「どうすればいい!? このままじゃ、俺たち全員死んじまうぞッ!?」
争いもなく、繁栄を極めていた俺たちの日々。
だがその災厄は、ある日突然俺たちの身に降りかかった。
疫病。
なんの前触れもなく、治療法もない。そんな、それまで誰も見たことがないような恐ろしい病が、俺たち殺しの者の居住区を襲った。
「なぜエヌア様は我らに救いの手を差し伸べてくれない!? 俺たちにここから一歩も出るなと指示し、閉じ込めたままなんの音沙汰もない!」
「最後に使徒様がここを訪れてから七日も経つ! 昨日、俺の親父も死んだ!」
「なんとかしてくれ、アルト! 頼む……ッ!」
俺の家の前には、体中に黒いアザを浮かべた仲間たちが詰めかけていた。
俺は絶望と恐怖に飲み込まれた仲間たちを前に、俺は背後の家の中へと視線を向ける。
「アル、ト……」
「っ……。イーア……」
俺が振り向いた先。
そこには、粗末な寝台の上で横になり、今にも消えそうな息をつきながら、全身に黒いアザを浮かべたイーアがいた。
ただでさえ、イーアは身重で体力が必要だった。
出産を間近に控えた彼女がこのような致命の病にかかれば……もはや、奇跡でも起きる以外に助かる見込みはない――――。
当然、俺は疫病の存在をすぐにエヌア様や使徒たちに伝えた。
これまで、どんなに酷い飢饉も、国全体を巻き込むような疫病も。エヌア様と大神エールはその全てをなんとかして下さった。
今回のように、殺しの者の区画だけが災厄に見舞われたことは例がなかった。
仲間の中には、エヌア様と使徒たちは国の穢れである俺たちを見捨てたのではと言う者もいた。
だが常日頃からエヌア様は、俺たちもまた大切な同胞であると仰っていた。
大神エールの元、国の繁栄に尽くす仲間だと言って下さっていた。
疫病の都市部への飛び火を防ぐため、大勢の兵によって俺たちの一角が封鎖され、俺たちはここから出ることを禁じられている。
だが、エヌア様はそれも一時的な処置だと仰っていた。
急ぎ大神エールの力で病の根源を明らかにし、必ず俺たちを救済を導くと約束して下さったのだ。
俺たちはエヌア様のその言葉を信じ、多くの仲間が死に絶えていく中、今日まで堪え忍んできた。だが――――。
「わかった……お前たちの言う通りだ。もはやこれ以上待つことは出来ない。俺が神殿に赴き、直接エヌア様に窮状を訴えよう」
「頼む……っ! 頼むアルト……ッ!」
どうあってもこれ以上は待てない。多くの仲間が目の前で死に絶え、最愛のイーアもこの様子では一日ともたないだろう。
俺にはまだ病の兆候はなかったが、俺もいつ病に倒れてもおかしくない。
まだ動けるうちに、仲間たちの多くが無事なうちに、大神エールの加護を求めなくては……!
「なんという惨状……このような事態となるまで待たせたこと、どうか許して欲しい……」
「え、エヌア様……!?」
だがその時。すぐにでも神殿へと赴こうとした俺たちの前に、〝四柱の神〟を従えたエヌア様が現れたのだ。
驚く俺たちにエヌア様は手を差し伸べ、自らに病が及ぶことも構わず、集まった者一人一人に直接触れながら歩みを進めた。
その姿はまさしく天から舞い降りた神の使徒。
絶望に濡れた俺の目には、まさしく天の使いそのものにすら見えた。
その場に居合わせた全ての者が頭を垂れ、エヌア様と神々の前に平伏する。
ゆっくりと俺の前までやってきたエヌア様は、俺たちと同じように地面に膝を突き、俺の肩に手を置いて、安心させるように笑みを浮かべた。
「我が国の刃にして、大神エールの忠実なる戦士アルトよ……よくぞここまで一族を纏め、堪え忍んだ。多くの貴い命が失われはしたが、大神エールはお前たちに救済の道筋を指し示したぞ……!」
「なんと……なんと勿体なきお言葉……っ! それでは、我らはこの病から救われるのですね……!?」
大神エールの偉大なる力は嫌と言うほど知っている。
その力はエヌア様と使徒によって伝えられたどのような願いも叶え、奇跡を起こす。今まで国を襲ったどのような災厄も、全てが大神エールとエヌア様たちの力で救済されてきた。
これでイーアも、仲間たちも助かる。
神と使徒たちを信じ、今日まで耐えてきた俺たちの苦しみは無駄ではなかった。
エヌア様は、やはり俺たちもかけがえのない同胞だと考えて下さっていたのだ。
今までの忠節が報われたと感じた俺は、普段であれば決して流すことのない涙すら浮かべ、差し伸べられたエヌア様の手を固く握り返した。
しかし――――。
「うむ……喜ぶがいい。偉大なる大神エールは、この恐るべき疫病は〝あと千人を殺し〟、千人を超える命は害さぬという〝お告げ〟を残された。これならば、お前たちの約半数は生き残ることが出来よう……」
「え……?」
…………?
な、なにを……?
エヌア様は……いま、なんと……?
「お前から受けた報せから今日まで、我らも決して手をこまねいていたわけではない……日々大神エールに祈りを捧げ、救済を願った。だが、お前たちもよく知るように、この病は恐るべきもの……神の力をもってしても、全ての者を救うことはできなかったのだ」
「そ……そんな……! ならば、我々はあと千人もの同胞の命を失うというのですか……!?」
「そうだ……だが、どうか堪えて欲しい。我らとて辛いのだ……お前たちのような素晴らしい同胞の命……私も、一つとして余すことなく救ってやりたかった……」
愕然とする俺たちを見据え、エヌア様はいつしかその老いた両目からとめどなく涙を流し、俺の体を抱きしめ、何度も謝罪の言葉を発した。
「此度、私がこのように自らこの地へと出向き、病にかかることもいとわず現れたのは、ひとえにお前たち殺しの者への贖罪ゆえ……! 日頃より苦労をかけ、誰よりも辛い責務を負わせておきながら、お前たち全ての者を救うことが出来ぬこと……どうか、どうか……! 許してくれ……!」
「エヌア……様……っ」
悔いと無力の感情に覆われたエヌア様のその言葉に……いつしか俺も、血が滲むほどに拳を握りしめ、溢れる涙を止めることもせずに天を仰いだ。
それは俺だけではない。その場にいる全ての仲間が同じように激情を抑え、絶望と悲しみの嗚咽を漏らしていた。
あと千人。
あと千人、仲間が死ぬ。
大神エールがそうお告げを下されたというのならば、恐らくそれは間違いないのだろう。
そして、今から千人が死ぬということは、現時点で死に瀕しているイーアや、まだ見ぬ俺とイーアの子も助からないということを意味する。
「そん、な……。そんな…………」
俺も、俺の仲間たちも。
本心では今すぐに神殿へと雪崩れ込み、大神エールに救いを求めたかった。
だが……それは大神エールの力ですら治せない恐るべき病を、都市に住むなんの罪もない人々に飛び火させるということを意味する。
殺しの者として人の死についてや、様々な疫病についても高度な知識を備えていた俺たちには、その恐ろしさが痛いほど理解できていた。
そしてだからこそ、国の行く末を預かるエヌア様自ら、こうしてこの場で俺たちに頭を下げているのだということも――――。
「大神エールは私に告げられた。この疫病は、我らを試す〝神の試練〟なのだと……! ゆえに、私はこの場でお前たち殺しの者に誓おう……! この試練を見事乗り越えた暁には、お前たち殺しの者の忠義に報い、より豊かな待遇と、自由を与えると……!」
エヌア様のその言葉も、俺はどこか遠いことのように聞いていた。
俺に……俺たちに選択肢はなかった。
今まで示してきた忠節。そして遙か過去から受け継がれてきた祖国への想い。
そしてそれと相反する、今を共に生きる愛する者への想い。
その両方の想いからくる、引き裂かれるような絶望が俺たち全員を襲っていた。
俺たちは耐えた。
ただひたすらに、災厄が過ぎ去るのを。
同胞の命が、愛する者の命が目の前で消えていくのを。
偉大なる神のため。国のため。全ての同胞のために耐え抜いた。
そして――――。
千人。
エヌア様が俺たちに約束したとおり、ちょうど千人目の死者が出たその日を境に、全ての病はまるで初めから幻だったかのように消えた。
国は救われた。
多くの仲間が死んだが、病は最後まで都市の内側に侵入することはなかった。
俺たち殺しの者の忠節と功績は全ての民の模範として喧伝され、それまでの穢れとしての扱いから、大いに名誉と印象を向上させた。だが――――。
「許してくれ……イーア……っ。う……ぅう……っ! う、うぅ…………ぁぁあぁぁ………っ…………!」
無数に並ぶ墓標の前。
すでに失われた、最愛の妻と子の墓の前。
俺はただ、自分自身の無力にむせび泣くことしか出来なかった――――。
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