺すだけ……ッ! ヒヒヒヒヒッ! 先に行くよ――――ッ!」
「ひええええっ! 相変わらずサダヨさん無法すぎるぅぅぅぅ!? と、永久さん……と、ととと、とりあえず僕の傍から離れないで……!」
「はいっ! 小貫さんも、無理しないで下さいねっ!」
叫び、地面すれすれの這うような姿勢から、放たれた矢のように殺し屋の群れ目掛けて加速するサダヨさん。それを見た永久と鈴太郎は互いに目配せすると、永久は自らの手の甲を前方に掲げ、鈴太郎は独特の印をその手に結ぶ。
永久の手の甲に〝死した女神とそれを見下ろす新たな女神〟を描く聖像が燦然と輝き、〝Avatar〟の文字が描かれる。
そして永久の隣に立つ鈴太郎の背にも、〝無数の神々が並ぶ曼荼羅〟が出現。
やがてその中の一柱が眩い輝きを放ち、鈴太郎を守護するように顕現すると、印を結ぶ鈴太郎の四方に〝सोम〟の名が瞬いた。
見ての通り〝鈴太郎の名乗り〟は、俺や永久も含む円卓の殺し屋とは系統が全く違う。
当たり前だ、なんたって鈴太郎は元〝六業会〟の殺し屋だからな。敵だった頃は厄介極まりなかったが、こうして味方として背中を預ける時、こいつ以上に頼れる奴を俺は知らない。
「悠生……っ! 絶対に、絶対に無事でっ!」
「ああ……! さっさと片付けてくる――――!」
そして愛する永久の祈りを背に、俺はその場から一瞬にして前方へと飛び込む。
ここからは、俺自身の戦いだ。
「――――〝素晴らしい〟。やはり、愛を知った者の魂はより強く輝く。喜ばしい限りだ、〝拳の王〟」
「ッ!」
飛び込んだ粉塵の先。廃工場の瓦礫を抜ける俺の前に圧倒的質量が迫った。
まるで全速力で突っ込んでくる列車のようなその一撃を、俺は飛び込んだ勢いそのままにそっと手を添えて後方へと受け流す。
丁度逆立ちの姿勢で反転して空へと逃れた俺は、天地逆の姿勢のまま、もうもうと立ちこめる粉塵の雲海めがけて超光速の拳を連打する。
衝撃。全ての音は俺の拳から遙かに遅れて炸裂し、先に弾けた衝撃は廃工場内部を埋め尽くす粉塵全てを綺麗さっぱり吹き飛ばして見せた。そして――――。
「……かつての君は孤独だった。孤独だったからこそ強かった」
「どうやら、そっちも〝腹ごしらえ〟は終わったみたいだな」
粉塵が晴れる。
鋼の巨影がゆらりと立ち上がる。
俺が拳で吹っ飛ばした粉塵の向こう。
そこには、廃工場に残っていた金属を貪り喰い、漲る鋼鉄の筋肉と、二十台半ばにも見える若さ溢れる姿と化した鋼の王がいた。
その身長は軽く三メートル後半。
腕回りは軽く見積もって俺の胴体三つ分。太ももに至ってはもはや人間というよりも巨大な戦車のキャタピラだ。
鋼に限らず、どんな金属も取り込み、自らの力にする。
それこそが鋼の王の持つ、殺し屋としての力だ。
もはや皺一つない精悍な相貌に、歓喜の笑みを浮かべるスティール。
スティールは老朽化した廃工場の床を一歩一歩陥没させ、俺に向かってゆっくりと歩みを進める。
「だが……私は真に人を強くするものは何よりも〝愛〟だと信じている。 ――――さあ、孤独を捨てて愛を得た〝君の拳〟と〝私の鋼〟。果たしてどちらが上か……確かめてみようじゃないか」
「いいだろう。来い……鋼の王」
俺はくるくると回転して音も無く着地すると、両手を互い違いにぐるりと回し、共に必殺の気を込めた左右の拳を前に突き出す迎撃の構え。
そしてゆっくりと……どこまでも深く呼気を取り込み、体の奥底に灯る炎を激しく燃え上がらせた――――。
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