山田が再び聖書のページをめくると、それを見ていた俺の意識は再び別の場所へと飛ばされた。
どこまでも暗い闇。
音も光も無い漆黒の空間。
だがあたりを見回せば、そこには今も俺の手を握って微笑む永久や、少し離れた場所で並んで立つ鈴太郎とエリカ。四ノ原たち野良の三人や、レックスを始めとした他の殺し屋マンションのメンバーも一堂に会していることが見て取れた。
「――ここからは私が話してやる……山田は〝虐殺の二月〟の寸前には、とうに創世主との関係が切れかけていた。今の創世主の目的に関しては、山田より私の方が詳しいだろうからね」
「サダヨさん……。分かった、頼めるか」
「もちろんさ……なんたって、私の大事な〝妹婿〟の頼みだ。見せてやるよ……私の知っている全てをね」
暗闇の中、ぼんやりと光る円の中に浮かぶ山田の奥から、馴染みの白いワンピースを着たサダヨさんがゆっくりと現れる。
いつもとは違い、闇の中に立つ俺たちをまっすぐに見据えるサダヨさんの表情は、この俺でも一瞬二度見するほど永久に似ていた。
「一万年前に砕け散ったエールの力。それをまた一つにするために、創世主は私のような器……〝アヴァター〟を作った。山田の〝聖書〟に残る記録を元に、現代の遺伝子操作技術を組み合わせたモノだ。ヒトの遺伝子を直接弄れるようになる前は、六業会と同じように、ただ素質のある奴を見つけて器にしていたらしい」
親父との戦いの最中でも聞いた、サダヨさんの普段とは違う透き通った声。
そしてその声が響くと同時、暗闇の中に厳かな祭壇の光景が浮かび上がる。
「アタシはその〝第一世代〟だった。一度に千人を超える〝私〟が作られたが、その中でも一番マシな出来だったのが私だった。けど、創世主は結局私の出来に満足しなかった――」
『〝ガラクタ〟だ。この程度の器では、俺たちがかき集めたエールの力の半分も収めることはできん。収めた力を抜き取った後で廃棄しろ』
『……っ! 恐れながら我が君……〝リリス〟は今まで本当によく私たちに尽くしてくれました。一万年前の大破砕以降、心を閉ざし続けていたエール神が、初めて私たちにお声をかけて下さったのですっ! それを、このように容易く廃棄するなどと……っ!』
『……? お前は何を言っている〝記の王〟。たとえ一度はエールの力を宿そうと、器は所詮ただの器に過ぎん。役に立たない道具は処分する。当然のことだと思うが?』
『……我が、君……っ!』
壮麗な法衣を纏った山田……いや、ヤジャ先生であり記の王だった男が、絶望の表情を玉座に座るクソ親父に向ける。
なるほど……これでヤジャ先生と親父は決別することになったってわけだ。
「こうして、私は捨てられることになった。だがこのとき、とうに円卓と創世主は私たち第一世代とは比べものにならない出来の、〝究極の器〟を生み出せるようになっていた」
「究極の器だと?」
「そうだ。あの紅い月でお前や鈴太郎が見たっていう〝円卓の母〟……そして〝永久〟。この二人こそ、円卓が作り上げた究極の器……途方もない神の力を全て収めることができる〝聖杯〟なのさ」
その時。
再び周囲の景色が切り替わる。
壁も床も天井も、全てが一切の継ぎ目もなく白で塗り込められた純白の部屋。
『忌まわしき我が子、ユーセの魂は封じた。聖杯も完成した。あとはこれまでの規模を遙かに超える殺意を集め、本来のエールが持っていた願いを求める心を取り戻すのみ――!』
『…………』
その部屋の中央。そこにはまた別人になっている親父と、永久と瓜二つの少女が立っていた。
「ただエルに似ているだけの私や他のアヴァターと違って、円卓の母と永久は、エールの欠片を生まれつき宿して作られている。エールの力が抜けた後の私が、特に悠生に拘ってないのもそのせいだ」
「そういうことか。なら、親父は完成した円卓の母に殺意を集めようとして……」
「〝虐殺の二月〟を起こした……そうすれば、今度こそエールはまた自分を見てくれる……お前の親父は、今でもそう信じているのさ」
「……っ」
そのサダヨさんの言葉に、俺はどうしようもないやるせなさを覚える。
そして俺の胸の中に、たとえ忙しくても、たとえ殺意によって心を壊されていても、それでもユーセの前では優しく立派な姿を最後の最後まで崩さなかった、かつての親父の姿が浮かぶ。
〝エールを取り戻す〟
サダヨさんの話が本当なら親父はこの一万年もの間、ずっとそんな妄執に囚われ、確証も保証もない儀式や願いに縋って、世界中で殺戮を繰り返してきたってことだ。
クソ親父……。
アンタはあの時から、ずっと壊れたままなのかよ。
本当の……俺の知ってる親父は……。
そんなもんじゃねぇはずだろうが……っ。
「結局、虐殺の二月は〝六業会の根〟によって円卓の母が器ごと月に封じられて終わった。創世主は月に封じられたエールの力を地上に呼び戻すために大急ぎで永久を作ったが……永久は円卓の母以上に〝エルに近すぎた〟」
「エルに近すぎた……?」
「優しすぎたってことさ……永久には、殺意を受け入れる心なんてこれっぽっちもない。それはダンナであるお前の方が良く知っているだろ……悠生」
「そうか……それで、永久は……」
「悠生……」
サダヨさんに見据えられ、俺は思わず隣に立つ永久に視線を向けた。
すると、その眼差しを受けた永久は俺を安心させるように握り合った手に力を込めてくれた。
「これで分かっただろう。お前の親父……あの男はとうに壊れている。せっかく一万年かけて欠片をかき集め、精神の掌握もあと一歩の所まできていた円卓の母も、殺意を徹底的に拒絶する〝欠陥品扱いの永久〟の中で〝完成〟した。これ以外には、もうエリカが持ってるエールの力しか欠片は残っていない」
「ってことは、あのクソ親父が狙うのは今度こそ……」
「今度こそ、円卓は全ての戦力をかき集めて永久を奪還しに来るだろう。あの男にはもう〝何もない〟……奪われ続けたあの男の道を終わらせるのは、お前なんだよ……月城悠生」
俺はサダヨさんのその言葉に無言で頷くと、永久と手を握っていない方の手で拳を作り、決意を固めた――――。
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