“わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない”
『ヨシュア記1章9節』
鏡、渦、そして拳。
三つの〝王〟の力がその場に集い、その力の有り様を示す聖像を顕現させる。
王と王が対峙した時にだけ現れる〝聖書の一節〟。
それは、ここで今から起こる死闘の見届け人であるかのように音もなく鎮座した。
一つは鏡。
聖なる物、神なる物を崇め称え、その場に留め置く力の集積。
一つは渦。
停滞を許さず、濁りを払い、世に滅びと再生を与える力の具現。
一つは拳。
願いを掴み、絆を結び、人の子の決意を示す力の意思。
俺がまだガキだった頃……〝親父〟が時折口ずさんでいたその言葉。
こうして親父の元を離れた今も、その言葉は俺の中に深く巣くっている。
そうだ。
二年前のあの時。永久と出会い、俺が自分の炎を取り戻した時。俺に殺しの全てを叩き込み、俺に殺し屋となるようレールをひいた親父の意思から逸れた時。
確かに俺は本来の〝色〟を自覚して、永久と共に生きる道を選んだはず。
だがそれでも……やはりあの男が生きている限り、俺に完全な自由はない。
たとえ円卓にどんな理由があったにせよ、結局俺はこうして殺し屋マンションを戦火に巻き込んでいる。俺はまだ、その戦火の中心にいる。
つまり、俺はまだ奴の――――。
〝親父の支配〟から、これっぽっちも逃れられちゃいないってことだッ!
「シッ――――!」
「フゥ――――!」
視界が飛ぶ。
周囲の全ての動きが泥の流れのように遅くなり、俺の知覚と機動が限界を超える。
その泥のように鈍化した視界の中、しかし俺と二人の王だけは影すら踏ませない超速の機動を維持し続ける。
俺が繰り出した左直突き。それをユールシルは手刀で弾き逸らしながら後ろ回し蹴り一閃。俺はその蹴りを身を屈めて躱し、差し替えしの下段蹴りを繰り出す。
が――――ユールシルは俺が狙った軸足をしならせて自ら空に逃げる。まるでバレエダンサーのような優雅な回転跳躍で俺の下段蹴りを躱すと、凶暴な眼光で俺を見据える。
「逃がすかよ――――ッ!」
だが、俺は下段蹴りを繰り出したままの姿勢から一気に力を溜めて空中のユールシルへと追撃。一瞬で奴の眼前に肉薄すると、鈍化した時間感覚の中ですら知覚不能な超高速の乱打戦へと雪崩れ込む。
突けば躱し、叩けば逸らし、撃てども撃てども受けられる。
互いの吐息がはっきりと感じられるほどの至近。
繰り返される無限の撃ち合い。
ユールシルの瞳孔が完全に開ききり、上気した表情が恍惚に歪む。
下半身では互いに歩調を合わせながら、上体では千を超える拳戟を繰り返す。恐らくその様子を横から見た奴は、俺とユールシルが息を合わせてダンスでも踊ってるように見えただろう。
「最高だ……ッ! やはり君と戦うのは最高にイイよ……ッ! ああ……ッ! この快感……二年前とは比べものにならない……ッ!」
「お前は全然変わってねぇな……ッ!」
「オイオイオイオイ……ッ! なにイチャついてんだテメェらッ!? 俺も混ぜろよなぁ……ッ! エエッッ!?」
「来るか……ッ!」
刹那、俺はユールシルとの打撃戦を放棄。
即座にユールシルの肩口を掴むと、そのまま重心を崩して一方へと投げ飛ばす。
そうして投げられたユールシルの体を避けるようにして、渦を巻いて湾曲した空間が幾筋もの断層となって俺に迫る。
〝渦の王〟――――その力はどんな物でも歪め、攪拌する渦にある。この渦に飲み込まれれば、俺でもどうなるか分からねぇ。けどな――――ッ!
「オオオオ――――ッ! ラァッ!」
その湾曲空間が俺に着弾する寸前。俺は全ての渦目掛けて閃光の拳を叩き込む。
俺の拳と激突した渦がたわみ、俺の周囲の光景が魚眼レンズを覗き込んだようになって乱れる。
俺はその湾曲した空間をぶち抜いて加速すると、瞬きする間にその渦を起こした本体――――渦の王の位置へと飛び込む。
だが――――!
「ハッハーーーッ! 〝こっち〟だよ馬鹿がッ!」
「チッ……! 〝鏡〟か……ッ!」
だが、その歪んだ視界の中でも常に捉えていた筈の渦の王の姿が忽然と消え、突然俺の予期していなかった後方から現れる。見れば、既に周囲にはユールシルの展開した〝不可視の鏡〟が無数に滞空し、俺の視覚情報を何重にも欺いていた。
しくじった。
一対一ならまだしも、空間を歪める渦の王の力に、ユールシルの〝鏡〟まで重なってる状況じゃ、俺が今見ている視覚はただ足を引っ張るだけだ。
「ごめんよ悠生、本当なら私ももっと君と遊びたいんだ。だけど今回はそうも言ってられなくてね」
「テメェにはまだ〝直〟で俺の渦をぶち込んだことはなかったなぁッ? ご自慢の〝不死身〟でどこまで耐えられるか、俺が試してやるょォ――――ッ!」
やばい――――ッ!
俺がそう思えたのも一瞬。背後から俺の背に手を当てた渦の王の嘲笑と共に、奴の力が俺の全身に叩き込まれる。
「ッ――――がああああッ!」
俺の体を構成する細胞一つ一つ、血液からなにからとにかく全てがぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、全身の穴という穴から鮮血が噴き出す。
これがもし俺じゃなければ、秒と保たずに吹っ飛ばされて肉片どころか〝血煙〟になってたところだ。だが、いくら俺でもこいつは相当に厳しい。
「ギャハハハハハハッ! さすがだな拳の王、なかなか耐えるじゃねぇか!? だがよぉ……悪いが俺の渦は、一度ぶち込んだらそいつが〝死ぬまで消えねぇ〟んだぜぇえええええ!?」
ク、ソが――――ッ!
俺は体内で暴れ回る渦の衝撃に、限界まで拳を握りしめて力を込める。
体内で暴走する血流に視界が赤く染まり、その視界の先がぐるぐると渦を巻いているのがギリギリ確認できた。
こいつは洒落にならねぇ――――このまま悠長にこの渦に付き合えば、たとえ俺は死ななくても、殺し屋マンションから遙か彼方に吹っ飛ばされちまう。
全身を襲う激痛と、今にもバラバラになりそうな衝撃に耐えながらも、俺は纏まらない思考を文字通りフル回転させて打開策を模索――――まだ円卓の手の内が見えていない内には使いたくなかったが……やむを得ず〝神の拳〟の行使を選択しようとした、その時――――。
「クク……ッ! まだだよ……ッ! アンタの〝キラキラ〟は……もう少し後に取っておきな……ッ!」
「っ!?」
だがその時。渦に飲まれて錐もみに弾かれた俺の腕を、冷たい手ががっしりと掴んだ。その言葉に目を見開いた俺の視界が一瞬にして赤から元に戻り、長い黒髪と白いワンピース姿の女――――サダヨさんの姿をぼんやりと映し出す。
「ぷぷぷ……っ! アンタはリア充……! そしてリア充は、爆発しない……ッ!」
一瞬の出来事に驚く俺をよそに、サダヨさんは俺の体内に荒れ狂う渦を握った手から自分の体に〝移す〟と、そのまま手に持った箒のブラシ部分から放出。暴れ回る渦を夜空目掛けて吹き飛ばしちまった。な、なんだそりゃ――――!?
「悪い、助かった……。相変わらずサダヨさんはぶっ飛んでるな……」
「クヒヒ……ッ! いいのいいの……ッ! アタシこそ遅くなって悪かったね……ッ! 他の奴らに〝山田からの伝言〟を伝えてたから……ッ!」
「山田の伝言……?」
「ああ、そうさ……ッ!」
サダヨさんの腕に引かれ、俺は半ば投げ飛ばされるようにして殺し屋マンションの屋上へと舞い戻る。くそ、まだ目が回ってやがる……。
「俺の渦を消した……? なんだぁ、テメェは……?」
「へぇ……? どうやら、君が話に聞く〝ここの管理人〟だね。〝アル〟、君も油断しないようにね」
「クックック……! クックックック……ッ!」
戻ってきた俺とサダヨさんに、ユールシルと渦の王は値踏みするような視線を向ける。辺りでは相変わらず戦闘が続いているが、どうやら円卓の雑魚共もこの戦いに茶々を入れる気はないらしい。
「へぇ……? こいつが親父が〝気をつけろ〟って言ってた奴か……面白ぇ!」
「フフ……実は私も、〝二対一〟で一方的に戦うのは心が痛んでいたんだ。でも、これで気兼ねなくやり合えそうだね、悠生?」
「もうお前の鏡には騙されねぇぞ……さっきはまんまとひっかかっちまった」
「安心しな悠生……! アタシが来たからにはもう安心……! このマンションにあるキラキラは、一つだって壊させやしないよ……ッ!」
そう言いながら、俺は再び身構える。
サダヨさんのお陰で、ここで奥の手を出さずに済んだのは僥倖だった。
サダヨさんが王相手にどこまでやれるのかは分からない。
だが、不思議と俺はサダヨさんの力に不安を感じてはいなかった。
それどころか……どこか俺の心を励ますような、暖かな力がサダヨさんから流れ込んでいるような気すらした。それはまるで、〝永久と一緒に戦っている〟時のような……。
「――――そして悠生……アンタにも伝言だ。『〝災禍来る〟。女神の守護に折れた刃を。時来るまで、真の拳は握らぬよう』――――」
「…………そうか、〝分かった〟」
ぱっと見、謎めいているように感じる山田からの伝言。
だが俺はすぐさまその意図を理解すると、全ての迷いと不安を切り捨てて左拳を前に出す。つまり、俺の〝やること〟は変わらねぇってことだ――――!
「ククク……ッ! リア充を爆発させようとする奴は、皆殺し……ッ! このアタシの前で情けない姿を晒すんじゃないよ、悠生……ッ!」
「ああ……! やるぞ……サダヨさん!」
俺たちは背を預け合うようにして身構える。
そして俺は拳を、サダヨさんは箒を構えて力を解放――――眼前に立ち塞がる二人の王目掛けて突撃する。
災禍来る、か――――。
来るなら来やがれ。
俺も永久も……そしてここにいる他の奴らも、〝お前〟には言いたいことが山ほどある。
無数の殺戮をもたらす暴風のような死闘に再び身を投じながらも、俺は心中で最愛の妻を想い、最も信頼するダチを想い、今度こそ向き合うと決めた出来の良い生徒を想い、そこへ向かったという〝かつての宿敵〟の無事を祈った――――。
To be continued
鈴太郎視点に移行――――。
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