「はっ……はっ……」
夜の闇。
眠ることを知らない極大都市とはいえ、その光が届かない場所はいくらでも存在する。そして今。街の光も届かない曲がりくねった路地の上を、息を切らしながら走る一人の少女がいた。
三つ編みにされた銀色の長い髪に青い瞳。どこか古風な印象を受ける白と黒のケープを羽織り、硬質の靴音を鳴らしながら夜の街を駆ける少女の姿は、暗闇の中に煌めく銀色の灯火のように見えた。
少女は自らの周囲に点々と輝く超常の炎を灯しながら、必死に何かから逃げていた。だが逃げながらも、少女は決して人気のある大通りへと出ようとはしない。そうしてしまえば、そこにいる大勢の〝無関係な人々〟が傷つくことを知っているからだ。
「フン……どうやら、円卓を抜けたいというのは本気のようだ。我ら選ばれた存在である殺し屋が、いちいち弱者を気にかけるとは」
「キキキ……! どうせ昔の上司に影響されたんだろ? 上が上なら下も下。二人揃って円卓を裏切るたぁ……! 恥もプライドもあったもんじゃねぇな……!」
「っ……!」
少女の進行方向。行く手を阻むように、ブラウンのレザーコートを着た痩身痩躯の男が現れる。さらには少女が逃げてきた後方の闇からも、〝静電気がくすぶるような音〟を引き連れた、嘲る声が響いた。
「鬼火とまで呼ばれた貴様ほどの殺し屋が、愚かな師の後を追うとは。我々円卓は、裏切りを決して許しはしない……」
少女の行く手を阻んだ男がその両手を広げる。
ブラウンのコートが大きくはためき、男の細い腰に巻き付いた鞭状に連なった剣が風を切り裂いて引き抜かれる。
「そうだぜぇ……? 俺は前々からお前が気にくわなかったんだ。すました顔しやがってよ……! どうせあいつにもその綺麗な顔で取り入ったんだろ……? ムカつくぜ……!」
そして後方の闇。そこから現れたのは、〝数十もの宙に浮かぶ鉄球〟を自身の周囲に引き連れた、巨大なバックパックを背負った猫背の男。男はグレーのパーカーを深々と被り、ノコギリ状に溶けた不揃いな歯を鳴らした。
「私は……っ」
行く手と退路。その双方を殺し屋によって塞がれた少女――――彼女の名はエリカ・リリギュラ。しかしエリカはこの絶体絶命の危機にもその薄い下唇をきゅっと引き絞り、青く透き通った瞳に不退転の決意を宿して叫んだ。
「私は、もう一度あの方に……〝マスター〟に会うまでは死ねません……っ! 貴方たちがその気なら、私だって……!」
瞬間、エリカの周囲に燐と舞っていた火の粉の輝きが爆ぜる。
僅かに周囲を照らすだけだった小さな炎が音を立てて燃え上がり、漆黒の路地を紅蓮に染める。どうやら、お互いにここでケリをつけるつもりだな。
「そこまでだ、エリカは俺たちが保護する。ここから先は――――」
「――――私たち夫婦が相手ですっ!」
「なんだァ……ッ!?」
「……っ!? この声……っ!」
その時、燃え盛る灼熱の炎の光を見下ろしながら、仕事着に身を包んだ俺と永久がビルの屋上から声を上げて飛び出す。
三者からの視線を同時に受けた俺は改めて眼下の状況を確認すると、横に立つ白いロングコートにハーフパンツという出で立ちの、気を抜くと俺が気絶しそうなほど可愛い永久に目配せして飛び降りた。
「やはり現れたか……暫くはこの女の動向を監視すると踏んでいたが」
「キキキ……! 拳の王と神の近似値のペア……! お前らをここで殺せば、空いたままの王の席はこの俺のもんだなぁ……?」
「俺たちをそうと知っててやるってのか? 大した勇気だ」
俺は痩せたコートの男の、永久はエリカの背後から現れた鉄球野郎の側に着地する。見たところ二人に退く気配はない。どうやら相当腕に自信があるらしい。
「マスター……! 来てくれたんですね……っ!」
「よう。相変わらず無茶しやがる」
「初めましてエリカさん! でもちゃんとした挨拶はここを乗り切った後でっ! やりましょう、悠生っ!」
現れた俺の姿を見て、その青い瞳を潤ませて声につまるエリカ――――おいおい、なんでこんな感動の再会みたいになってんだ?
感極まった様子のエリカに首をひねる俺をよそに、俺と共にエリカを庇うように位置取った永久が、自身の左手の甲を鉄球野郎に向ける。
瞬間、永久の手の甲に〝死した女神とそれを見下ろす新たな女神〟の姿を描いた聖像と、〝Avatar〟という文字が浮かび上がり、それが永久の〝殺し屋としての名乗り〟を果たす。
それを見た鉄球野郎は笑みを浮かべ、自らの右手の平を永久に向ける。そこには〝無数の人形を操る血塗れの人形使い〟の聖像と共に、〝Puppeteer〟の名が輝いていた。
「キハハハハッ! 待ってたぜ〝アヴァター〟! 神の出来損ないは、この俺様が処分してやるよォォォォッ!」
「そーですか! やれるものならやってみて下さいっ!」
永久とパペッティア。二人は同時に動き、闇と炎の光の中で戦闘を開始する。
そして俺だ。
「さて……私の腕でどこまで〝王〟に抗えるか。一つ手合わせ願おう!」
「いいだろう。見せてみろ」
俺と向かい合った男が、その白手袋に覆われた手の甲を掲げる。
そこには〝降り注ぐ刃を仰ぐ蛇頭の戦士〟の聖像。文字は〝Countless〟。なるほど……言うだけあって確かに聞いたことがある名前だ。
カウントレスの聖像を確認した俺は、だらりと全身の力を抜きながら左拳を前に突き出す半身の構え。
そうして突き出された俺の拳に燃えるような閃光が奔り、〝輝く太陽と放射状に広がる陽光〟そして〝Lord Fist〟の名が大気に刻まれる。
「――――全力で来い。悔いの無いようにな」
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